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2012年12月10日 (月)

柴田紘一郎さんの年図

明日までに柴田紘一郎さんの年図を作りたいのだが,
間に合うかなあ。
ちょっと気がつくのが遅すぎた!( ̄Д ̄;;

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柴田紘一郎さんの年図

1940(昭和15)年 [0歳] 宮崎県に生まれる

1941(昭和16)年 [1歳]

1942(昭和17)年 [2歳]

1943(昭和18)年 [3歳]

1944(昭和19)年 [4歳]

1945(昭和20)年 [5歳] 幼稚園入園 幼①

1946(昭和21)年 [6歳] 幼②

1947(昭和22)年 [7歳] 小学校入学 小①

1948(昭和23)年 [8歳] 小②

1949(昭和24)年 [9歳] 小③

1950(昭和25)年 [10歳] 小④

1951(昭和26)年 [11歳] 小⑤ この頃,祖父よりシュバイツァー博士の伝記
 『アフリカの父』をもらう。また、漫画『少年ケニア』に夢中になる。

 シュバイツァー博士は、30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、
 アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、
 当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。
 「生命への畏敬」への哲学などでも知られ、世界平和にも貢献。
 「密林の聖者」とまで呼ばれている。
 マザー・テレサやマハトマ・ガンディーと並び、
 20世紀のヒューマニストとして知られている

 また、『少年ケニア』は、アフリカのケニアを舞台に、
 孤児になった日本人少年ワタルが
 仲間のマサイ族の酋長やジャングルの動物たちと冒険をする物語。
 1951年10月7日から1955年10月4日まで
 『産業経済新聞』(現:産経新聞)に連載されていた。
 『少年ケニヤ』は大人気となり、映画化、テレビドラマ化、
 漫画化、アニメ映画化なども行われた。

1952(昭和27)年 [12歳] 小⑥

 さだまさし(本名・佐田雅志)が長崎県に生まれる。
 ちょうど12歳違うので,柴田さんと干支(えと)同じ辰(たつ)

1953(昭和28)年 [13歳] 中学校入学 中①

1954(昭和29)年 [14歳] 中②

1955(昭和30)年 [15歳] 中③

1956(昭和31)年 [16歳] 高校入学 高①

1957(昭和32)年 [17歳] 高②

1958(昭和33)年 [18歳] 高③

1959(昭和34)年 [19歳] 浪人?

1960(昭和35)年 [20歳] 長崎大学医学部に入学 外科医を志す 大①
 
1961(昭和36)年 [21歳] 大②

1962(昭和37)年 [22歳] 大③

1963(昭和38)年 [23歳] 大④

1964(昭和39)年 [24歳] 大⑤

1965(昭和40)年 [25歳] 大⑥

1966(昭和41)年 [26歳] 長崎大学附属病院インターン(研修医) 研①

1967(昭和42)年 [27歳] 研②

1968(昭和43)年 [28歳] 研③

1969(昭和44)年 [29歳] 研④

1970(昭和45)年 [30歳] 研⑤

1971(昭和46)年 [31歳] アフリカのケニアに医療援助(青年海外協力隊)に行く。
ナイロビを中心に巡回医療
 さだまさし,国学院大学法学部に入学(しかし,ほとんど通わず,病気になり帰郷)

1972(昭和47)年 [32歳] ケニア2年目

さだまさし(20歳)が吉田政美とグレープを結成
 柴田さんは,アマチュア時代からさだまさしのファンだったとのこと

1973(昭和48)年 [33歳] ケニア3年目(「2年余で帰国」とのこと)

1974(昭和49)年 [34歳] グレープの「精霊流し」が大ヒット

1975(昭和50)年 [35歳]

