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2013年11月19日 (火)

唐の「中断期」と日本の「建国」

ウィキペディアで「唐」を検索してみた。
すると,以下のような内容が載っていた。

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唐(とう、拼音:Táng、618年 - 690年,705年 - 907年)は、中国の王朝である。
李淵が隋を滅ぼして建国した。
7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、
朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた。
日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見で停止されるまで、
積極的に交流を続けた。首都は長安に置かれた。

690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、
705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、
この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。

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今注目したいのは,690~705年の16年間である。
なぜかというと,この期間に九州王朝から近畿天皇家への
政権移動がおこなわれた重要な時期だからだ。

(1)大嘗祭の主催の開始(持統天皇より。天武はほうびの授与のみ)

(2)評制→郡制(木簡による。700年までと701年から)

(3)九州年号→大和年号(701年の大宝元年が最初)

(4)702年,則天武后による日本国承認(九州王朝否認)

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