« 「花」はどこへ行った | トップページ | 『たの授』公開編集会議 2015年6月 »

2015年6月27日 (土)

花はどこへ行った

次項の「「花」はどこへいった」をアップしたあと,
ちょっと「本家本元」の勉強もしておこうと,検索してみた。

ウィキペディアには,以下のように出ていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「花はどこへ行った」(はなはどこへいった、原題 Where have all the flowers gone?)は、
世界で一番有名な反戦歌とも言われる[要出典]フォークの楽曲。
アメリカンフォークの父とも形容されるピート・シーガーによる作詞作曲であり、
シーガーの代表作でもある。「花はどこへ行ったの」と訳される場合もある[1]。

最初の録音の後、歌詞の一部をジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が補った形で広まったことから、
シーガーとヒッカーソンの共作ともされる。

歴史 1955年、ピート・シーガーが制作。
ロシアの作家、ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』の最初のほうに出てくる、
コサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。
シーガーはこれに曲をつけたが、既存のフォークソングを参考とした可能性もある。
シーガーは、『Rainbow Quest』というレコードに収めたメドレーの中で、
3番までの歌詞でこの歌を録音し、そのままこの歌を忘れていた。
その後、ジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が4番と5番の歌詞を書き加え、
1961年に著作権が登録し直された。
この歌詞への加筆によって反戦歌としての色彩が鮮明になった。

1961年、キングストン・トリオがこの曲を録音して発表した。
この曲がトラディショナルであると思っていたキングストン・トリオは、
著作権表示に自分たちの名を記したが、シーガー側の指摘を受けて、表示は正された。
キングストン・トリオ盤は、翌1962年にヒットしたが、
その背景には、アメリカ合衆国がベトナム戦争に関わり始めたことがあった。

1962年には、ピーター・ポール&マリーによってもカバーされ、こちらもヒットし、
この年(つまり初版の実に7年後)以降、同曲は反戦歌として広く親しまれるようになり、現在に至っている。

歌詞の構成・メッセージ 「花はどこへ行った 少女がつんだ」
→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」
→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」
→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」
→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、
再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。

最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、
「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、
今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なるほどね。そういう仕組みになっていたワケだ。
私は「洋楽」にうとかった為,
若い頃にこの歌を聴いても,その意味を知ろうとしなかった。
50半ばの今にして,歌詞の内容を知ろうとは・・・。

でも,生きているうちでよかったかも。
♪肥さんはどこへ行った・死んで墓に行った♪
となる前でね!

« 「花」はどこへ行った | トップページ | 『たの授』公開編集会議 2015年6月 »

「音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「花」はどこへ行った | トップページ | 『たの授』公開編集会議 2015年6月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