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2014年11月21日 (金)

「九州には巨大古墳がない」という質問

先日の「社会の科学の授業書・読本・用語研究会」で,
落合さんから質問されたことがある。
「関西では巨大古墳が作られ充実していたが,
その時期に九州では見るべき巨大古墳がない」と。

すぐに質問にお答えできなかったが,
『阿毎・多利思北孤』(ドニエプル出版)のなかに,
それに該当する部分(P101)があったので載せておく。

「巨大古墳こそ存在していないが,
神籠石山城群,巨大な水城,軍用道路ではなかったかとみられる
版築工法でつくられた長い土塁(佐賀平野),
そして,近畿には見られない装飾古墳群などは,
九州王朝の存在なくしては説明がつかないといえます」

日本書紀は,これらの施設の建設を,
白村江の戦い後のことと伝えるが,
大敗戦(および唐と新羅の連合軍の占領)という事情の中,
それは不可能なのである。

実際C14(放射性炭素)年代判定法でも,7世紀後半どころか,
何世紀も前からの半島・大陸からの脅威にさらされた
彼らの防衛施設の建設が続けられたことが明らかになっている。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

九州には巨大古墳がないが、近畿には巨大古墳がある。従来説はこれをもって大和の権力の大きさの指標としてきました。これが間違いであることは古田さんがどこかで説明していました。近畿に巨大古墳がたくさんあるという事は、それを作った権力者には多くの敵がいたという事を示す。つまり逆に権力の脆弱さを示す指標だと。
 ここからは僕の考え方です。
 巨大古墳はいずれも前方後円墳です。九州は円墳の中心地域。方墳が多いのは中国地方。さらに円筒埴輪の出現も中国地方。そして三種の神器は北九州のもの。これらの三つの権力地域の象徴を組み合わせて作られたのが近畿の巨大古墳・前方後円墳です。
 つまり近畿の、とくに大和の権力者にとって巨大古墳とは、今だ自分の支配に抵抗する勢力に対して、自分は九州王朝の分流であり、中国地方(これは吉備です)の勢力にも支援された大いなる勢力であると、自身の正当性を強調する記念碑だと思います。
 九州はかなり早い時期に九州王朝によって平定されました。記紀の中の景行天皇の征討談が九州王朝による征服談であることは古田さんが証明しています。そしてこれは弥生時代の話。古墳という大きな墓が伝わった時期にはすでに九州は安定した統治地域だったので巨大古墳は必要なかったのだと思います。

ほかにもあったと思いますが,とりあえず『天皇陵を発掘せよ』 大古墳の研究はなぜ必要か
石部正志・藤田友治・古田武彦 編著 (三一書房)の中に,
「第二章 天皇陵の史料批判」があり,
「「前方後円墳の大小」では、「支配」か「服属」かは決められない」
と古田氏も書いています。
さらに,「前方後円墳の本質」は「服属儀礼の場である」とし,
その道具として鏡が重要な役割をしたことにふれています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 古墳          メートル     時期
和泉・仁徳陵古墳      486       中
河内・応神陵古墳      430       中
和泉・履中陵古墳      360       中
備中・造山古墳      約350       中
河内・大塚         330       中
大和・見瀬丸山古墳     318       後
大和・景行陵古墳      310       前
和泉・にさんざい古墳    290       中
河内・仲津媛陵古墳     286       前
大和・ウワナベ古墳    約280       中
大和・箸墓         278       前
大和・神功皇后陵古墳    278       前
備中・作山古墳      約270       中
大和・市庭古墳(現平城陵)約250       中
大和・崇神陵古墳      240       前
河内・仲哀陵古墳      239     前末~中
大和・室大墓        238       中
大和・メスリ山古墳     230       前
大和・手白香姫陵古墳    230       前
河内・允恭陵古墳      227       中
大和・垂仁陵古墳      227     前末~中
摂津・継体陵古墳      226       中
河内・墓山古墳       224       中
日向・オサホ塚       219       前
大和・成務陵古墳      219       前
大和・磐之媛陵古墳     219       中
上野・天神山古墳     約210     中~後
大和・桜井茶臼山古墳    207       前
播磨・五色塚        199       前
(森浩一 『古墳ー土と石の造形 保育社』より)

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