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2013年6月10日 (月)

岩手震災ボランティア 3/27~30 (後編)

神戸で塾の先生をなさっている田辺さんから,
昨日「岩手震災ボランティア 3/27~30」の報告が届いた。
私が知人6名と宮城県を訪ねた少し後,
田辺さんも岩手県にボランティアに行っていたというわけだ。
その後編を転載させていただく。

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(前偏より続く)

「大槌町まごころ農園」

29日は大槌町小槌のまごころ農園の作業に参加。バスで大槌町の小槌川沿いをさかのぼっていくと川治いに数棟ずつというふうに仮設住宅が建っている。まごころ農園があるのは、小槌第4仮設団地の近く。集会所でトイレをお借りすると「お茶っこ」(お茶会)が行われていた。まごころ農園はもとは休耕地で荒地であったところを遠野まごころネットが地主さんの許可を得て、雑草などを取り除き、整地し、区画分けし、市民農園として、周辺の仮設団地の人々に貸出し、家に閉じこもりがちな人が身体を動かし、作物を栽培する喜びも味わうというもので、昨年度は41名の方が菜園で作物を作られたという。また、可能ならば、この農園が就労まではいかなくても、仕事の一部になればということも考えている。

「奇跡の籾(もみ)」

大槌町安渡地区は津波でほとんどの家屋が流されてしまったが、高齢の女性のKさんのお宅に、もみが3粒流れ着いて、それが芽を出し、3株の稲が実った。Kさんは実ったもみを知人で信頼のおける高齢の男性Uさんに2株分を託された。Uさんはそのもみから441粒のもみを栽培された。そのうち、約150個、5,4kgが今年再び苗から稲へと成長しようとしている。今日のボランティア・リーダーのMさんの話を聞いて、作業にかかろうとするとUさんも農園に来ておられて、苗代の準備にかかろうとしておられるようだった。「がんばってください」と声をかけると「もう年だからがんばりすぎないようにやらないとね」という素敵な言葉が返ってきた。

ひとまず、Uさんとお別れして、秋から冬にかけて用水路に入った枯れ葉を取り除く作業にかかる。川の下手の方から上手の方にさしかかると枯れ葉がどんどん増えてくる。かなりの量の枯れ葉だ。今日のメンバーは10名で昨日のYouth for 3・11の大学生たちが中心。今日も「ファイト!」「オウ!」という元気な掛け声が山にこだまするように響いてくる。一番上手の川と水路がつながっているところの枯れ葉を取り除くとどんどん冷たい水が下手に流れてくる。水が止まりそうになると交互に10人で連携して、さらに丁寧に枯れ葉を取り除き、水がぐんぐん下手の水路に流れてくる。1時間ほどでまごころ農園の手前の水門のところまで水が流れ着く。まだ流れてくる枯れ葉を川の本流の方へしばらく流して、枯れ葉がほとんどなくなったところで水門を開ける。水は勢いよく水門の中へ。

土手を上がって見るとまごころ農園の脇の水路に水が勢いよく流れていく。水の流れ具合を確かめながら、水路沿いを下手に歩いていくと小槌第4仮設住宅横の水溜りのところから道路の下の土管を通って、小槌川に水が勢いよく流れていく。Youth for 3・11の東大阪から来たIさんの「達成感がありますね」といううれしそうな言葉にこちらも思わず笑顔でうなずいた。Uさんも水路が流れるのを見て、とても満足そう。「農作業は午前だけにしているから」と言って帰って行かれる。

「仮設商店街」

11時半、私たちも少し早いが、昼食に行くことになって、仮設の「わらびっこ商店街」の中にあるそば・うどんなどの麺の店にバスで向かう。初老のおばさんが店を一人で切り盛りされている。10人がそれぞれ注文をして、おばさんが段取り良く、一人ずつ丼を手渡していく。私は中華そばを食する。おいしい。みそのついた焼きおにぎりの評判も良かった。食後、仮設商店街の駐車場のところで、リーダーのMさん他数名でおしゃべり。Mさんによると大槌町には5か所ほど仮設商店街があるとのこと。津波で沿岸部は住めなくなっているので、川沿いの山間部や高台に仮設住宅は建設されている。大槌町の場合、特に1か所に何十棟という仮設団地を造る土地がないので、50か所近い小仮設団地があるようだ。車を持っている人はいいが、そうでない人は近くに仮設の商店街があるか、訪問車両による販売に頼らざるをえないことになる。仮設商店街がどれだけ繁盛しているかは、はっきりわからないが、仮設商店街を必要としている人が多いのも事実だろう。

