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2012年5月 8日 (火)

7世紀後半太宰府に都が造られた!

私のお気に入りサイトである「新古代学の扉」の
人気コンテンツである「古賀達也の洛中洛外日記」に,
またまた興味深い記事が!(第409話 2012/05/06)

少し長くなるが,転載させていただこう。

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「竈門山旧記」の太宰府

ゴールデンウィークは外出せずに自宅で論文を書いたり、本を読んですごしました。
その中で、太宰府の北東の宝満山(竈門山・御笠山とも呼ばれる)にある
竈門神社の記録「竈門山旧記」(五来重編『修験道史料集』Ⅱ)に
おもしろい記事を見つけましたので、ご紹介します。

それは太宰府に天智天皇の時代に都が造られたという次のような記述です。

 「天智天皇ノ御宇、都ヲ太宰府ニ建玉ウ時、鬼門ニ當リ、
 竈門山ノ頂ニ八百萬神之神祭リ玉ヒ」
 「太宰ノ府ト申ハ水城ヲ以テ惣門トシ片野ヲ以テ後トス。
 今ノ太宰府ハ往昔ノ百分一ト可心得、内裏ノ四礎今ニ明ケシ。」
 
天智天皇の時代に太宰府に都が造られ、水城が惣門にあたり、
当時は今の百倍の規模で、内裏の礎が今も明確であるというものです。
 
太宰府に都があったという伝承が記された貴重な記録です。
この「竈門山旧記」の成立年代は不明ですが、
「延寶八年」(1680)までの記事が記されていますから、
成立はこれ以後となります。
おそらく当地には九州王朝に縁源する文書が
まだ他にもあるのではないでしょうか。
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7世紀後半の太宰府に九州王朝の都があったというのは,
これまでの研究で間違いないところだと思うが,
それを伝える記録があったということは,
歴史研究の未来を感じさせる。

まだまだ未見のあるなら,私のような者にも
それに触れるチャンスがあるということだからだ。
さらに研究・修養に努めていこうと思う。

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