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2015年3月 8日 (日)

明治の初期に、鹿児島県で何があったのか

高崎サークルの休憩時間の時,
永島さんからまた「宿題」が出された。
(前回は「学校が発明されたのは,いつ,どこの国でか」についてであった)

今回は,「明治維新の時,鹿児島県では廃仏毀釈が激しかった。
それはどうしてか?」というものであった。

私は,明治維新で新政府側になった鹿児島県では,
より「廃仏毀釈の嵐」が激しく吹いたのではないでしょうか」
とその時にお答えしたが,あとで検索もしてみた。
キーワードは「明治維新 廃仏毀釈 鹿児島県」である。

すると,こんなサイトが,上記の題名で書いていた。
鹿児島県に国宝が少ないのも,廃仏毀釈のせいかもしれないとのこと。
読んでみていただけたら幸いである。

「しばやんの日々」2010年02月07日(日)

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/32/

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仮説実験授業」カテゴリの記事

コメント

 「しばやんの日々」。読んでみました。薩摩の廃仏毀釈の激しさ。酷いものですね。同じく仏教寺院が徹底的に破壊された藩として良く知られているのは水戸藩と津和野藩。水戸藩は水戸学自体が極めて国粋主義的でしたからね。明治維新は、国粋主義的な神道や国学がそのイデオロギーでしたから無茶苦茶です。この国粋主義的イデオロギーと、文明開化に代表される西洋に習えという傾向の折り合いをどうつけるかが、明治に左右両派の中間(右:国粋主義 左:極端な欧化主義、たとえば文部大臣になった森有礼のように国語をフランス語にしろとの過激派も。彼は明治憲法発布の日の朝に、国粋主義者に殺された)にたって現実的に動こうとした人々の悩みの種が、右の国粋主義でした。廃仏毀釈に代表される国粋主義が巣くっていた政府の役所が、教部省と文部省。明治憲法はこの二つのイデオロギーのせめぎ合いと折衷の産物です。天皇のあり方などまさにそれですね。この矛盾がそのまま大東亜戦争に日本を投げ込んだのです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

ヨーロッパにおける他教に対する破壊行為もそうですが,
こういう「全面否定」的な行動って,
どうにかならないものなのでしょうか?

 宗教的イデオロギーが常に他者に対して全面否定で破壊的であるわけではありません。そうなるのは、危機的状況に置かれたとき。幕末明治維新は、内外の危機で日本が揺れていました。内政的には封建制度(遊人である武士が権力を取り、封建的地代で富を独占する)の存在自体が社会の桎梏となり、飢饉が起きるたびに、百姓町人の不満が一揆打ちこわしとなって噴出していました。そしてこれに呼応するように、西洋列強のアジア侵略が進み、隣国中国がアヘン戦争に敗れたことは、日本の支配層にとって衝撃でした。このままでは日本は潰れる! この内外の危機に対応する国家立て直しのイデオロギーとして噴出してきたのが国粋主義的な神道と国学でした。だからこれは一切の外来の物を排斥した。
 今、イスラム地域でイスラム原理主義が過激化し、他宗教を排撃しているのも同じ状況です。イスラム地域はかつての西欧の植民地。植民地時代に造られた産業構造のゆがみと社会の貧富の格差はそのまま。そこにアメリカ発のグローバル化経済に巻き込まれることで、さらにこの地域の産業のゆがみと社会の貧富の格差は拡大した。そしてネットなどの通信手段の発達とこの地域の教育文化の発達、さらには洋風化された生活への変化によって、従来のイスラム教の信仰は弱まってきました。内での地域社会の崩壊と貧富の格差。そこに湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争など、西欧世界がアラブをならず者国家と敵視して武力制圧に。イスラム世界は内外の危機に直面しているのです(アフリカもほぼ同じ。この地域で進む民主化の嵐に対して武力で対抗している独裁政権は皆、これまで欧米が支持支援してきた政権です。内外の悪は全て西欧起源)。こうなるとイスラム地域の人々は危機は全て欧米起源と認識し、この地域に排外主義的傾向が跋扈し、それが依拠するイデオロギーは、イスラム教、それも最も戒律に厳しいイスラム教原理主義に帰結するのです。そして西欧は戦後の発展の中で安い労働力として大量のイスラム系の移民を受け入れていながら、彼らを未だにに二等国民としてしかあつかわず、イスラム系移民の、特に若者の中には差別に対する不満が充満し、何年か前の暴動に発展しました。でも暴動を起こしても事態は何もかわらない。だから西欧のイスラム系移民の若者の中にも民族主義が勃興し、これはイスラム原理主義にイデオロギーとしては基盤を置こうとします。そこに宗教が人間生きて行く時の不可欠の基盤だとの意識の崩壊した西欧知識人が、未だに宗教と生活が一体化しているイスラムを馬鹿にして揶揄する。するとこれをイスラムの人はまた、西欧の弾圧と見る。
 世界経済が成長できない中で、各所で争いが置き、貧富の格差が拡大している。こうなるとどの国民族でも民族主義が国粋主義となって民族紛争が激化し、それぞれの民族が寄って立つ基盤を宗教イデオロギーに置くから、宗教対立は激化し、互いを全面否定して破壊する方向に進むわけです。宗教対立の背後にある、経済的な格差と政治的な争いを失くさないことにはこれはなくならないですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉宗教対立の背後にある、経済的な格差と政治的な争いを
〉失くさないことにはこれはなくならないですね。