「新しい菜園作り」

午後からは現在の家庭菜園のとなりの敷地に新しい菜園を作る作業をやる。すでに畑が畝になっているところに準備してあるたい肥を運んで広げていく作業。こちらも分担して、たい肥をネコ(手押し車)に入れる者とたい肥を畝まで運ぶ者に分かれて、作業はどんどん進んで行く。たい肥を運び終わると全員でたい肥を畑の畝全体に広げていく。この作業も1時間ほどで終わり、2時過ぎには、道具の水洗いと片付けも終わり、大槌町を後にする。遠野にも3時半ごろ着いて、2日間活動を共にしたYouth for 3・11の大学生のメンバーに別れを告げる。彼らは日曜日(31日)に帰省するとのことだった。

「バスで買い物に」

3月30日、昨日でボランティア活動は終わり、今日は昨年活動した大槌町赤浜地区にまず出かけてみることにする。JRで釜石駅まで行き、釜石駅から赤浜行きのバスに乗る。バスが大槌町に入る手前に再建されたショッピングセンター・マストがある。これまでと違い、ここにもバス停が設けられている。ここで、バスに乗っていた多くのお客さんが降りる。行きも帰りもここで下車する方、乗車する方がかなりおられて、バスで買い物に行く必要がある方が少なからずおられることに驚く。バス代も300円から400円はするので、決して少額の負担とは言えない。大槌町に入ったところで、バスの乗客は私一人になった。バスの中で「利用者が少なくなりすぎると路線が廃止される可能性がありますので、できるだけ利用してください」という放送が流れているのもうなずける。安渡地区、赤浜地区とバスは高台の細い道を走る。土地の低いところは更地になっていて、人が住んでいない。津波の被害のなかった家や仮設団地は高台にあるので当たり前だが、高台脇の道路を走るバスに乗ってみると改めてそのことが実感される。

「大槌町赤浜地区」

10時、赤浜の終点に到着。高台から赤浜の市街地に下りていくとほとんど一面更地の景色が広がる。はまゆり号が乗り上げていた白い建物と蓬莱島(ひょっこりひょうたん島のモデル)が見える景色も昨年と変わっていない。

堤防のところまで行き、堤防に登ってみると、蓬莱島の左手前陸側に大量のガレキが積み上げられていて、ショベルカーでそれを移動させていた。

赤浜港の埠頭のところには、数台の車が止まっていて、観光客らしい人が蓬莱島や海の方を眺めているが、しばらくすると帰っていく。赤浜地区には他に観光できるところもないし、お店もほとんどないので仕方がない。港を西の方に行くと漁師さんの一家らしい3名の方が作業しておられ、かごを見るとわかめが入っている。でも、今日の仕事はもう終わりという感じ。漁港には漁船が何艘か停泊しているが、漁師の方ともほとんど出会わず、仕事の復興の具合もよくわからない。白い建物のところまで戻って、去年活動したところに行くが、去年と全く変わった様子がないほど、そのままの状態である。赤浜地区は低地には住宅を建てないと決まったときいたので、当然といえば、当然のことか。

「赤浜でイタリアン」

1軒だけ小学校前の低地で昨年、喫茶店をしておられた初老の女性がおられたので、そこを訪ねるとその女性はもうお店はやっておられないようで、集会所になっている。

その横にきれいな小さなイタリアンのレストランが建っている。中に入って、スパゲッティを注文する。この店は今年の2月に開店したばかり。土曜日の11時で、若いお客さんのグループが7~8名いる。できれば今の赤浜の様子を尋ねてみたかったのだが、そういう雰囲気でもなかったので、スパゲッティを食べて、早々に店を出る。スパゲッティのペペロンティーノは鶏のささ身と水菜が入っていて、とてもおいしかった。今回の旅の中での一番のごちそうだった。他にほとんど店のない赤浜とこのイタリアン料理店のギャップをどう埋めてよいのかわからなかった。あるいはこの若い人たちのお店が赤浜の復興への1つのきっかけになるのだろうか。
http://otsuchinews.net/article/20130322/414

「まだガレキの選別!」

次に向かったのは、大槌町沢山地区。私が2011年5月に初めてボランティアをした場所。バスの便がないので、赤浜から海岸線の道路沿いを歩く。道路の右手は更地で、高台には家。

左手はガレキが平らに整地されているので、「土地のかさ上げですか」と近くにいたガードマンの男性に尋ねると「ガレキの選別です」という返事が返ってくる。確かにショベルカーが端の方で平らに整地されたガレキを崩している。

道路をひっきりなしに大型のトラックが走っている。選別されたガレキは比較的近くの沢山地区手前の広い土地にトラックで運び込まれている。

「大槌町沢山地区」

旧大槌北小学校北側から沢山地区に入る。目指すのは最初にボランティアに行ったAさん宅。大槌北小学校の体育館は西側の壁だけがなくなり、大きな空洞のようになっている。Aさん宅に近づくとAさん宅のそばに向かう道が1本なくなっている。沢山地区には高台に向けて避難道路ができるという計画がほぼ決定しているとのことなので、その影響か。Aさん宅は隣の作業小屋が建っているだけで、本宅の礎石はそのまま。左隣の幼稚園は取り壊され、全くの更地となっている。沢山地区で何度も手を合わせ、立ち去る。

