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2011年12月 5日 (月)

『古代官道の歴史地理』

木本雅康著,同成社刊(古代史選書9),
7000円+税を昨日入手した。

一応古代道の研究史について目を通しておきたいと思い,
専門書だから値段は安くないが買うことした。

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南陵中の校庭に残っていた古代道は,
遺跡名としては「東の上遺跡」というのだが,
それが第1章と終章の2ヶ所で扱われており,
かなり所沢がこの分野で注目されているようだ。
その所沢市に住む私が古代道の謎を解くというのも,
何か必然的なことのように思えてくるから不思議である。

この本をざっと目を通して思ったことは,
古代に「直線で」「幅12m」「総延長6300キロ」のハイウェーを作ることを命じた
主体が誰であるかを追求するという姿勢はまったくないということだ。
(そんな権力は大和政権しか思い浮かばない
という通説の立場というか・・・)

そうであるならば,
私は古田史学に学んだものとして,
通説では説明できないが,
九州王朝説なら説明できるということを示し,
今までの学恩に報いたいと思う。

なお,うれしいことに私が20代に住んでい所沢市松葉町や
その近くの所沢新町に「東山道武蔵路」が通っていることが載っていた。
ますます「私がやらなくて誰がやる!」という意欲が湧いてきた。
今年の最後を飾る肥さんの古代史研究にご注目を!

PS 所沢市と狭山市の市界に20m×1キロという不自然な地域があった。
所沢市が狭山市に食い込むようにその土地は存在する。
私たち社会科教員は,身近な地域の指導の際所沢市地図を使っているが,
なんとも奇妙な形に「土地争いの名残では?」などと思っていた。
昨日その謎は解けた。『古代官道の歴史地理』にその話が出ていたからだ。
実は,その奇妙な区画は,「東山道武蔵路」の一部だったのだ。
南陵中を通り,所沢市松葉町を通り,所沢新町を通ったその道は,
(神米金のところでは一瞬現在は道が途絶えるが)
その先,例の奇妙な地形のところに一直線につながるのだった。
(地図で見ると,南陵中からは川越の方に行く道につなげる方が
素直な気もするが・・・)

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