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2013年3月 8日 (金)

天皇屋敷

「奈良の名所・古跡」というサイトに,
気になる記事を見つけた。

「崇峻天皇陵」という項目のところに,
「第32代崇峻天皇の倉梯岡上陵に治定される約15mの小円墳です。
崇峻天皇の位牌を祀っていた柴山山「金福寺」の地を倉梯柴垣宮跡とし
小字名が「天皇屋敷」だったことから、安政2年(1855)に、祟峻陵に比定
文久2年(1862)に修陵
明治22年(1889)に宮内省が陵地に比定しました」 とありました。
※奈良県桜井市大字倉橋

どこが重要かというと,
小字名が「天皇屋敷」
というところだ。

何でそれが問題となるかというと,
古賀達也さんの「古代九州王朝の真実」(2001年)という論文の中に,
「また、三瀦の大善寺には「天皇屋敷」という屋敷があったことが
『太宰管内志』に紹介されているし、
九州王朝の末裔とされる稲員家系図(高良玉垂命の子孫)には、
「○○天皇」「○○天子」といった名称が見える。
さらに、久留米市山川町には高良玉垂命の九人の子供が
「九躰皇子」という尊称で祀られている。
これらは、九州王朝筑後遷宮説の傍証ともいえる史料である。
万葉集にも次の歌が見え、三瀦に都が置かれたことを示しているようである。
「おおきみは 神にしませば 水鳥のすだく水沼を皇都となしつ」
『万葉集』巻十九 四二六一 作者不明」
と書かれていたからだ。

九州王朝の天子の「皇居」を天皇屋敷と呼んだとすると,
崇峻天皇は九州王朝の天子だった可能性がある!?
なお,崇峻天皇は推古天皇の前代の天皇
という形で「日本書紀」に登場するが,
蘇我馬子によって592年に暗殺されたとされる。

「遺跡ウォーカーβ」というサイトの中には,
「天皇屋敷古墳
福岡県久留米市大善寺町宮本村西
古墳(円墳)」とあった。

インターネット検索は,本当に役に立つ。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

古田史学の会の古賀さんにもお知らせしたところ,
さっそく返信いただきました。
「多元的地名論」として検討したいとのこと,
尊敬する研究者の古賀さんにも興味を持っていただけて,
うれしい限りです。

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