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2012年11月11日 (日)

古代史セミナー2012 (1日目)

毎年11月に八王子の大学セミナーハウスで行われる,
古田武彦氏の古代史セミナーに参加してきた。
(2004年から始まり今年で9回目。
私は3回目の2006年から参加している)
今回は87名もの参加があり,大盛況だった。

●午前11時半~ チェックイン 

・到着早々西坂さんからコピーさせていただいた国分寺周辺マップ。
 2つの搭の向きは東山道武蔵路と並行していた!
 つまり国分寺を建てる前にもっと古い建物(搭付き)があったということだ。
 これに関係ありそうなのが,古田史学の会・四国の勉強会で
 今井久さんが2012年9月にされた報告で,「伊予国分寺と白鳳瓦--
 国分寺制度を最初に創ったのは誰か」というものだ。
 国分寺も,私たちによる「多元的な解明」を待っているのではないか。
      
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合田洋一さんからサインしていただく

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●午後0時~1時 昼食 

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●午後1時半~3時半 講演と質疑応答(1)

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・松下見林は「最初に結論ありき」で,松本清張は「最後に結論なし」
・辛亥鉄剣の「臣」は「豆」(トウ)かもしれない
・古事記の「遠飛鳥」と「近飛鳥」。飛鳥の「原産地」は,小郡市井上である。
・尾崎康著『正史宋元版の研究』(汲古書院)を読んでいる。1万8000円だが,面白い
 「間違いが多い」から「にせもの」とは限らない。かえって改竄がされていない証拠かも
・2回も天子の幡の「黄」が出てくるのではなく,2回目のものはリッシンベンが付く。
 これは何らかのトラブルの意味で,「それが原因で死んだ」という方が流れがスムーズ

●30分ほど記念撮影と休憩(コーヒーブレイク)

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●午後4時~午後5時45分 講演と質疑応答(2)

・古事記は本居宣長によって,かなり「改竄」されていた
・高天原とは,黒潮圏の清水の出る集落の意味
 それを宣長は空想上のイメージに膨らませて解釈した
・実際天の浮橋は陸地から船に乗る時の細長い板のことであり,隠岐では今でも使用

元朝日新聞の茂山さん,ペンネーム村上寅七こと中村さん,
アイヌ関係のことを研究している近藤さん,
『地名が解き明かす古代日本』の新著を書いた合田さん,
竹島のことに詳しい林さんなどの紹介があった。

●午後6時~7時 夕食

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●午後7時半~午後8時半 懇親会「古田武彦先生を囲んで」

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宗教の役割は終った,学校を教育工場にしてはならない,
1000年先の読者に向けて書け!など,刺激的な古田氏のお話だった。
そのあと,3~4人質問した人がいた。

では,お休みなさい!
料金を1500円上乗せしただけで,
4人用の部屋に1人で泊まれて,リッチな気分!!

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本日は午前中,参加者による研究発表だ。
私も「古代日本ハイウェー」について発表し,応援をお願いするつもり。
(西坂さんも「多元」用の原稿(私の「古田史学会報」への掲載も,
ちゃんと載せてくれている)を持ってこられているし,勇気100倍だ!)

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