« さいたまの会 2012(2日目) | トップページ | 人権教育の校内研修会 »

2012年8月20日 (月)

ご連絡

先日の「野蒜地区への訪問」の写真をアップしました。
ぜひご覧下さい。(8/18報告)

また,最初に東名地区を訪問した報告も
8/31にしていますので,
ご覧下さい。

2つの地区の様子を松本寿光さんという方が
文章になさっていますので転載させていただきます。

「松島湾に面する東松島市「東名(とうな)駅」に寄った。
南に突き出した半島の西側の付け根だ。
すでに瓦礫は撤去されているが、広範囲に冠水していた。

ここだけ松島湾からの津波を受けたとは考えにくかった。

津波は直接面した西側の松島湾ではなく、
東側の石巻湾から押し寄せてきたのだった。

そして、地盤の沈下と共に冠水したままとなった。

石巻湾に流れ込む鳴瀬川から松島湾へと「東名運河」が掘られているのも、
津波の惧れを考えれば良くなかった。

しかもこの半島は、元々海抜0~6m程度しかなかった。

東松島市野蒜。東名と反対、半島の東側の付け根だ。
石巻湾に面し、「野蒜海水浴場」近くに「鳴瀬第二中学校」と「かんぽの宿」、
やや内陸側に「野蒜駅」、さらに内陸側に「野蒜小学校」がある。

駅には今でも津波避難路マップの看板が掲示されている。
現在地、野蒜駅、指定避難場所、①野蒜小学校、②鳴瀬第二中学校、
東松島市。とある。

地震発生のその時、鳴瀬第二中学校は卒業式の後で、
卒業生41人と保護者37人はかんぽの宿で食事会をしていた。

校舎には女子生徒10人と教職員14人、作業員1人がいて、
うち2人は迎えに来た親に引き渡された。
また、近隣の避難者3人が加わった。
校舎は海側の南校舎と、その背後に立つ北校舎があり、
校舎に留まった生徒、教師らは北校舎の二階に避難した。
北校舎の二階には、今も「SOS」の張り紙が、その日のまま張られている。

野蒜駅では上り下り双方の列車が出発したばかり、
下り列車は山側の高台で停車、上り列車は海抜数メートルの東名駅との間で停車した。
下り列車では、地元の男性客が、避難しないで車両に留まるよう車掌に助言した。
上り列車では、野蒜小学校への避難を目指した。

「野蒜小学校」では、児童をはじめ、地震で避難してきた住民ら100人以上の人々がいたが、
校舎ではなく、体育館を避難所とした。
体育館が津波に対して極めて危険な建物であることを、誰も疑うことはなかった。
そこへ、上り列車の乗客おおよそ50人が加わった。

そして、津波が来た。四階建てのかんぽの宿では、四階あるいは屋上へと避難した。
津波は二階で留まった。
中学校では、南校舎と体育館が二階の高さまで津波に襲われたが、北校舎は二階の浸水は免れた。

悲劇は最も内陸側の「野蒜小学校」で起きた。

突如、窓からなだれ込んでくる激流、体育館の中に巨大な渦が発生した。
ステージにあがり緞帳に体を巻きつけるなり、お互いにしがみつくなり、
二階の歩廊へ駆け上がるなりして、逃げることができた生存者もいた。
水に浸かりながら、二階から投げられたカーテンにつかまり、助かった児童もいたという。

そして、流されていく人々。今もって何人そこにいたのか分からない。
野蒜地区だけで、500人以上亡くなった。

宮城県東松島市の死者・行方不明者は1,113人に上った。
人口42,908人(2010年)。」

« さいたまの会 2012(2日目) | トップページ | 人権教育の校内研修会 »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« さいたまの会 2012(2日目) | トップページ | 人権教育の校内研修会 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

無料ブログはココログ