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2012年2月23日 (木)

「文献主義」について

たの社MLでのやり取りの中で,
文献主義という言葉が批判的な意味で使われた。
私は従来の歴史学の方が文献主義に陥っていて,
古田史学(九州王朝説など)を取り入れることができないでいる
と思っているので,これは意外な指摘であった。

文献からいうと,古代日本ハイウェーについての初出記事(続日本紀)は
8世紀後半(771年)である。
7世紀半ばに東山道武蔵路は作られたことが発掘でわかっているから,
100年以上も離れているのである。

従来説・・・誰が何のために作ったのか不明だが,
 8世紀後半にルートの変更の記事だけが出ている。
 しかし,このような事業ができたのは大和政権の天皇(天智か天武)しか考えられない
私の説・・・九州王朝が7世紀半ばに白村江の戦いを前に軍用道路として作ったが,
 白村江の戦いの敗北後政権を握った大和政権が,戦勝国・唐の手前もあって廃棄した

どちらが文献主義に陥っていると,あなたは思うだろうか。

思うに,文献主義は歴史学が発展していく過程で
途中に出てくる段階と思われる。

(1) 自分の想像で歴史を語る
(2) 文献に基づいて語っていく
(3) 文献に残らないもの,あるいは文献の性質からして残りにくいものを,
 想像力をもとに仮説を立て,文献以外のものの力も借りて証明していく

検索で柳田國男の「文献中心主義批判」がヒットしたので,
参考までに載せてみる。

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文献中心主義批判

國男は『郷土生活の研究法』(1935年)のなかで
「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、
最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、
我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、
印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。

ここでは、文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、
それゆえ公文書などに示された一揆や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、
その生活文化総体は決して見えてこないという認識が示されている。
「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては
文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴うのであり、
それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じている。

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