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2014年1月30日 (木)

「邪馬台国」はどこだ! 2014

今回も教科書で邪馬台国のところをやったあと,
上記の授業プランを行った。
これは次の4つの質問から構成されている。

Q1 鏡はどこから多く出土しているか?
Q2 青銅器の武器はどこから多く出土しているか?
Q3 鉄器はどこから多く出土しているか?
Q4 絹はどこから多く出土しているか?

それぞれ三択(北九州,大和,その他)で予想していくと,
自分なりの仮説を立てながら考えていけ,
「邪馬台国」に興味を持ってもらえるというわけだ。
「考古出土物からみると北九州説が有力」と考えられるが,
別に押し付けたいわけではない。
「なんとなくそう思う」から「こういう理由でそう思う」へ,
少しでも近づいてくれたらと思う。

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仮説実験授業」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
中学校の教員として日本古代史を教える場合、教科書や学習指導要領に基づいて教える必要があると思います。しかし、ブログ主のように古田説を知った方は、いかに教えるべきか、苦悩されていると推測します。

ただ、私が考えるには、現在の教科書に書かれた内容は、あくまでも日本書紀に記述された内容が正しいとする前提の基づいた“仮説”にすぎないことですね。

古田説は、もはや仮説ではなく、論証されおり、九州王朝や九州年号の存在を否定することは、できないと思います。それらを否定している論者については、もう無視するしかないでしょう。現在、古田史学の会を中心にして多くの解明がされていますが、これらの方々の研究に期待するしかないと思います。

ところで、私は、「日本紀」と「日本書紀」と異なるという見解には賛同できません。その見解の論者には、「日本紀」とはこのようなものだと証明できるものを示していただけないと、検討することができないからです。

また、私自身の推測ですが、九州王朝と大和王朝との関係でいえば、禅譲ではなく放伐だと思います。具体的な根拠はありませんが、古事記序文とは異なり、本来、天武の意思で、藤原京に九州王朝の天子を迎えたにも拘わらず、元明天皇時に九州王朝の天子を追放したのでしょう。九州王朝の天子を追放したという天武の意思に反した行為をしたため、大和王権内部で動揺が生じ、それを鎮めるために編纂されたものと推測しています。

しかし、大和王朝は称徳天皇で終わり、天智の孫と称する「光仁天皇」に皇位を継承しました。光仁天皇は、ほんとうに天智の孫だったのかという疑問があります。光仁天皇は、九州王朝の王族ではなかったのかという疑問です。

それは、次のことから疑問を持ちました。

1 九州王朝の天子の名(中皇命)が記述された万葉集は、奈良時代後半から平安時代にかけて公表されたとされていること。
2 日本書紀に作製されたとする日本書紀に系図が現存しないこと。
3 勅撰集である古今集の序文に紀貫之が、柿本人麻呂を「三位」と記述したこと。九州王朝時の官位としか考えられないですね。また、紀(ki)は、「倭(i)」に繋がるのではないか、との疑問があります。
4 桓武天皇が、弟に「崇道天皇」という称号を追号したこと。古田氏は、崇道天皇は九州王朝の天皇だとされています。
5 このブログのコメント蘭に「いしやま」さんが紹介された泉沸寺に、「天武」から「称徳」までの位牌がないこと。
以上です。



北東さんへ
コメントありがとうございます。

今回の授業の記事は,「考古出土物からみると北九州説が有力」
と考えられるということなのです。
それだけでも,生徒たちには大きな刺激ですので,
どうぞよろしくお願いします。

このブログは,いろいろな方がご覧になっています。
必ずしも,古田武彦氏や九州王朝説をご存知ない方も,
見ていただいていますので。

ただ,「中皇命」「柿本人麻呂を「三位」と記述」「崇道天皇」のキーワードには
気になるものがあります。
私にもっと力があれば,お答えできるのだと思いますが・・・。

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