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2015年8月24日 (月)

「古寺院地区」の中心には七重塔があった!

昨日は午前中に引越のための片付けを行い,
(なんで,こんなに捨てるものが多いの!)
午後に武蔵国分寺の周辺を歩いてきた。
もちろん,9/5(土)の「現地調査」ための下見である。

もう何回も訪問した場所ではあるが,
翌日古賀さんは講演会の講師を務めるので
無駄な体力を消耗させては申し訳ないので。

そこで入手した現地の地図の中で,「おやっ」という気づきがあった。
(今までも持っていたのに,気にしていなかった。「見れども見えず」ですね!)
今まで「塔跡」は「境内のはずれに在る」という意識だったが,
「古寺院地区画溝」という線を補ってみると,
「塔」が「古寺院のど真ん中」に建設されている」ということになるではないか!

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写真は,2014年3月に発行された
「武蔵国分寺跡資料館解説シート No.4」の「武蔵国分寺の建設」の
裏面にある「武蔵国分寺の変遷」である。
「創建期(8世紀中頃~)」と書かれている。
聖武天皇の時期という定説である。

そうなると,土器編年への疑問が出てくるということになる。
塔跡からはたくさんの瓦が出ていると聞いたので,
C14(放射性炭素の検査)での測定を求めたい。

私流に言えば,「九州王朝によって建てられた国分寺の中心伽藍」ということになる。
新しい視座が拓けて,9月5日(土)の現地調査がますます楽しみになる肥さんであった。

PS 当日のご案内役を,私=肥さんがおおせつかりました!ヽ(´▽`)/
古代史研究の最先端を行く古田史学の会の案内役なんて,最高の栄誉です。(o^-^o)

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