伊勢神宮スタートの背景
10月には第62回目の遷宮が完了するという伊勢神宮。
その第1回の遷宮が690年だったとすると,
20年に1回遷宮を行う伊勢神宮のスタートは670年ということになる。
この時期は663年の白村江の戦いの大敗北の直後で,
国内は大混乱だったはずだ。
それなのになぜ伊勢神宮はスタートできたのか。
いや,「大混乱なのに」スタートできたのではなく,
「大混乱だったから」スタートできたのではないかと・・・。
それは,私が「白村江の戦いでの敗戦国が大和ではなく,
倭国=九州王朝だった」ではないかと考えているからである。
(日本書紀を読むと,敗戦直後の正月を
普通の「めでたい正月」のように日本書紀は描いている)
やはり,白村江の戦いの大敗戦で,
日本の主権者は倭国から日本国=大和政権に移動した
と考える方が正しい歴史認識のようである。
(大和政権は,「斉明天皇崩御の喪に服す」という理由で,
白村江の戦いに参戦しなかったらしい)
ここで,古田武彦氏を中心とした研究会が,
各地の寺社の縁起等に残っている九州年号(倭国年号)を
発掘した成果に登場してもらおう。
それに歴史事象を併載してみる。
九州年号は本来「飛び石」年号もなく,
連綿と200年続けられてきた年号である。
(3つの年号が「飛び石」なのは,九州年号の盗用だからか)
継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)
師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)
定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間) ← 663年,白村江の戦い(倭国=九州王朝,大敗北)
朱雀・・・684~685年(2年間) 670年,日本国=大和政権が主権者に。伊勢神宮スタート
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆ ← 690年,第1回遷宮(持統天皇による) ここまで「評」を使用
↑
大化・・・695~703年(9年間)◆ ←701年,大和政権による初の年号「大宝」 ---ー
=続日本紀には改元ではなく建元記事がある ↓
~以降,「平成」まで続く ここから「郡」を使用
← 710年,第2回遷宮,平城京遷都
大長・・・704~712年(9年間) ← 712年,古事記の完成
← 「山沢亡命」の人々(九州王朝系の史料を持つ)あり
← 720年,日本書紀の完成(倭国=九州王朝の記事も取り込む)
※1 ◆は,九州年号の中から大和年号に取り込まれた3つの年号
※2 670年頃,「日本」「天皇」という言葉が使用され始めた
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