「福幸きらり商店街」

そのあと、大槌北小福幸きらり商店街へ。去年、お話しした高齢の男性の店をお訪ねし、大判焼きを食す。残念ながら去年お話しした店主の男性はおられなかったが、奥さんにお尋ねすると「元気にしています。用事があって出かけています」とのことだったので、ホッとして店を出る。スーパーで大槌産で現在、盛岡の酒造会社で製造されている「純米酒 浜娘」があったので、うれしくなって、購入する。遠野まごころネットが無料休憩所として運営していた「きらり駅」がなくなっている。後日、まごころネットに問い合わせてみると地元の商店街の方々の意向で地元で入りたいテナントさんもあるため、昨年12月で撤退したとのことだった。ただ、そのスペースが空室のままになっていたのが、少し気がかりだった。今日はほとんど地元の人とも話らしい話もできず、バスの時間が近づいたので、復興きらり商店街を後にする。いつものバス停に向かうと旧大槌町病院は礎石を残して解体されていて、大槌川の方まで見通せる風景になり、バス停も「大槌橋」と名前を変えていた。バスを待っている間に道路の向かい側の建物の礎石がショベルカーで取り壊されて、トラックで運ばれていた。

「復旧から復興へ 鈍い復興


釜石市、大槌町と見てくると、昨年と全くといっていいほど変化のないところ、またガレキの山がまだたくさん残っているところがあり、更地も礎石が残っている所が多かった。復旧がようやく終わりにさしかかったという感じだ。その一方、建物の解体がだいぶん進んだ釜石市街地の様子や「釜石4棟54世帯の災害復興住宅が完成。抽選で5月初めに入居予定」(3月27日NHKニュース)、「宮古市重茂で3月25日県内初となる高台移転先の宅地造成完了。早ければ、4月末に住宅建設開始、年内の入居を見込んでいる」(3月26日岩手日報)などを目にし、耳にすると復興がようやく進みはじめたのかなあという気もする。いわて復興ウォッチャー調査第5回(2月実施)「生活の回復に対する実感が『回復した』と『やや回復した』が合わせて45.1%、前回調査(昨年11月実施)を5.6%下回り、初めて低下した」という岩手日報3月28日の記事を見ても、この1年の復興がすごく鈍いものであったという気がする。私のボランティア活動の限界もあり、人々の心にこの2年間にどのような変化があったのかは想像の域を超えているが、人の心に夢をもたらす復興は少しずつ進んでいくしかないのかなとも思う。

「忘却しないこと」

私たちにとって大切なことは忘却しない、忘れ去らないことである。震災の風化、ましてや原発事故や福島の風化まで危惧されるこの状況こそ忘れてはならないのではあるまいか。

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2日間にわたって,「岩手震災ボランティア」の記録を
転載させていただいた田辺さん,ありがとうございます。
最後の結論=「忘却しないこと」というのは私も同じで,
そのために1年間のなかで何か彼らと関われることを考え,
体を動かし,気持ちを伝えるということが1番なのかなと思う。
それがボランティアという形をとるか,支援コンサートするという形をとるか,
現地の生産物を購入するという形をとるか,旅行するという形をとるか,
それは人それぞれでかまわない。
何らかの関わりを持って東北の人たちとつながり,
「忘れていませんよ」を伝え続けることが,
長い支援にもつながり,最終的に実りのあることではないかと思う。
田辺さん,今後ともよろしくお願いしますね!

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コメント

はじめまして。中国からアクセスしています。
埼玉県の赤門塾の情報を調べていたら、ここに当たりました。
学校の先生なのですね。

いいお話をよませていただきました。
被災地の物資支援に参加した経験があるものの、
被災者が本当に必要なものだったのか、
私たちの一方的なおせっかいだったのか悩む日々です。

被災者が本当に必要な物ってなんなのでしょう?

ms-asiaさんへ
コメントありがとうございます。

埼玉で中学社会の教員をしております。
中学時代以来赤門塾にお世話になり,今に至っています。
今回岩手震災ボランティアに出かけられた田辺さんとも,
赤門塾の縁を通して知り合いました。

震災後1年半の間「私ができる支援って何だろう?」と考え,
とりあえずできるカンパには応じてきました。
昨年の夏に被災地を実際に訪れ,「今の現状を中学生たちに
写真や話で伝える」というボランティアが私のできることだ」と気づき,
それ以来毎月のように出かけました。
(2012年8月~2013年3月まで7回)
学校だけでなく,ブログでまず伝えることもしました。

〉 被災者が本当に必要な物ってなんなのでしょう?

その答えは人それぞれ違うと思いますが,
「忘れられるのが1番怖い」ということを聞いたことがあるし,
逆に「忘れていないよ」と体を動かして伝えることが
今大切なことなのかなと思っている次第です。
よろしかったら,また訪問して下さいネ。

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