« 58万アクセス達成 | トップページ | 昨日の部活動 3/11 »

2013年3月12日 (火)

過所

「律令」には,旅行者は「過所を携えて・・・」という件がある。
過所とはいったい何だろうか。
とりあえず「ウィキペディア」の助けを借りる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過所

過所(かしょ)とは、中国の漢代より唐代の頃に用いられた通行許可証。
律令制の日本でも同様のものが用いられた。

漢代には、過所を「傅」や「棨」(啓)、「繻」とも称した。
漢代や晋代の過所は、中央アジアや敦煌で発見された木簡中に見つかっている。

唐代では、唐令が完全には伝わらないため、その遺文は伝存していないが、
日本の令の中に規定されているので、それによって、唐令も類推される。
但し、滋賀県大津市の園城寺(三井寺)には、
入唐僧である智証大師円仁が使用した過所が2通伝来しており、
国宝に指定されているので、唐の過所の実例を見ることが出来る。
それは、大中9年(857年)に尚書省と越州都督府とが交付したものであることが判る。
また、その形式と内容は、日本令(公式令)に規定されるものと酷似している。すなわち、

交付元の官庁名が記される。1通は尚書省司、1通は越州都督府。
旅行者・従者の身分、姓名、年齢、携行品。
行き先。
旅行目的。
交付申請。
申請に対する審査。
交付年月日。
交付官司の官職名、氏名。
これらが、過所に記載される内容となる。

越州都督府の交付した過所には、「円仁は、越州の開元寺を出発し、
洛陽・長安・五台山を巡礼し、再び開元寺に帰還する予定である。
その往還の州県にある関津などで、官司に咎められないよう、
交付申請を行なう」と認められており、
越州都督府は、その内容を審査した上で、発給を認可した旨が記されている。
また、末尾には、円仁が潼関を通行した際に、
確認した関吏の官職・氏名・年月日が記されており、
そこには、官吏のサインである自署(花押)が記される。
実際に、今日のパスポートと同様の役割で使用されたことを示す資料である。

その他、『入唐求法巡礼行記』には、円仁が受給した過所・公験が写しとられている。
また、1965年になって、敦煌莫高窟中の第122窟の前で、過所の写しが発見された。
それは、僅か7行の断片ではあるが、天宝7年(748年)の紀年が見られる。
さらに、1973年には、トルファンのアスターナ石窟中の509号墓から、
開元20年(732年)の、ソグド商人の石染典ら一行が使用した過所の現物が発見された。

また、唐代には、過所に類した公文書として「公験」があり、
宋代の後半には「公憑」や「引拠」と呼ばれた。
清朝では、「路引」(旗人)や「口票」(庶民)と呼ばれる旅券が用いられた。

日本でも公式令・関市令などに規定が存在し、
官民が関所を通過する際には所属する官司・本貫地のある
国司・郡司に対して過所の請求を行い、
往復する場合には途中の国司に往路の過所(来文)を示して請求した。
関の役人(関司)は通行者から過所を呈示を受けて、その内容を記録(録白案記)した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

円仁は平安時代の僧だが,中学の歴史教科書には出てこない。
『入唐求法巡礼行記』も手に入れたいし,
滋賀県大津市の園城寺(三井寺)にも行ってみたい。
国宝にもなっている「過所」の実物を見てみたい。

« 58万アクセス達成 | トップページ | 昨日の部活動 3/11 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 58万アクセス達成 | トップページ | 昨日の部活動 3/11 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