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2014年11月 5日 (水)

諏訪の御射神社には「神無月」がない!?

弥生時代の前半の列島のリーダーは,出雲の大国主だったのだろう。
旧暦の10月を「神無月」というが,出雲では「神在(あり)月」。
各地の神々(リーダーたち)を集めるほどの力を持っていた。

その中でもナンバーワンだったのは,対馬のアマテルだ。
なにしろ「1番最後に会議に到着する特権を持っている」
(アマテル神社の伝承)というのだからすごい。

それが,弥生時代半ばの「国譲り」で逆転する。
それまで家来のナンバーワンだったアマテルが,
本当のナンバーワンであった大国主から主権を奪い取ったのだ。
大国主は出雲大社に「引退」。長男は,入水自殺=美保神社の神事。
二男か三男は信州・諏訪湖に逃げた)
そして,九州北部の支配が7世紀末まで続いたのが九州王朝である。

さて,話は諏訪の御射(みさ)神社。諏訪大社の末社というが,
もしかしたらその歴史は縄文時代に遡るのではないか。
というのも,その伝承に「ご神体は大蛇で,
出雲の大神のところへは「行かない」ことになっているのだそうだ。
(「頭」だけ行ったが,「尻尾」はまだ諏訪に残っていたとも)」
そもそも諏訪には,「神無月」がないというのだ。これはどうしたことか。
古田武彦氏の「多元」124号に載っている論文の後半に出ているが,
「旧暦より古い古暦法があったのではないか」というのだ。

縄文時代最も栄えたのは,列島のどこか。
少なくともその1つの候補は信州・諏訪であろう。
和田峠の黒曜石を巡って,多くの交易が行われたとしても,おかしくない。
縄文都市とも言うべき遺跡も見つかっているし,
先ほど書いた大国主の息子が,逃げた先も信州・諏訪だった。
そこに何も暦がなかったとしたら,その方が不思議だと思う。

縄文時代(の半ば?),信州・諏訪に政治の権力
弥生時代前半,出雲王朝
弥生時代後半~7世紀末,九州王朝。日本アルプスより先は東北王朝     
8世紀初頭~現在,701(大宝元)年より,大和政権

まったく多元史観は止まる所をしらない。
私も何とか食らいついていかなくては・・・。

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