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2013年3月14日 (木)

平安時代の「駅鈴」奉納

寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際
諸国の大社四十八社に奉献された駅鈴は,
2個ずつだとすると合計96個にもなる。
(2個というのは,馬の両側に付けるものだったから?)

しかし,古代から取っておいたものを
わざわざこの時奉納するというのは考えにくいのではないか。
これは史料で調べてみなければならないが,
新たに鋳造したものを奉納する方が想像しやすい。
もらう方だって新品の方がうれしいのではないか。

しかし,駅鈴の形は「それらしい形」をしているので,
そのモデルになるような絵や図が
その頃もあったということにはなるだろう。
また,駅鈴がどういうものであるのかということも
認識された上で鋳造されたのではないか。

もしそうなら,隠岐の2個の駅鈴とは
やはり別物という気がする。

隠岐・・・九州王朝の駅鈴が,壷の中で奇跡的に保存されたもの
96個の駅鈴・・・平安時代の新たな鋳造

これが私の現在の考えだ。

【参考】

「ウィキペディア」の後一条天皇の項には・・・

「一条天皇の第二皇子。母は藤原道長女中宮彰子。
その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、
道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。

長和5年2月7日(1016年3月24日)、8歳で即位したため、
道長が摂政となり権勢を振るった。
道長の娘で叔母にあたる威子を中宮とし、
この時代には珍しく他の妃を持たなかったが、
皇子女は内親王二人のみで世継ぎの皇子にはついに恵まれぬまま、
29歳の若さで崩御した。
『栄花物語』によると飲水と痩身の症状の記載があり、
糖尿病によるものと考えられている。
遺詔により、喪を秘して敦良親王への譲位の儀を行ったとされている」

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