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2013年3月11日 (月)

駅制と伝馬制

古代には,駅制と伝馬制の2本立てでやっていたとされるが,
その2つの制度の間には大きな違いがある。
「戦時」と「平時」といってもいい程だ。

そこで,九州王朝が白村江の戦いの前に建設したものを駅制,
白村江の戦いの後大和政権がそれを縮小して利用したものを伝馬制と仮説を立て,
ウィキペディアの中から気になる言葉を太字にして,今後の研究の役に立てたい。

私のアイデアでは,駅鈴は戦時の九州王朝の時代の道具であり,
平時の大和では伝符を使用したので駅鈴は使用していない。
なので,壱岐で壷の中に隠されていた2個の駅鈴は
九州王朝の物証ということになる!?
興味のある皆さんといっしょに研究できたらうれしいです。

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駅制 [編集]

駅制(駅路)は中央と地方との間相互の緊急情報伝達を主眼としたシステムであり、
そのため中央から地方へのびる幹線道路たる駅路と駅路沿いの駅家が整備され、
情報伝達者は駅鈴を携帯し、
駅家に各5 - 20匹置かれた駅馬を利用して駅路上を通行していた。
木簡などの通行手形から官道自体も固定的なものでなく、
便宜に応じて、駅家の再配置も行われ、時代によりコースを変えていった可能性が高い。

目的地に最短距離で到達するように直線的路線をとって計画的に敷設され、幅10メートル前後の大道であった。
七道のそれぞれに駅路が引かれ、30里(約16キロ)を基準に 駅家(うまや・やくか)を配置し、
定められた駅馬(えきば・はゆま)を置き、駅使の休憩・宿泊に備えた。
駅家は既存集落とは無関係に計画的に配置された。
駅路はその重要度から、大路・中路・小路に区分されたが、
中央と大宰府を結ぶ山陽道と西海道の一部は、外国の使節が通行し宿泊する事が想定されたため、
七道の中で唯一の大路に格付けされ最重視された。

また中央と東国を結ぶ東山道・東海道が中路、それ以外が小路とされていた。

伝馬制 [編集]

伝馬制(伝路)は駅制と異なり、使者を中央から地方へ送迎することを主目的として、
特命任務を帯びた使者を中央から地方へ派遣するための制度として想定されていた。
中央から地方へ派遣される使者は、伝符を携行し、
郡家ごとに5匹ずつ置かれた伝馬を乗り継ぎ目的地へ到達した。
使者の位階に対応して使用可能な馬の数が決められていた。
伝符に使者の位階を示す刻みがつけられ
それにより判別可能であった。使者の宿泊や食糧などは、郡家が負担することとなっていた。

日本ではもともと国造などの地方豪族が分担した交通制度があり、
これをもとに主に国府と郡衙・郡家を連絡する路線として整備した。
駅制は令に詳細な規定があるが、伝制は令にほとんど記載がないため
従来その実態の解明が遅れていた。

伝制に基づく伝馬は郡家に置かれ、伝使(公用旅行者)の宿泊と食料の供給を行った。
伝馬は郡家間を繋ぐ道路を通ったと思われるので、これが伝路と呼ばれている。
郡家は旧来の地方中心地に置かれることが多く、これを結ぶ道路は古くから存在していたが、
これを改良して幅6メートル前後の直線道路にすることが多かった。
「事急ならば駅馬に乗り、事緩ならば伝馬に乗る」(『公式令集解』)と、
緩急二本建ての構想であったようである。

伝馬は、郡家ごとに官馬(かんま、軍団の馬)から一律に五匹ずつ充てられた。

実際例としては、覓珠玉使、中宮職促稲使、検舶使、流人、流人部領使などがある。
しかし、律令制初期から、新任国司の赴任交通手段として伝馬を利用する事例が見られ始めると、
平安時代初期までに、伝馬制は新任国司赴任のための専用制度になった。
10世紀初めに編纂された『延喜式』に伝馬を置く郡が列挙されているが、
新任国司の通過路線に限定して伝馬が設置されるようになったことがわかる。

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【まとめ】

駅制・・・戦時用の軍用道路。必ず通行に「駅鈴」が必要。
  (壬申の乱の際にも.それが効果的に登場しますね)

伝馬制・・・唐と新羅の進駐軍に対する「武装解除」もあって.
   かつての軍用道路の幅を削って利用し.行政道路とする。
   平時なので「駅鈴」は必要でなく.「伝符」でよい。
   (白村江の敗戦以降は「平時」となったので.
   「駅鈴」は必要なくなった,あるいは唐と新羅の手前
   「戦時」用の「駅鈴」は使用できなくなったのではないか)

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