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2011年12月10日 (土)

道が先か,田が先か

古代道関係で,また新しいアイデアを思いついた。
ご笑覧下さい。

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道が先か,田が先か

                 所沢市・肥沼孝治

「ニワトリが先か,タマゴが先か」という笑い話があるが,
これは「道が先か,田が先か」という古代史の話である。
しかし,こちらは結論が出る。
もちろん道が先である。

私は先の「古代日本ハイウェーは九州王朝の軍用道路か?」で,
日本全国に6300キロにわたって建設された古代道が
(直線的で,道幅が12mもある)
白村江の戦いを目前に控えた九州王朝が命じたものと論じた。

その建設時期は,武蔵国の東の上遺跡(所沢市)の出土土器から,
7世紀第3四半期(651~675年)と考え,
廃棄時期を8世紀半ば(750年ごろ)とした。

その証拠集めのためにある本を読んでいたところ,
(中村太一著『日本の古代道路を探す』(平凡社新書)760円+税)
古代道を探す方法には,地名・地図・航空写真・フィールドワークなどがあるが,
そのうち地図の利用法として,「条里余剰帯」というものがあるのを知った。

つまり,条里制の田は1町(109m)×1町(109m)の
正方形を基本としているのだが,
その中に長方形のものが混じっていたら,
その余剰帯(109mを飛び出した土地)に
かつて古代道が建設されていたと推定する方法である。
これは1つの田だけでなく,連続して直線的に伸びていくから,
1つ検出できれば後は「芋づる式」に古代道を発見できる。
うまい方法を見つけたものである。

廃棄された古代道をほおっておく手はない,
さっそく自分の田に編入する。
なんだか古代の人たちの逞しさが伝わってくるような感じだ。

話は最初に戻る。
この話からもわかるように,古代道と条里制の田の先後関係は,
まず古代道(古代日本ハイウェー)の方ができ,
条里制の田の方が後にできるのではないだろうか。
だから,廃棄された後に,田が作られた。

また,条里制の田の基準となる古代道(古代日本ハイウェー)は
まだ未検出の地域の条里制の中に潜んでいるのではないだろうか。
そんな考えが大きくふくらんで来た。

条里制の開始時期については,
水野孝夫さんの「条里制の開始時期」という論考が,
『なかった~真実の歴史学(創刊号)』(ミネルヴァ書房)に掲載されている。
水野さんは『二中歴』の記事から7世紀末(690年)を考えておられるが,
これと私の考え(7世紀第3四半期=651~675年に
東山道武蔵路が建設されたという東の上遺跡の出土状況)と
とピッタリ合うことになる。

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