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2013年2月26日 (火)

摂津職

古代史研究の基本は,
徹底した文献の史料批判と考古学的事実の一致が
基礎となると思うが,
先日の古賀達也さんの講演会は
まさしくそれを地でいくものだった。

なかでも出色は「摂津職」。
摂津といえば大阪府の一部の旧国名だが,
もともと「津を摂る」(港湾を管理する)という
言葉から来ているものである。

しかし,周りを海で囲まれている我が国のこと,
そんなことをいったら日本国中「摂津職」だらけに
なってしまうというわけだ。

だから,「摂津」という名前は「特別な港」=
首都やそれに準ずる都市(副都)などに使われてこそ
意義があると言えるだろう。

実は「日本後紀」のなかに,次のような件が出てくる。
(桓武天皇・延暦18年=799年12月)

甲戌甲斐國止弥若虫。久信耳鷹等一百九十人言。
己等先祖。元是百済人也。仰慕聖朝。航海投化。即天朝降綸旨。
安置摂津職後依丙寅歳正月廿七日格。
更遷甲斐國自爾以来。年序既久・・・

この中に出てくる「丙寅」の年は,666年のことである。
すると,そのころすでに「格」(律令)があったり,
それにもとづいて「摂津職」があったり,
大和一元史観の人にとっては大変都合が悪いことになってしまう。
何しろ大宝律令(701年)より前のことである。
だから,「飛鳥浄御原令にあったのでは?」などという
言い訳をせざるを得なくなるのだ。(いったいどこにあるの?)

しかし,多元的に古代を理解しようとする九州王朝説の人は困らない。
九州王朝の定めた律令(磐井の律令以来の)があるのだから,
その下位概念の「格」だってあっていいことになるのである。
この件は,聖武天皇が図らずももらしてしまった
「白鳳」「朱雀」の2つの九州年号と似たケースと言えるだろうか。

話を元に戻すと,摂津とは港を守るという意味。
それも首都か副都に近接する港を守る重要な役割である。
では,その対象となるような都が近くにあるのか?
実は「前期難波京」がそれにあたるのではないかと
古賀さんは考えている。九州王朝の副都としてだ。

これは大変魅力的な説だと考える。
私が以前書かせていただいた古代日本ハイウェーも,
関西ではここを基点にしていたのではないか?
また,鎌倉時代にも都の鎌倉の出先機関として,
京都に六波羅探題を置いてにらみを効かせていた。

古賀さんは土器編年(の矛盾)からもアプローチしている。
文献と考古学両面からの古代史研究を,
私も支持し応援していきたい。

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