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2013年7月31日 (水)

「東山道武蔵路」の教材化

今年の社会科部員現地研修会で
私が上記の題名で講師を務めさせていただくという話は,
すでに夢ブログに書いた。

忙しい部活動の合い間をぬって,
資料のコピーなども進めてきた。
南陵中の校庭で発掘された東山道武蔵路が,
実は「全国に6300キロにわたって張り巡らされた
古代日本ハイウェーの一部であった」というところが
今回の肝となるところである。

もちろん私の「正解」は九州王朝がその建設主体であり,
白村江の戦いでその政権が滅亡してしまったということなのだが,
「謎解き」をしてしまった方がいいのか,「謎のまま」がいいのか,
講師の悩むところではある。

参加者の何人かは古田史学のこともご存知で,
私の書いた「古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した
軍用道路か?」という文章もご存知である。
しかし,大部分の先生(10人)は九州王朝説は初耳で,
あまりそれを強く出すと「驚き過ぎてしまう」ということにもなる。
そこで,5W1Hというものを使おうかなと考えているところだ。

歴史事象         平安京遷都        東山道武蔵路

When(いつ)        794年           7世紀半ば頃(出土した土器の様式により)
Who(誰が)        桓武天皇          (不明)
Where(どこで)       京都             全国            
What(何を)        都を              直線的・12mの幅の道路
How(どのように)     遷都することによって   (不明)
Why(なぜ)したのか   仏教勢力から切り離す  (不明)

考古学的な資料がますます増える中で,
史料的な資料は「続日本紀」の771年の記事が初出なのだ。
しかも,それは「コースの変更」の記事であって,
最初に建設する際の命令(詔勅?)は出てこない。
ことは近所の私道の話ではない。
全国を巡る6300キロにも及ぶ長大な道路のことなのだ。
それを不問にしておいて,「コース変更記事」だけが載っている。
これはもう「誰が建設したかわかっているが,それは言わない」と
言っているのと同じだと私は思っている。

ちなみに,東山道武蔵路は武蔵国分寺と方位が一致していない。
しかし,国分尼寺とは一致しており,私は国分尼寺の方が先にあり,
その後国分寺が立てられて「ペアの寺」ということで
国分尼寺が位置づけられたと考えている。
(あと,国分寺の中にあったと言われる七重搭も,方位から言って
国分尼寺と同じく国分寺より前から建てられていたと思われる)

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