やはり最後は経済に至りますか。
そのために私たちができることはどんなことなのでしょう。

キリスト教でもなく,またイスラム教でもない日本が,
逆に何かできることがあるのではないかというのが,
板倉聖宣さんや古田武彦さんから私が学んだことですが・・・。

 日本にできること。一つは表現の自由に隠れて異なる宗教を侮辱し宗教対立をあおることをやめよと発信すること。フランスの週刊誌によるイスラム教への侮辱。これに対してテロで対抗することは間違いだが、宗教は人にとって大切な価値。他人の信じるものを侮辱する権利はだれにもない。表現の自由と言っても他人を侮辱する自由はない。これはすでにローマ法皇が明言したのに、ほとんど報道されていない。日本人は宗教の大事さを忘れている。ここは西欧人と同じ。でもイスラムでもキリストでもない。日本は幕末明治から昭和前期を除いて、神仏習合に代表されるように、ことなる文化のそれぞれの良いところを取り入れて来た。とても宗教的にも寛容な国だった。もう一つは、弱肉強食の原理に立つ資本主義をやめようと言うメッセージを世界に発すること。今話題のフランスの経済学者ピケティ氏の言いたいことは、要するに資本主義って弱肉強食でしょ。その本質からして。資本主義の発展が全ての人にとって良い時代はすでに終わった。良い時代でも実は経済格差が拡大している。世界がもう経済発展で拡大できない時代にはいって、まだ弱肉強食を続ければ、世界はほんの一握りの金持ちと99パーセントの貧乏人になってしまう。弱肉強食ではなく、互いに相互互恵の経済に変えよう。彼はこう言っている。世界で最も資本主義が発展しそして行き詰った日本。だからこそこれに代わる相互互恵の経済の見本を見せられる。そしてこれはすでに始まってもいる。たとえば、都市の消費者と村の百姓が連携して、肥料と生産物を交換する制度として。これって江戸時代の日本の都市と村との関係そのものなんだけどね。そして漁民と都市の消費者が連携して、漁師がとった魚介類をネットを介して都市の消費者が直接仕入れる動きも。どちらも間にある流通機構を飛ばしている。実は流通機構が邪魔なんだ。今の仕組みは輸送と情報が後れた時代の仕組み。ネットと宅配便があれば、産直など簡単なこと。これって世界規模でも出来るんだけどね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なるほど,川瀬さんに説明されるとよくわかります。
今『たの授』誌の中で板倉さんがフリーメーソンについて連載しています。
〈自由と寛容〉についてみたいな感じでよく分からなかったのですが,
もしかしたら現在のイスラム国のことも意識されてのことかもしれません。
ピケティについても,ようやく著書が話題になっている意味がわかりました。

「ネット」と「宅配便」。
イメージが具体的でわかりやすいです。
私がよく利用するのはアマゾン。
本屋には申し訳ないですが,
最近さっぱり本屋には寄り付かなくなってしまいました。

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