「続日本紀」の中の九州王朝=10個の傍証
傍証とは,ある事実を間接的に証明する証拠。間接の証拠である。
今宇治谷孟訳『続日本紀』(講談社学術文庫)を読んでいるので,
そこに載っている九州王朝の傍証を10個挙げてみる。
(1) 「はじめて」「初めて」「始めて」記事のオンパレード
大和政権としては「はじめて」「初めて」「始めて」○○したということ。
本当に多いので,ぜひ確認してみてほしい。
(2) 698年3月9日・10日,諸国の国司・郡司の任命記事
今だったら都道府県知事・市町村長の任命にあたる。
これが大和政権としての初めての任命である。
ということは,それ以前は九州王朝の任命ということになる。
(3) 698年11月23日,大嘗祭を行う(文武天皇の即位の儀式。
「日本書紀」の最後の天皇である持統天皇に続いて大和政権では2人目。
その前の天武天皇は悠紀・主基の2国にほうびを与えたのみなのだ。
大嘗祭を行ったのは九州王朝の天子だった!?)
(4) 700年6月3日,薩摩の比売らの反乱記事(九州王朝の最後の抵抗?)
内容から,評督や助督という役職が当時あったことがわかる。
この役職は九州王朝時代の役職で,大和政権のものにはない。
(5) 707年7月17日,「山沢亡命」記事(1)
軍器(正規軍の印=錦の御旗?)を持って逃げていた人たちがいた!
(6) 708年1月11日,「山沢亡命」記事(2)
禁書(九州王朝系の史書)を持って逃げていた人たちがいた!
(7) 712年,古事記の記事(があるはずなのに,ない!)
720年の日本書紀に統合され,二度と陽の目を見るはずのない存在だった古事記が,
鎌倉時代に真福寺で発見されてしまったというわけ。記紀の両立はありえないのだ。
(8) 716年5月16日,豊後(今の大分県)と伊予(今の愛媛県)の間は
これまで行き来することが出来なかった=境界があった=別の国だったことがわかる。
(9) 717年11月17日, 「山沢亡命」記事(3)
武器を持って逃げていた人たちがいた!(軍器や禁書はもう大和政権が手に入れたか)
そして最後は,極めつけの天皇の詔報の中に九州年号の登場だ。
(10) 724年10月1日,聖武天皇の詔報に九州年号が登場
「白鳳以来・朱雀以前(要するに前王朝時代)のことは,はるか昔のことでわからん」と。
といっても,わずか60年前のこと(今だったら「戦争中」のことという感じ)であるが・・・。
治部省からの質問に対しての回答の冒頭で,ポロっともれてしまった九州年号だった。
(おしまいに,参考として九州年号を全部挙げてある。寺社の縁起など各地に残る)
私がこれまで学んだ「続日本紀」の記事を10個あげてみた。
見る人が見れば,まだ他にもあるのだと思う。
もしご存知だったら,教えていただければ幸いである。
【参考~九州年号とは・・・?】
九州王朝説を支える有力な証拠の1つが,
517~712年の195年にわたって
連綿と続いていた32個の九州年号である。
それを紹介しておこう。
継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)
師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)
定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間) 663年,白村江の戦い(倭国=九州王朝の大敗北)
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆
大化・・・695~703年(9年間)◆
大長・・・704~712年(9年間)
◆は「日本書紀」に出てくる年号である。
「日本書紀」はその一部(3つ)だけを,しかも順を変えて
「盗用」していたことがわかっている。
712年は「古事記」が完成した年である。
もうすぐミネルヴァ書房から『「九州年号」の研究』が出版される。
ぜひ歴史に興味のある方は入手されることをオススメする。
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