1976(昭和51)年 [36歳] 宮崎県立医科大学に転任 医①
                  グレープ解散。さだまさし(24歳)はソロに

1977(昭和52)年 [37歳] 医② さだまさし(25歳)の「雨やどり」が大ヒット

1978(昭和53)年 [38歳] 医③

1979(昭和54)年 [39歳] 医④

1980(昭和55)年 [40歳] 医⑤

1981(昭和56)年 [41歳] 医⑥

1982(昭和57)年 [42歳] 医⑦

1983(昭和58)年 [43歳] 医⑧

1984(昭和59)年 [44歳] 医⑨

1985(昭和60)年 [45歳] 医⑩

1986(昭和61)年 [46歳] 医⑪

1987(昭和62)年 [47歳] 医⑫
 さだまさし(35歳)が「風に立つライオン」を作詞・作曲

1988(昭和63)年 [48歳] 医⑬

1989(平成元)年 [49歳] 医⑭

1990(平成2)年 [50歳] 医⑮

1991(平成3)年 [51歳] 医⑯

1992(平成4)年 [52歳] 医⑰

1993(平成5)年 [53歳] 医⑱

1994(平成6)年 [54歳] 医⑲

1995(平成7)年 [55歳] 医⑳

1996(平成8)年 [56歳] 宮崎県立日南病院外科部長就任 部①

1997(平成9)年 [57歳] 部②

1998(平成10)年 [58歳] 部③

1999(平成11)年 [59歳] 宮崎県立日南病院長 院①

2000(平成12)年 [60歳] 院② 「風に立つライオン」のアンサーソング
 「八ヶ岳に立つ野ウサギ」が発表される。

 僻地医療に携わる医師を描いた作品(「日本架空説」収録)。
 さだの在住する諏訪市周辺で活動する2人の実在の医師をモデルとしている。
 曲名はモデルの医師らがさだの「風に立つライオン」(「夢回帰線」収録)に倣って
 「八ヶ岳に立つ野ウサギ」を自称していることによる。

2001(平成13)年 [61歳] 院③

2002(平成14)年 [62歳] 院④

2003(平成15)年 [63歳] 院⑤

2004(平成16)年 [64歳] 院⑥

2005(平成17)年 [65歳] 院⑦

2006(平成18)年 [66歳] 院⑧ 3月末で退職

退職の際の短歌
「茜さす 日南の丘の 病院は 
      家族の心と 拈華微笑
(注)拈華微笑(ねんげみしょう):文字や言葉によらず、心から心に伝えること。」

2007(平成19)年 [67歳] 介護老人保健施設「サンヒルきよたけ」施設長に 施①

2008(平成20)年 [68歳] 施②

2009(平成21)年 [69歳] 施③

2010(平成22)年 [70歳] 施④

2011(平成23)年 [71歳] 施⑤

2012(平成24)年 [72歳] 施⑥ 

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 「風に立つライオン」は、さだまさしのアマチュア時代からの知り合いである
実在の医師・柴田紘一郎氏(長崎大学医学部卒業、
後に宮崎県立日南病院長))から聞いた体験談に感銘を受けて
作詞・作曲し1987年に発表した曲である。
 柴田紘一郎氏は、「風に立つライオン」を収録したアルバム
「さだまさしベスト」にコメントを寄せているが、その一節に次の文がある。

「“風に立つライオン”は小生のアフリカでの2年あまりの体験
及び浅学菲才のゆえの雑談を医師を例にとり、
人としての生き方をまさしさんの感性と才能で創作した曲である。
 この歌は、現代人の心の不摂生のため、
過剰にしみついた魂の脂肪に対する警告でもあるように聴こえる。
 小生もアフリカの大地を通して学んだ事を
すこしでも役立てて“風に立つライオン”のようになりたい。」

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「医者なんてのは、野垂れ死にすべきだ!」
さだまさしと酒の席で、柴田先生が言い放った。

