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2012年1月28日 (土)

[問題1~5]の答え

[問題0]に続き[問題1~5]についても,
私なりの答えを書いてみますね。

1「古代日本のハイウェー」は12m幅だから,今の4車線道路。
それだけの幅の道路が全国に作られたと思いますか。
ア.  東海道など七道が作られた。すべて12m幅
イ.  部分的に12m幅で,もっと狭い所が多かった。

(正解は,ほとんどアといっていいと思います。ただし,地方の古代道で
幅が狭いところもあるという話も耳に挟んだことがあります。
だがしかし,イのように「もっと狭いところが多かった」とは言えないと思います。
特に私が調べている「東山道武蔵路」は支線なのに12m幅なので)

2「古代のハイウェー」と作ったのは誰だと思いますか。
ア.  大和の朝廷
イ.  その他の勢力

(正解は,イ=九州王朝というのが私の仮説です。
白村江の戦い直前の時期に作られたこと。
また,100年後には廃棄されていることを根拠にしています。
昨日論戦した山口さんは,ア=大和の朝廷と言っておられました)

3 何のためにそんな大規模な土木工事をしたと思いますか。
ア.  政府の偉大さを宣伝するため
イ.  軍事的目的
ウ.  公共投資(景気を良くするため)
エ.  その他

(テレビ番組では「宣伝のため」と言われたりしますが,
その根拠についてはあいまいにされたままです。
世界の古代ハイウェーは,ほとんど例外なく軍用道路です。
そうすると,イが正解ということになります。
日本だけが違うようには思えません。
まして建設時期が国家の命運を賭けた白村江の戦い直前なのですから)

4 その後「古代ハイウェー」はどうなったと思いますか。
ア. 行政改革などで廃棄された
イ. 今でも部分的に利用されている

(これは,アが正解。なぜそんなに苦労して作った道が100年後には
廃棄になったかといえば,大きな政権移動があったからです。
八ッ場ダムじゃないですが,政権が変わると建設方針も変わるのは歴史の常です。
しかも,大和政権は唐の手前もあってそのままにしてはおけなかったと思います。
(太宰府を囲む神籠石も同じ運命で「武装解除」されたと思います)
だから,「突然12m幅,直線,総延長6300キロの道路」が発掘されて
みんな驚いているわけです。しかも,それが「古事記」「日本書紀」には書いていない)

5 武蔵にあった国分寺は,今の法隆寺と比べて
ア.  今ある法隆寺の方が2倍以上大きい。
イ.  昔の武蔵国分寺の方が2倍以上大きい。
ウ.  同じくらい。
(武蔵国分寺は8世紀半ばの建築で,
法隆寺より約100年遅い)

(法隆寺が18万平方メートルで,武蔵国分寺が10万平方メートル。
これで比べると,アが正解。ただし,法隆寺は西院伽藍と東院伽藍を
足した数字だと思います。本体である西院伽藍だけなら同じくらいかな
同じ基準゛ないので,どう比較したらいいか迷うところです)

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