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2013年11月28日 (木)

「紅葉と黄葉」から「梅と桜」へ

※ 本報告は,中国全土で見られるが,呼び方が違う「もみじ」と,
中国の中で分布の偏る「梅と桜」を扱ったものである。
自分の地域にあるからといって,どこも同じとは限らない。
ものごとを多面的・多角的に観ることが大切であるとは,
こういうことなのかなと思った。

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もみじというのを漢字で書くと,
普通は「紅葉」と書く。
しかし,昔は「黄葉」と書いたという。
どのくらい昔だったのだろうか。

中国の南朝と付き合いのあった古墳・飛鳥時代の表現・・・黄葉
北朝を引き継いだ隋・唐と付き合った奈良時代以降の表現・・・紅葉

つまり南朝か北朝かで表現が変わるわけだが,
これは気候による違いではないかとふと思った。
つまり,秋から冬にかけて気温がすごく下がる北部は赤く,
温度差が北部ほどではない南部は黄色く見えた。
だから,それを漢字で表現して「紅葉」と「黄葉」の違いとなった。
もみじに関する肥さんの仮説,いかがだろうか?

また,(九州王朝作成の)万葉集ではほとんどが「黄葉」なのに対して,
(近畿天皇家作成の)古今和歌集は圧倒的に「紅葉」だという。
これはやはり九州王朝説(近畿政権に先在して九州王朝があった)の
傍証となるものではないか。

倭国・万葉集がはじめに成立していて,
それを編集し直して日本国・万葉集としたとすれば,
合理的な理解が成り立つと思う。
(万葉集は,その他にあたる「雑歌」からスタートする
不思議な歌集となってしまっているのだ)

ちなみに,教室の外は,今やもみじが美しい。
これは「紅葉」それとも「黄葉」?

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PS 以上を書き終えて,念のために「新古代学の扉」の
サイト内検索をしてみた。
が~ん!すでに古賀さんが4年前に書いているテーマであった。
(ということは,それを私も読んでいる)
だがしかし,古賀さんと同じテーマで書いたということは,
私もまんざらではないと思い,
あえてこの文章を残しておくことにする。

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古賀達也の洛中洛外日記
第233話 2009/10/31

南朝の「黄葉」と北朝の「紅葉」

わたしは京都の化学会社に勤めているのですが、社員教育の一環として月に一度、京都大学教授の内田賢徳(うちだまさのり)先生による日本語や万葉集のセミナーを受講しています。その10月のセミナーで内田先生から興味深い史料事実を教えていただきました。
 それは、8世紀に成立した万葉集では、「もみじ」の表記に「黄葉」が使用されているが、9世紀の漢詩集などでは「紅葉」が使用されており、これは中国南朝(六朝時代、4~6世紀)に使用されていた「黄葉」と、7世紀の唐で使用されていた「紅葉」の影響を、それぞれが受けたという史料事実です。すなわち、万葉集は南朝の影響を色濃く受け、9世紀以降は北朝の影響を日本文学は受けているのだそうです。
 この史料事実は九州王朝説により、万葉集は九州王朝時代に成立した和歌を数多く含み、九州王朝が長く中国南朝に臣従し、その文化的影響を受けていた痕跡と考えると、うまく説明できそうです。対して、8世紀以後の大和朝廷の時代になると遣唐使により北朝の影響を受けだしたものと思われます。
 中国南朝が滅亡した後も、九州王朝(倭国)文学は南朝の影響と伝統を継承したのでしょう。このように、文学史の視点からも九州王朝説は有力であり、より深い理解へと導きうる仮説と言わざるを得ません。

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PS2 ・・・さらにもう1つ念のために,
「夢ブログ」のサイト内検索をかけてみた。
すると,こんなくだりが・・・。
やはり私は,古賀さんの文章を読んでいた。
そして,それに刺激を受けて「国花」問題に挑戦した。

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梅と桜~「国花」も九州王朝説を支持していた!

2009年11月3日

先日の古賀さんの「黄葉」と「紅葉」の話に刺激を受け,
(「黄葉」=南朝系,「紅葉」=北朝系)
私もかねてより気になっていた梅と桜について調べてみた。
古田史学では梅が太宰府中心の九州王朝の「国花」として意識されてきた。
万葉集の第五「梅花の宴」として,
これでもかと梅を愛でる歌が歌われている。
万葉集そのものが九州王朝における歌を
その基礎としているようだから,
これは当然のことである。

一方,近畿天皇家の花としては,
桜や菊であろう。
万が一にも梅とは思えない。

それを背景にしたのだろうが,
万葉集と古今和歌集に登場する花の割合も
大きく違うという。

日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET には,
以下のように載っていた。

「「万葉集」で詠まれた花のランキングを調べてみると、
1位は萩で141首、2位が梅の118首、3位は松、
4位は藻、5位は橘、6位は菅、7位は薄、
そして8位に桜の40首あまりが位置する。
梅のほぼ3分の1ほどしか詠まれていないのである。
これが「古今集」になると、
桜の53首に対して、梅は29首と逆転する」

2つの歌集の間の変化は,
九州から大和へ王朝の変化があったとする
九州王朝説にとって有利なように思うが,
いかがだろうか。

さらに,今朝調べてみたところ,
九州王朝にとってご主人である中国の南朝は
梅の産地である。

 「<梅の産地> カリカリ梅の赤城フーズ」には,
以下のように出ていた。

「以前は台湾での梅干用原料の生産が多かったのですが、
最近は殆どが中国へと移りました。
梅のもともとの産地は中国ですから、
中国は梅の栽培に適した土地と言えます。
中国の産地としては、 広東省・福建省・
浙江省・江蘇省 などがあります」

ちなみに,これらの4つの省はいずれも
かつての南朝の海岸沿いにある省である。

一方,近畿天皇家にとってのご主人である中国の北朝(唐)は
桜の産地といっていいところだ。

「花と風景写真 &野鳥」というサイトにはこう出ていた。

「桜は万葉時代の歌にも詠まれていますが,
その数は梅よりも少ないものでした。
それは、梅を愛でる大陸の文化に貴族たちがあこがれた ...
・分布:北海道、本州、四国、九州、
中国東北部、朝鮮半島に分布する」

中国東北部はかつての北朝(北魏)の勢力範囲
といってもいいところである。

つまり,その地域を代表する花が
その国の「国花」として意識され,
それに臣従する国も模倣したという仮説である。
この仮説,なかなかいい線いっていると
私は思うのだが,読者の皆さんはいかがだろうか。

【まとめ】

「国花」も九州王朝説を支持している。
南朝とそれに臣従した九州王朝・・・梅
北朝(唐)とそれに臣従した近畿天皇家・・・桜

※ 萩も九州王朝になじみの花と
どこかで聞いた気がする。
それはまたいつか追求してみたい。

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