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2012年12月27日 (木)

「九州王朝の天子たち」

古田史学の会の正木裕さんが研究されている伊勢王の記録を,
これまでわかっている九州王朝の天子たちの中に当てはめると,
以下のようになると,古賀さんが「洛中洛外日記」507話
(「サイト・新古代学の扉」)にまとめられています。
古代史研究に関心のある読者にもお知らせしたいと思い,
ここに転載いたします。A~Dは私が付けました。

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A 阿毎多利思北弧(上宮法皇)・・・端政元年(589)即位~倭京五年没(622、法興32年)
  ※筑後から太宰府に遷都(倭京元年)。遣隋使を派遣。九州島を「九州」に分国。
 
B 利歌彌多弗利(カミトウの利) 仁王元年(623)即位~命長七年(646)没
  ※多利思北弧の太子(「聖徳」太子か)。

C 伊勢王 常色元年(647)即位~白鳳元年(661)没
  ※評制を施行。難波遷都。

D 筑紫君薩野馬(薩夜麻) 白鳳元年(661)即位~?
  ※おそらく701年以後の没。白村江戦の戦いで唐の捕虜となり、
  天智十年(671、白鳳十一年)帰国。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本書紀」に登場する伊勢王が,
今まで空白だった時期の九州王朝の天子の可能性は
かなり高いと思われる。
中国正史である「隋書イ妥国伝」はもちろん,
日本正史である「日本書紀」の中にも,研究の仕方次第では
「九州王朝の再現」が可能であると思う。
これからも粘り強い研究を進めてきたい。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

長屋親王木簡で忘れていました。木簡検討結果の中に若翁という表記があったとありました。これはわかんどおり、わかみたふり、りかみたふり、源氏物語にもある、日本書紀にはなく、倭国の皇太子との言葉につながるので、長屋までは倭国王統へのつながりがあるものと。藤原宮での評制から郡制への移行はスムーズのようなので、大宝年号改元までは倭国に見えるのですが。

いしやまさんへ
コメントありがとうございます。

「若翁」の読み方がどうなのか,
私にはコメントできませんが,
古代史の謎解きにおいて木簡に注目するのは
大切なことだと思っています。

ひさびさに書き込みさせていただきます。

「利歌彌多弗利」について、『翰苑』ではその一文字目を朱書きで「和」と
加筆されているため、書写者が倭国側の知識をもとにして

「これは「和歌彌多弗利」のことである」

と訂正を入れた、との解釈があるようです。
これをなんと読むか、ということで、「わこんどほり」という和語があるので
それではないかとの推測があるようです。

いしやまさんがおっしゃっているのは、このことを元にされているのだと
思います。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

なるほど「利→和」ということですか。
確かに「利」と「和」は「のぎへん」という
共通のへんを持っており,
「りっとう」の部分を崩して書くと
「口」のように見えますが・・・。

大変失礼しています。各研究者の掲載されている情報を拝見し、当方が適当に判断していますので、問題点がありましたら率直にご教示いただければ幸いです。なにしろ当方、新参者ですので、よろしくお願いします。

いしやまさんへ
コメントありがとうございます。

私も古田史学から学んでいますが,
期間は長いものの,内容は浅いものが少なくありません。
なので,専門的な内容のご質問を受けてもなかなか
ご期待に添えないというのが現状なのです。
また,このブログは私の思いつきを
記録しておこうと考えて設置しているので,
よろしくお願いいたします。

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