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2012年7月 4日 (水)

最古「戸籍史料」の注目ワード

このところ「新古代学の扉」のサイトの
古賀達也さんの「洛中洛外日記」で,
何回か最古「戸籍史料」のことを書かれている。

それによると,いくつかのキーワードがあり,
それを分析しているようだ。

(1) 評

「国郡里」という制度が701年から行われたが
(ということは,『日本書紀』はウソを書いている!),
それまでは「国評里」が使われていたことが
木簡の表記から分かっている。
その期間はまだ九州王朝が日本を代表していたので,
今回の戸籍史料もその支配下のものである。

(2) 兵士

九州王朝は白村江の戦い(662または663年)で
唐と新羅の連合軍に大敗する。
その後北部九州は彼らの占領を受けることになるが,
その時期の「兵士」とはどういう表現だろうか。

(3) 進大弐

『日本書紀』の天武天皇の項(685年)に出てくる位の名称。
九州王朝の位なのか,大和政権の位なのか。
時期がビミョーなだけに興味深いところである。

参考のために書いておくと,大和政権が年号を定めたのは,
701年=大宝元年の「大宝」が最初である。
『続日本紀』のその年の項に「建元した」とちゃんと書いてある。
じゃあ,大化や白雉や朱鳥は何なの?というと,
これは九州年号(九州王朝の定めた年号の盗用)であることが
わかっているのだ。くわしくは,『「九州年号」の研究』参照のこと。

● 九州年号の証言

九州王朝説を支える有力な証拠の1つが,
517~700年の183年にわたって
連綿と続いていた32個の九州年号である。
それを紹介しておこう。

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)  ←白村江の戦い。大敗で改元できず。
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆

大化・・・695~704年(9年間)◆  ←ここからようやく大宝がスタート!
大長・・・705~712年(8年間)     以下,現在の平成まで続く。

◆は『日本書紀』が九州年号から盗用して
はめ込んだ年号である。
一方,大宝元年は701年のことなので,
九州王朝の年号と大和政権の年号が
重複して存在したことがわかる。



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