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2012年2月 8日 (水)

「九州」という名の由来は?

「九州」という名の由来ということで,
たの社MLにこんな返事を書きました。
これで大丈夫かな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

井藤 伸比古さんへ みなさんへ

埼玉の肥沼です。
ご質問ありがとうございます。

(1)太古から中国では皇帝の支配地を「九州」と呼んでいた。
(2)九州王朝の天子もそれを真似ようとして「九州」と名づけた。
(3)大和政権も「九州」という名称を踏襲した。

今(2)の段階の歴史が隠され,(3)しかわからなくされているので,
大和政権が整備したように思われているのですが,もともと九州島には

1.筑紫 → のちに筑前と筑後に分割
2.肥 → のちに肥前と肥後
3.豊 → のちに豊前と豊後
4.日向
5.大隈
6.薩摩

という6つの国しかなかったと考えられるわけです。
それを分国したのが九州王朝なのか大和政権なのかわかる
直接的な史料は残っていないわけですが,
「九州」という中国伝来の政治用語の意味からすると,
太宰府(北部九州)にいた天子が自らの中心領域を
2つずつに分国して9つにした「痕跡」があるように思われます。
ちなみに日本書紀によると磐井の支配地は,
「火(肥)・豊」という表現で出てくるので,
6世紀前半にはまだ9つに分国されてはいなかったようです。
隋に対等外交を迫った多利思北孤(7世紀)あたりが臭いと
私はにらんでいますが,何しろ史料が残されていないので
それ以上先に進めません。

ちなみに,大和政権の支配領域は「五畿七道」と言われます。
五畿とは「五畿内」の略で,山城国,摂津国,河内国,
和泉国,大和国をまとめたものです。
五畿のあと七道と続くので日本全国を支配していたように思ってしまいますが,
中心領域は今の近畿地方より狭いのです。

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