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2015年8月 9日 (日)

「九州王朝が建てた国分寺」という仮説

「武蔵国分寺の四方・八方・十二方」というブログのサイトが,
七重塔(のちに55m西に第2の塔跡の発掘あり)を中心にいろいろ考察しています。
(制作・管理:畑中久美子 kumihatanaka@gmail.com )
南北方位についてもよく出てきます。
しかし,「九州王朝が建てた国分寺」という仮説がないため,
堂々巡りしているように思います。
ご検討下さればありがたいです。

武蔵国分寺の四方・八方・十二方
http://musashi-kokubunji.blog.so-net.ne.jp/archive/c2303405471-1

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

みなさんへ

京都の古賀さんにメール差し上げたところ,
「かなり面白いテーマ」との好感触をいただけました!
よかったあ。(o^-^o)

古賀さんより「洛洛メール便」において,以下の「援護射撃」をいただきました。
今新幹線で名古屋へ向かっていますが,インターネットの利点を生かして
今後も古代史研究(我が国のルーツを探ること)を進めていきたいです。
古賀さん,ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「武蔵国分寺」の多元論

「洛中洛外日記」1016話で九州王朝の「国分寺」建立説を紹介したところ、
読者の方からメールをいただきました。
服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)からは、
『二中歴』に見える経典渡来記事に基づいてのご意見をいただき、メール交信を行いました。
その内容については「洛中洛外日記【号外】」で紹介したところです。

所沢市の肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)からは、
武蔵国分寺(国分寺市)についての興味深い情報が寄せられました。
その概要は、武蔵国分寺の遺構の主軸が近くを通っていた古代官道「東山道武蔵路」
の方位(ほぼ南北方向)とずれているが、
塔の礎石だけは「東山道武蔵路」とほぼ方位が一致しているというのです。
肥沼さんの研究によれば「東山道武蔵路」は九州王朝により造営されたものであり、
その方位とずれている武蔵国分寺の主要伽藍と、
方位が一致している塔は聖武天皇が建立を命じた8世紀の国分寺と、
それに先行した九州王朝による国分寺という多元的「国分寺」建立説により
説明できるのではないかという仮説を提起されたのです。
かなり面白い仮説だと思います。
わたしは関東の古代寺院などについてはほとんど知識がありませんので、
肥沼さんのメールにはとても驚きました。
これから勉強したいと思います。
会員や読者からの素早い反応や情報提供はインターネット時代ならではですね。
肥沼さん、ありがとうございました。

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