« なぜ宿泊行事の翌日は1時間遅れで半日勤務か? | トップページ | 金曜日は忙しい »

2012年1月20日 (金)

昨日の「ブラタモリ」(武蔵国分寺の謎)を観て

昨日の「ブラタモリ」(武蔵国分寺の謎)を観ただろうか。
さっそく私の感想(批判)を書いてみる。

NHKテレビ「ブラタモリ」は私もよく観る番組だし,ファンも多いが,
こと「古代日本ハイウェー」については
今私が古代史研究において「熱い思い」を抱いている分野なので,
その私から番組への感想(批判)ということになる。

まず,良いと思った点から。
(1) 西国分寺駅付近にも古代日本ハイウェーが通っていること
(2) またそれが地上に400m×12m規模で再現されていること
(3) そして,それは全国に張り巡らされているものの一部であること
それらを知らせて古代史への興味を掻き立てたということである。
きっと今週末この番組を観た少なからぬ人が,
武蔵国分寺跡辺りをブラつくことであろう。

次に,まずいと思った点である。
(1) 紹介の仕方が歴史の順序と逆であるということ
(2) そのため,大和政権が全国に張り廻らせた古代日本ハイウェーと理解してしまうこと
(3) さらに「100年後には廃棄された」という事実は紹介されていないということ
以上3点をまず挙げてみる必要があるであろう。
これらはもう少しくわしく説明しないとわからないので,以下に展開してみる。

まず番組の中で「古代日本ハイウェー」(7世紀半ば)→
「国分寺・国分尼寺」(8世紀半ば)ではなく,
逆の順番で紹介されていたため,
視聴者は紹介された順で歴史を理解してしまうと思うのだ。
(「「大化の改新」(645年)の後,
朝廷によって七道が整備された」とは解説がされていたが)

これは「日本書紀」などを読む時も注意しないといけないのだが,
読者(視聴者)は前から順に読んで(視聴して)いくために,
頭の中にその順でイメージを構成していくからだ。
(「ブラタモリ」に「日本書紀」ほど悪意があるとは思えないけれど)

そして,1番の問題は「100年後にこの古代日本ハイウェーは廃棄された」
という事実が番組ではまったく触れられておらず,
「大和政権の業績」というイメージだけが後に残るということだ。
(試しに「さて,古代日本ハイウェー」は誰が作ったのでしょう?」と質問したら,
きっと多くの人が「大和朝廷」あるいは「大和政権」と答えるだろう。
現在教科書では「大和政権」という表現になってきている。
「大和朝廷」と答えた人は,ある年代より上の人だ)

この点,2年前に放送され先日再放送された「古代日本ハイウェー~
1300年前の“列島改造”」ではそれを謎として扱っていたのでまだ良かった。
建設を命じた者も「天智天皇」か「天武天皇」とされていた。
(正解は「「日本書記」には「古代日本ハイウェー」を
誰が建設したのかは書いていない」というものだ。
そう番組も作らなければまずいと思う)

最後に私の仮説を紹介して,本稿を終えよう。
(1) 唐との「本土決戦」に備えて,九州王朝は全国に軍用道路である
   「古代日本ハイウェー」の建設を命じた。(7世紀半ば)
(2) 662年か663年,白村江の戦いで倭国(九州王朝)が大敗北。
(3) 唐の占領軍またはその意をていした大和政権が
   古代日本ハイウェーの廃棄を指示した。

なお,「古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?」は,
「肥さんの夢ブログ」の12月9日に書いたもので,もちろん全文を読めるようにしてある。
興味のある方は,ぜひ「2011年12月」をクリックしてほしい。
また,来月発行される「古田史学会報」の2月号にも,
たぶん掲載されると思うのでお楽しみに!

« なぜ宿泊行事の翌日は1時間遅れで半日勤務か? | トップページ | 金曜日は忙しい »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

私も「ブラタモリ」(武蔵国分寺の謎)を観ました。
私は歴史にうといのでなんとも言えませんが、
肥さんがまずいと思う点を
NHKに知らせた方がいいと思います。
(手違いで九想さんのコメントを消してしまいました。
ごめんなさい。こんな感じでしたよね)

九想さんへ
コメントありがとうございます。

九想さんの言葉に勇気を得て,
私の感想(批判)を送ってみることにします。
たぶん「貴重なご意見ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします」というような感じだと思いますが,
それでも言わないより言った方がいい。
いつも生徒に「言いたいことは言った方がいい」と言っているわけですしね。

昨日のブラタモリは、明確に古代ハイウェーは大和政権が作ったと言っています。平城京を中心としてそのハイウェーは伸びているという映像を流しましたから。
 NHKが九州王朝説を無視する以上、こうなるのは当然でしょう。せいぜい良心的なディレクターが「誰が作ったか不明」とする程度。なぜなら九州王朝説を取ると、現天皇家は、九州王朝の権力を簒奪した王権であることが明らかとなり、その「権威に傷がつく」と考えるからでしょう。でもこう考えること自体が、間違っているのですがね。なぜならこの考え方は、万世一系の天皇家というドグマにとらえられているからですね。もっとも現天皇家の祖先が九州王朝の権力を簒奪したとしても、九州王朝の天皇家と血がつながっていなければそれはできなかった。現天皇家も九州王朝天皇家も、天照大神をその祖神としていることは同じなのですから。だから簒奪と言っても、同一王朝の流れの中での権力交代。すくなくともその外観は保ったものだったと思うからです。
 歴史事実を無視して「物語」を作ってみても、権威は作れないものだとは思いますが、権威に寄りかかった人たちにとっては、その権威を傷つける可能性のあることは全てなかったこととして排除したいのでしょう。

