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2015年5月18日 (月)

『古田武彦の古代史百問百答』を読了

『古田武彦の古代史百問百答』(ミネルヴァ書房)を読了した。
普段論文として古田さんの文章を読むのとは違い,
質疑応答の臨場感を楽しめた。

なかなか出現しない寛政原本にヤキモキする質問者に,
「・・・着々とわたしたちのの情報を惑わず,発信しつづければいいのです。
インターネットなどによる,世界への発信と共に“けれんみ”なく,自信に満ちて,
述べつづけ,訴えつづければいい。それだけのことです」

これは「肥さんの夢ブログ」の得意とするところだ。
何か知ったり,見つけたり,考えたりした時には,
すぐに世界に向けて発信する準備をしておこうと思う。。

また,なかなか動かない考古学者に対して,
「是非,皆さんから,くりかえし「聞いて」ほしい,と思います。
たとえば,「神籠石山城」を誰が造ったか。どこを「守る」ためか,など。
考古学者にとって,「無関心」であっていいはずがありませんから。
たとえば,弥生時代における「考古学的出土物の中心」はどこか。
筑紫(福岡県)と出雲(島根県)以外にありうるのか。
これも,考古学者の「目」の及ばぬはずはありません。
素人でも,「万人の目」に見えていることを,考古学者は「考えず」にいるのです。
ただ,「古田説」についての云々には限りません。
よろしくお願いします。日本の考古学者を「動かし」うるのは,
最終的には日本国民以外にはありません」と,
私たちに方法を授けて下さっている。

私にできることは,授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」の普及。
(弥生時代の考古出土物の分布から,〈邪馬台国〉の場所を推理する授業)
1992年以来20年あまり,このプランをやり続けてきた。
このプランをさらに多くの先生に知ってもらい,
また実施する際に使用するレプリカを用意すること。
それにもっともっと力を入れようと思った。
私にも「できること」は少なからずある!

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

『失われた日本』読了。
チェンバレン、また最終章末の言葉など、まことに圧巻でした。
既存の論証はかなり結論に向けて省いていますので、初めての人には飛躍と見える部分もあるかもしれませんが、先生の説のコンパクトな集大成としてまことに珍重さるべき本だと実感しました。

『多元的古代の成立 上』へ突入。古本屋で買ってずっと積読だった駸々堂版を取り出しました。

肥さんに唐突な質問なのですが、淡路島の五斗長垣内遺跡について率直な意見を聞かせてください。私自身、こんな国の史跡を今日まで知りませんでした。たくさんの鉄器を制作していた工房だったそうです。正直畿内に供給していたとは思えないのですが?

閑人さんへ
コメントありがとうございます。

閑人さんは,神戸市垂水区にある「五色塚古墳」には訪問したことがありますか。
私は,神戸の友人を訪問した際に,連れて行ってもらいました。
教科書にもよく掲載される古墳で,葺き石を整備して公開そされています。
もちろん上まで登って来ました。海峡を支配している気分を味わえるいい眺めでした。
淡路島の対岸にあり,「ここを簡単には通さないぞ~」と言わんばかりの位置にあります。
その葺き石は,対岸の淡路島から運んだようで,以下の日本書紀の神功紀がその根拠とされるようです。
近畿との関連というより,播磨との関連が濃いと思われます。
神戸や淡路島に行ける機会があったら,ぜひ訪問してみたいところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ウィキペディア」より
「五色塚古墳」の関連部分

墳丘は前方部を南西に向けた三段構築の前方後円墳で、
全長194メートル、高さは前方部で11.5メートル、後円部で18メートル、
墳丘は葺石で覆われている。兵庫県下最大の古墳である[2]。

「五色塚古墳」の呼称は、
明石海峡を挟んで対岸の淡路島西南部の五色浜付近から
石を運んで葺かれたことに由来するという説もあったが、
時間帯で変わる太陽の光によって葺かれた石が
異なる色で反射することに由来するという説も出てきている。
古墳は三段に築かれ、一番下の段の葺石は付近のものであるが、
上二段の葺石は淡路島東側で産出するものである[2]。

『日本書紀』神功摂政元年春二月の条に「播磨に詣りて山陵を赤石(明石)に興つ。
仍りて船を編みて淡路嶋にわたして、其の嶋の石を運びて造る」という記事があり、
これが、五色塚古墳に関する伝承と云われている。
瀬戸内海の海上交通の重要地点である明石海峡を望む高台に造られていることから、
明石海峡とその周辺を支配した豪族の墓と考えられる[2]。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。
遅れて返信すいません。
どうも「埼玉県の県内総生産の低さ」の方だけ返信して,
安心してしまったようです。

それにしても,あじすきさんの「読書熱」はすごいですね。
私など忙しさにかまけて,「夏休みに突入」という恐れ大です。

本当にこの「商売」は,時間をたくさん取られます。
もともと「時間がかかる」タイプの私は,
「追いついては突き放され」の連続です。
その生活も,もうゴールが見えてきましたが・・・。
早く「歴史探求」の時間を取りたいものです。
「人生は有限」ですからね!

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