 外科医は、その患者が生きるの可能性がほとんど無い場合でも、
責任を強く感じるものらしい。
 万一、患者が命を落とせば、自分せい。
他の医師なら、救えたかも・・・。
 「でも、先生みたいに責任を感じるお医者さんは少ないんじゃないですか?」
 と、さだまさしが慰めると、
 「まっさん(さだまさし)、それは違うばい。
医者であれば誰もが同じ思いです。
  それだけは信じてください!」
・・と、一生懸命言われた。

 さだまさしが、わけを聞く。

 先生が若い時のお話。
すぐに処置しなければ危険な若い奥さんが、
病院のベッドが一杯で、他の病院を世話しようと、
再三再四、自宅に足を運んでまで入院を説得。
 でも、その奥さん、頑なに「ベッドが空くまで待つ」と言い、
結局、手遅れで亡くなった・・・。
 先生は、よせばいいのに、責任を感じ、
その奥さんのお葬式に。
 悲しみに怒り狂う旦那さんが「お前が家内を殺した!」と罵倒、
「力足らずで申し訳ありませんでした」としか言えなかった・・・。
 その重荷を生涯、ずーっと心に抱き続ける・・・そんな先生。
 さだまさしは、そんな先生だから「名医だと断言できる」と。
 だから、“生命の尊厳”を何よりも大切にする柴田先生のことを
「風に立つライオン」という曲に書き、
「よどみない命を生きたい」という柴田先生の生き方を世に残した。

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柴田先生は、このようなこともおっしゃっているそうです。
「まさしさんが尋ねた南十字星とは、
ケニア・タンザニア国境にあるキリマンジャロ
『スワヒリ語でキリ ヤマ・ヌジャロ(即ち輝く山)』よりも高い所から地上へ降りそそぐ
“夢という光”の事だったのだと最近感じている。
夢はパンドラの箱が開いて最後に人間に残ったのぞみだから。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「まさしさんはこれは僕の歌だと言うけど、
これは『風に立つライオン』という歌であって、
自分はこの歌のヒントになったに過ぎない。
だけど僕はあなたの描いたライオンに一歩でも近づくために、
これからもがんばっていきます」と。

さだまさし氏は、ああ、やっぱり自分の好きな医師だなあと、思ったそうである。
「あの歌はカッコ良すぎて、柴田先生は自分がモデルだなんて
自慢するようで嫌なんじゃない」と語っている
なぜ『風に立つライオン』か。この歌を聴いた人は、
なぜ『風に立つライオン』なんだろう、と思ったかもしれない。

さだまさし

ライオンというイメージは、医師というよりも、
一人の人間として捉えてくれるといいです。
僕らの国はちょっと変だつていうのは、医者だからということではなく、
海外に暮らす一人の日本人としての思いなんですよね。
人間というのは、職業に殉ずるといいながら、
どこまでも自分を捨てることはできないでしょう。
 心の中で、悩みも苦しみも、切ないこともいっぱいあるけれど、
くじけるもんかっていう意味で、自分を勇気づけ励ます意味で、
ライオンっていう動物を出したのです。

逆境の中でもひるむことなく、心だけは王様のような、
強い心を無くしたくないという、すっくと立っている百獣の王のプライドです。
プライドっていうと、身勝手さを連想されると困るけれども、
人間の尊厳っていうか自分の意志っていうか、
そういうものに誇りを持ちたいっていう気持ちの現れです。

それは医者だからではなく、生きているということに対する誇りのことです。
この歌は医者の立場を借りながら、自分に対するエールでもあるわけですよね。

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コメント

ウキペディアでの記載は間違いだと思います。1940年生まれで、1951年に高校卒業になっています。このブログも間違いだと思いますが、宮崎医科大学は国立で、県立ではありません。もしかすると宮崎県立病院なのかもしれませんね。

しまたろうさんへ
コメントありがとうございます。

1940年生まれというのは合っていますか?
そうすると,高校卒業の年が間違っていることになるし,
逆に高校卒業の年が合っているとすると
もっと早く生まれたことになる。
さらに詳しく教えていただけると助かります。
『風つ立つライオン』には出ていますかね?

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