ブラタモリを録画もしましたが、生で見ました。
私も、この番組を見て、奈良(東大寺)から全国の国分寺に
古代日本ハイウェーを聖武天皇?が作ったと思ってしまうところでした。
肥さんの心配がよくわかりました。

念のため、一緒にブラタモリを見ていた嫁さんに聞いてみたら、
やっぱり、古代日本ハイウェーは、聖武天皇が作ったと認識していました。
タモリたちが、最後に、ここを曲がってまっすぐ行くと、奈良に通じると言ってたのも、
強く影響しているようでした。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

「ブラタモリ」は人気のある番組なので,多くの人が観ています。
「古代日本ハイウェー」が大和政権の業績みたいになることを危惧します。

歴史の真実を明らかにするためにも,九州王朝説を補強する証拠を
たくさん発見しておく必要があるかと思います。
ここ数年古田武彦氏の著作が古代史コレクションとして
ミネルヴァ書房から再販されて人気なのも心強いですし,
古田史学の会編『「九州年号」の研究』(ミネルヴァ書房)が
最近出版されたのもうれしいことです。
この本の中には九州年号には合うが,
日本書紀には合わない木簡が登場します。
そういう地道な発見を積み重ねていくしかないと考えます。

すーさんへ
コメントありがとうございます。

歴史教科書で通説(多数説)を習った人にとって,
「奈良が日本の中心」というのが「常識」ですから,
そう思うのも無理はありません。

私は古田武彦氏の九州王朝説(7世紀末頃まで九州王朝がわが国の代表で,
「大宝元年(701年)初めて年号を定めた=「建元」したと「続日本紀」にも書いてある
大和政権が8世紀初頭からわが国の代表となった」という仮説)の方に
より歴史の真実性を感じるので,支持しているわけです。

大化,白鳳,朱雀という大宝より早い年号は,
「建元」でなく「改元」(=前の年号を新しいものに変えること)です。
ですから,大和政権自身も九州年号が本来続いてきた年号だと認めているわけです。
くわしくは,古田武彦著『失われた九州王朝』(ミネルヴァ書房)などをお読み下さい。

すーさんへ
コメントありがとうございます。

「ここを曲がってまっすぐ行くと、奈良に通じる」というタモリの言葉は,
「奈良につながっているように描かれた地図」を見て,
「なんとなくそうなのかな」と思っていた視聴者に
それをダメ押しする「罪なひと言」でしたね。
まあタモリも古代史については通説しか知らないでしょうから,
自分自身では「気の利いたコメントを言った」と思っているでしょうが・・・。

残念ながら私はブラタモリは見ませんでした。

でも「日本古代ハイウェー」についてはとても興味があります。
もう随分前のことですが、秦代に始皇帝が「馳道」「直道」という軍用ハイウェーを建設したことを知り、なんとなくですが記紀に登場する「東方十二道」「四道将軍」といったものが日本版馳道、直道なのかな、と想像したことがありました。
もちろんそれらは、なんの根拠もないただの妄想でしたが、でも必ずや夷蛮国でも始皇帝の馳道・直道に倣って自家製の軍用ハイウェーを建設したはずだ、あるいは建設しようと考えたことがあるはずだ、ということを信じて疑いませんでした。
なので私は、

聖武天皇の時代に日本版軍用ハイウェーを建設した、というのでは遅すぎる

と考えてしまいます。定説派にしろ九州王朝支持派にしろ、この時代では遅すぎないか? という疑問がわき起こらないのが不思議です。
(倭人伝にある「使大倭」の重要任務の一つがこのハイウェーの管理で、特に最重要ハイウェーを管理していたのが一大率ではないのか? と思いふけった日々があったことを告白しておきます)

ただしいろいろ考えすぎるうちに、いわば「一般道」と「ハイウェー」の区別がつかなくなってしまい、戦車という兵器を用いなかった古代日本に、馳道・直道のような一般官民立ち入り禁止の軍事専用ハイウェーが必要だったのか、という疑問も起きてくるわけで…。
そうなるとまた一から「軍用ハイウェー」の定義から考え直すことの繰り返しで、そのうち忘れてしまって…(汗)

今後、この問題についての研究が進められることを大いに期待しています。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

仮説実験授業のたの社MLでもお知恵を拝借したのですが,
古代から軍隊を持っていた政権は(持たないほうが珍しいと思いますが),
いかにその軍隊を速く現場に派遣するかを考えて軍用道路を建設してきたように思います。

古代ぺルシャ,古代ローマ(ローマ街道は特に有名で,「すべての道はローマへ続く」
などと言われているが,「いつでもローマ軍が派遣できる」というのと同じ意味である),
秦の「馳道」「直道」,日本古代ハイウェー(九州王朝),武田信玄の「棒道」,
沖縄の米軍占領下での軍用道路など,
「すべての軍事政権は,軍用道路とともにある」と言っても過言ではないでしょう。
『世界と日本の軍用道路の研究』という本があってもよさそうです。

ちなみに私の身近にも行政道路という道があるのですが,
入間基地と立川の米軍基地をつないだものらしいです。(かなり直線的です)

あと,古代日本ハイウェーの場合,建設後白村江の戦いでの大敗北,
唐・新羅連合軍の占領,政権の移動があり,100年後には廃棄されます。
その時期に行われた「三世一身の法」や「墾田永年私財の法」は,
それに関係しているのではないかと思っています。

つまり「古代日本ハイウェー」を壊していいということです。
実際に条里制を敷かれた地域では「剰余帯」という部分が,
「古代日本ハイウェー」を田畑に転用していますから,
これが物証といっていいでしょう。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« なぜ宿泊行事の翌日は1時間遅れで半日勤務か? | トップページ | 金曜日は忙しい »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