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2011年11月19日 (土)

古賀達也さんの「九州年号の史料批判」の連載

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「古賀達也の洛中洛外日記」では,
このほどミネルヴァ書房から出される
『「九州年号」の研究』に関して
「九州年号の史料批判」と題して,
6回にわたる連載をしてきた。
その最終回を転載させていただこう。

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第351話 2011/11/17
九州年号の史料批判(6)

今日は東京へ向かう上越新幹線「Maxとき」の車中で
この原稿を書いています。
車窓から見える山々の景色がとてもきれいです。

『二中歴』の史料批判もいよいよ最後の局面となりました。
なぜ『二中歴』には大長がなくて、
他の年代歴には大長があり朱鳥が消えた理由の解明です。

この謎をわたしは、「最後の九州年号」
「続・最後の九州年号」という論文で明らかにしました。
その謎解きのキーポイントは
「大長は701年以降の九州年号」ということでした。

詳しくは両論文を読んでいただきたいと思いますが、
後代に成立した三次史料としての年代暦は基本的に
701年以後の大和朝廷の年号へと続いており、
『二中歴』も例外ではありません。

すなわち、九州年号の時代は九州年号を用いて年代を特定し、
701年以降は大和朝廷の年号(大宝から)を使用して
歴史を記述するという体裁をとっているのです。

たとえば『二中歴』は継体から始めて大化までの九州年号を記した後、
701年からは大和朝廷の年号、大宝へと続いています。
その他の年代暦を「集約」して提唱された「丸山モデル」では
朱鳥が無く大化・大長と続いて、
同じく701年からは大宝へと大和朝廷の年号へ継続しています。
 
これらの史料状況から、わたしは最後の九州年号は大長であり、
704年を元年として九年間続き、712年に九州年号が終わっているとする
「古賀試案」を発表しました。比較すると次のようです。

 西暦  二中歴  丸山モデル 古賀試案

 686  朱鳥元年 大化元年  朱鳥元年
 692  朱鳥七年 大長元年  朱鳥七年
 695  大化元年 大長四年  大化元年
 700  大化六年 大長九年  大化六年
 701  大宝元年         大化七年
 703  大宝三年         大化九年
 704  慶雲元年         大長元年
 712  和銅五年         大長九年

このように『二中歴』とその他の年代暦の差異は
九州年号と大和朝廷の年号とのつなぎ方の違いだったのです。

『二中歴』では大和朝廷の最初の年号である大宝とつなぐため、
大化を六年で終わらせたのであり、
「丸山モデル」に代表されるその他多くの年代暦は朱鳥の九年間をカットし、
更に大化も六年でカットし、その分だけ大長を700年までに押し込み、
九州年号から大和朝廷の大宝へと続けたのです。
 
九州王朝が滅亡し、史料としての九州年号が残った後代において、
各年代暦編纂者たちは九州年号と大和朝廷の年号との「整合性」を保つために、
『二中歴』のような単純カットによるつなぎあわせか、
「丸山モデル」のように朱鳥をカットして、
最後の九州年号である大長から大宝へとつなぐ
という史料操作を行ったのです。

こうした理解に立って、初めて『二中歴』タイプと
「丸山モデル」タイプの年号立てが
後代において発生したことを説明できるのです。
 
こうしてようやくわたしは『二中歴』の史料としての優位性と、
701年以降の九州年号の存在という
新たな歴史理解に到達することができたのです。(後略)

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九州年号というのは,従来,鎌倉時代に僧侶が机の上で考えた
でたらめなもの=「偽年号」などとして扱われてきた。
しかし,各地の寺社などの縁起を丹念に採集し,
また丁寧に史料を検討する中で,
結局6世紀前半から8世紀前半にわたる約200年,
合計32もの年号群が,わが国に実際に存在し
(ということは,それを定めた九州王朝が実在し),
逆にそれを隠してきた日本書紀こそが「偽」であることが
証明されたのだった。

真実の歴史に興味のある方は,
ぜひこの冬ミネルヴァ書房から出版される
古田史学の会編の『「九州年号」の研究』をお読み下さい。

【参考】 九州年号

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)・・・白村江の戦いで
朱雀・・・684~685年(2年間)   九州王朝が大敗
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆  

大化・・・695~703年(9年間)◆
大長・・・704~712年(9年間)

(1) ◆は日本書紀に出てくるもの
(2) 712年は古事記ができた年。
日本書紀ができたのは720年

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コメント

>『「九州年号」の研究』

この本いつ出るんですか?

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

12月中か1月には出ると思います。
楽しみです。

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