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2014年1月20日 (月)

大野城の刻書木柱

大野城の木柱が発掘され,「孚石(部,郡,都)」という
3文字が刻まれているという。
古田武彦氏は大野城が倭国の首都・太宰府の
逃げ城だったところから,
3文字目は「都」という字なのではないかといわれるが,
では3文字ではどういう意味なのか,
またどう読むのかはわからない。
担当者は「うきいしべ」と読んでいたが,
浮羽という地名との関連があるのかもしれない。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

ご無沙汰しております。貴ブログをいつも楽しみに拝読させていただいています。
古田史学会報 75号で飯田満麿さん(故人)が「大野城太宰府口出土木材に就いて」において同テーマを扱っています。興味深い説ですので、すでにご存じとは思いますが、ぜひご一読ください。
飯田さんは大手ゼネコンの大林組の幹部の方で、古代建築にも造詣が深く、古田史学の会の副代表をされていました。

古賀さんへ
コメントありがとうございます。

論文名で検索したら,すぐ読むことができました。
インターネットの素晴らしいところですね。

> 「孚」「佑」「都」の組み合わせは
> 「この都に恵みあつき助けを」という切実な願望が浮かび上がる。
> 唐・新羅との外交上の圧力をまともに受けていた、
> 当時の倭国の人々の緊張した心根が、切実に感じられる刻字と納得できる。

なるほど,そういう願いがこの3文字にこめられていたとすれば,
「孚」「佑」「都」でいいような気がします。

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