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2013年9月 3日 (火)

『旧唐書』の「倭国」と「日本国」

最近「古田史学」の話題が少ないので,
「新古代学の扉」の「洛中洛外日記」で
古賀達也さんが上記の史料を紹介していたのに便乗し,
私も書いてみる。

上記の史料は,岩波文庫にも収録されているので,
手に入れていただくとうれしい。
ぜひ自分の目で確かめてほしいからである。

かいつまんで内容を書くと・・・

【中国(唐までの)は日本列島の「倭国」と付き合ってきたが,
「倭国」が(663年の白村江の戦いで敗れて)滅んだので,
「日本国」が日本列島の代表となった】

だいたいこんな感じだろうか。
飛鳥時代の日本列島で,
驚くべき政権・大移動があったのだ。

ところが,「日本国」(大和政権)で作られた歴史書(日本書紀)には,
そのことがはっきり書かれておらず(歴史の教科書も同様),
昔から自分たちが日本列島の主であるかのような顔をしているのだ。
つまり,「倭国」(九州王朝)があったことは隠されている。

しかし,古田史学の各研究会では,古田武彦氏に学び,
真実の歴史を明らかにしつつある。

(1) 7世紀末まで「評」が,8世紀以降は「郡」を使用
(2) 200年にわたって使用されてきた九州年号と
 8世紀にスタートする「大宝」からの大和年号(以降「平成」まで)
(3) 古事記と日本書紀の比較により,たくさんの「歴史捏造」があきらかに・・・

など,これまでにもいろいろなことが明らかにされてきた。
もういくつか書くと,

(4) 『隋書』タイ国伝には,阿蘇山の近くに都があったことが出来てくる
(5) 『続日本紀』には,聖武天皇が九州年号に言及している場面あり
(6) 『続日本紀』に,かつて大分県と愛媛県との間に「国境」があった

などなど,目からウロコの事実がたくさん出てくる。
ぜひ古代史の研究を通して,真実の歴史を明らかにしたいものだ。
あなたもいっしょに学びませんか?

「新古代学の扉」

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コメント

新羅の賀正礼と唐の賀正礼を調べました。白村江を戦う九州王朝が白村江以前養老令のような賀正礼をおこなうわけがないと確認できました。調べてみてください。また多元の前号もお読みください。

上城さんへ
コメントありがとうございます。

> 新羅の賀正礼と唐の賀正礼を調べました。
白村江を戦う九州王朝が白村江以前養老令のような賀正礼を
おこなうわけがないと確認できました

ぜひ,それをここで教えていただければと思います。

最近。危惧していることの一番は他者の論を読むだけでなく元史料にあたり調べるという姿勢が各会員にないことです。私達が古田武彦に学んだのは結論だけでなく孫引きをしないーとか。必ず原資料にあたるーとか。同時代史料に重きを置くとかー。という論証方法だったはずです。

唐から賀正礼ははじまりました。新羅は対百済問題のため648年から唐の方式を取り入れます。礼服等も。日本書紀651年に新羅の使いが唐の礼服を着て来朝したので朝廷が怒り追い帰したという記事があります。
そんな 、九州王朝が賀正礼をしますか?

上城さんへ
コメントありがとうございます。

前半は「耳の痛いところ」です。
できるだけ私もそれをめざしたいです。

せっかくですので.恥をしのんで質問します。
どうぞお付き合い下さい。

> 唐から賀正礼ははじまりました。

この史料は何でしょうか?その史料の何年のできごとでしょうか?
何回も検索してみたのですが,よくわかりませんでした。

隋書には賀正礼は出現しません唐代の書ではじめて出現します大唐開元礼にもとずい
ています。

さて東京古田会の大越さんが以前書かれた多元的古代の土地制度という論文がこの事と関連してきます。お読み下さい。

日本書紀の賀正礼は701以降だとおもいます。

上城さんへ
コメントありがとうございます。

(1) 賀正礼は唐代の書ではじめて出現する(大唐開元礼)
(2) 東京古田会の大越さんが以前書かれた多元的古代の土地制度という論文がこの事と関連する
(3) 日本書紀の賀正礼は701以降である
(4) (ゆえに)九州王朝の賀正礼ではない

ということでよろしいでしょうか。

現時点で確認出来るものからかんがえるとそうなります。
九州王朝の賀正礼であることを指し示す有力な仮説がないように思います。解釈だけで成立させてはいけません。九州王朝説は解釈だけでなりたつてはいません。同時代文献にしっかりした根拠を持っている学説ですよね。解釈と論証を混用しないことが大事だと思います。おつきあい有り難うございました。

上城さんへ
コメントありがとうございます。

つい「九州王朝説で考えた方が合理的である」
という誘惑にかられる私ですが,
解釈にとどまることなく論証できるように心がけていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。

PS 上城さんの論文=「「学問の方法」について」(多元116号)を,
あらためてもう1度読ませていただきます。

三國史記においては、真徳王3年648年に新羅唐の礼装を採用。5年賀正礼始まる。とあります。
仮説をたてるのは、良いことです、しかし過程があやまつていて、結論が正しいなどということはありません。前提のたて方が大切、前提自体の検証が大事だと思います。
古代日本のハイウェイの着実な研究楽しみにしています。

アドバイスありがとうございます。
ご期待に沿えるように頑張りたいと思います。

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