西国分寺駅周辺遺跡のフィールドワーク
昨日の午後,かつて多元の会・関東の人たちとでかけた
西国分寺駅周辺遺跡のフィールドワークに,
「東山道武蔵路」研究会として行ってみた。
その簡単な報告をしてみる。
(1) 武蔵台遺跡
4000前年の縄文時代の竪穴住居跡。
石敷きの立派なものである。どんな人の家?
(2) 武蔵国分尼寺跡
金堂跡,僧坊跡など。
前回来た時は,まだ発掘途中という感じだったが,
今は「解説板」もついていてわかりやすくなっている。
斜めや直立に木を立てた幡竿掲揚柱状の丸太を
再現してあった。珍しい。
(3) 文化財資料展示室
第4中学校の体育館の1階が展示室になっている。
(月曜のみ休館。土日に開いているのがうれしい)
係員の方と九州王朝説や軍用道路説を話す。
ただし,うわさの白鳳仏(東山道武蔵路から焼けた姿で出土)は
レプリカだった。残念!
(4) 武蔵国分寺跡
金堂跡,中門跡,七重塔跡など。
寺域がかなり広く,往時が偲ばれる。
今も発掘が続いていると見えて,
青いビニールシートがかなりの数続く。
学芸員の詰め所みたいな建物もいくつか。
(5) 武蔵国分寺跡資料館
白鳳仏のホンモノは,ここに展示されていた。
確かに肉眼でもはっきりわかるが,
左肩のところに焼け焦げた跡がある。
仏具の蓋と思われる銅器も同じく熱でゆがんでいるので,
猛火がその共通の原因かと思われる。
各地からの寄進の瓦(ヘラ書きで字が書いてある)が,
これでもかと大量に展示してある。
(6) 500mの復元された「東山道武蔵道」
一昨日訪れた場所をまた訪問した。
ここは平らだが,姿見の池のところは低地で,
国分寺裏の崖でまた下り坂になるので,
高低差はけっこうある。馬も人もバテそう!
やはり1日に進める距離はそんなに長くないな。
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