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2011年11月 7日 (月)

古代史セミナー2011(2日目)

古田武彦氏を講師にした古代史セミナーの2日目を,
かんたんにメモしておこう。

【8時00分~9時00分】

朝食・チェックアウト

【9時30分~12時】

古田さんの話

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・近松門左衛門の「文楽」のDVDを鑑賞
「観音廻り」という題名だった

・参加者のアンケート調査に答える

・イ妥国の支配の範囲が東西五月行南北三月行とは,どんな広さか

・古代の測量技術には,里程を計る車の発明もある(記里車)

・西宮でラジオ番組の収録を始めている
15分×12回で,旧石器・縄文から7世紀末まで

・子どもの頃,「ジャンヌダルク」などの伝記を読み,
歴史を研究する素地ができた

・いずれまた「通史」をまとめたい

・大伴金村は九州王朝系の豪族

・須玖岡本・・・卑弥呼の墓の有力な候補
細石神社・・・「漢委奴国王」金印が祭られた神社
弥生銀座のどこか・・・卑弥呼の金印「親魏倭王」のありか

・30国のうち,『イ卑弥呼』で新たに21国の比定

・「倭」は本来「チクシ」と読むべきもの。
ヤマトタケルが九州の豪族を倒した際,
「これからはヤマトと読むように」と言わせている。
これは「それ以前はチクシだった」ということ。
だから,神武の頃は当然チクシ

・大和となった時期は不明。
大倭は「魏志倭人伝」にも登場しているようにかなり古い

・「日本」の初出が678年との墓碑銘が,中国から出た。
7世紀後半だから当然出てくるだろう。
今後研究を進めていきたい

・宮内庁書陵部の「魏志倭人伝」で,最初は「手偏」なのに,
2回目と3回目は「獣偏」になっている件
偶然やミスではなく,故意にそうしたもの。
卑弥呼側=「手偏」,中国側=「獣偏」か。
文字外交でのやりとり

・倭国の官職名で,ジマコというのがある。
ジというのは海中に住む想像上の動物
倭人側が中国の古典から字を選んでつけた

・古事記の真福寺本の「弟(音)オト」を,
宣長は「矛」と書き換えている

・布目順郎さんの『繊維の考古学』に載っている須玖岡本遺跡出土の錦

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・国宝真福寺本 古事記 小島憲之/解説 桜楓社 B5版 254頁 
重版 函少痛・僅汚れ 本体天地小口僅ヤケ・僅シミ 並本 昭60年発行
(検索したら,アマゾンで3750円 で売っていました)

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【12時00分~13時00分】

昼食(グラタン,コロッケ,サラダ,スープ等)

【13時15分~15時15分】

・三国史記のタンラ国について

・弥生時代の墳丘墓は,上部が壊されている。
(盛り土部分が削られた形で出てくる)
幸い主室部分は助かってるのがあるということ
唐の占領軍がやった可能性はある

・装飾古墳は全盗掘=昼間おおっぴらに壊している

・「魏志倭人伝」の読み下し文について

・和田家文書の中の天皇記・国記について
北畠本,物部本などがあるのでは?

・評を支配しているのは評督,その上位には都督がある。
日本で「府」が置かれたところは筑紫都督府しかない

・岩戸山古墳はなぜ発掘されないのか

・唐の占領軍は石人・石馬は壊したが,
古墳の内部は破壊しなかったのか

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・倭人と南米大陸との交流で,
南米の遺物が日本から出ていないのか
火焔式土器のような植物が南米にはある

・読売新聞の埼玉版に「卑弥呼の鏡発見」として
三角縁神獣鏡が取り上げられていたが,国産か中国産か

・目多利思北孤は,「多利思北孤の目(代理)」という意味
「冒(冒す者)の日が落ちた」というのは無理

・「故なく火を・・・」は「狼煙と間違えるから火を使うな」では?
狼煙の全用例をあげてみてから

・糸島半島で,BC570年という
絶対年代のわかる鉄剣が見つかった話
(これからも続々出てくる可能性がある)

・長野県に「阿蘇」という地名が多いが,
それはどうしてか(熊本より先だった?)

・「そ」の神・・・阿蘇,木曾,糞
「け」の神・・・物の怪,気配
「くい」の神・・・福井,津久井,安喰
「いさな(鯨)」の神=弥生時代の前からあった
縄文以前の古い神たちの存在があった

・「古田さんを見ていると日本は滅びないと思います」
と高校の図書館司書の方に言われた

・拉致問題の責任は誰にあるか

・古代の距離の測り方はどうしていたか
専門家集団がいたのか
「魏志倭人伝」は,陸上は正確,水上は大雑把

・「三国志」に,指南車のことが出ている。
三角法もあったらしい

・坂本博美さんの「縄文讃美の文」

・韓国陸行の4000里は,漢の時代から知られていた
(直接支配していたのだから当然だが)

・韓国を斜めに縦断する国道35号線は,
本当に南東に向かって真っ直ぐ進んでいる
(度々利用している方の証言)

【15時15分~15時30分】

コーヒーブレイク

【15時30分~17時30分】

・タンムラ国の件についてはまた書きたい

・里程の測量の件について
「魏志倭人伝」の1番大切なところは
「水行十日陸行一月」という部分である。
呉によって侵攻を受けた場合,
軍事的に倭国に駆けつけるための日数

・博多湾岸が女王国の入り口である。
里程でも,考古出土物でも,同じ結論。

・評は何と読むのか。評も郡も「こおり」と
通説では読ませるが。(評君もある)

・多賀城碑の里程と方位についての質問。
『真実の東北王朝』復刊の際参考にしたい。

・「ずっと地中にあった」といわれる日本中央碑が
「東日流外三郡誌」には出てくる。
「ずっと地中にあった」というのは本当か。

・「天は人の上に人を作らず・・・」は,
誰が言った言葉か。

・被差別部落のない東北地方でこそ
相応しい言葉ではないか。

・若い頃山形の先生の悩み(地元には被差別部落がない)
を聞いた時のエピソード。

・「天」という言葉にはいろいろな意味がある。
「東日流外三郡誌」の「天」は,どういう「天」か。
方法論としては,用例をすべて挙げてみる必要あり。

・磐井の乱はなかったようだが,
「継体の反乱」はあったのではないか。
古事記・日本書紀を作った目的は,
九州王朝を抹殺すること。
その反映として,
(1) ヤマトタケルがクマソタケルを殺し,
(2) 磐井を倒した
という話を載せている。

・九州年号を3つだけ盗んで挿入し,
我々はあれを公式と認めないとしている

・九州の中での変動があったとすれば,
6世紀前半に大きな変化(土器やシンボルの変化)
が見られないといけないが,それはない。

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・柿本人麻呂は,万葉集のスターだが,
詞書きと歌が一致しないものが多い。
雷の丘と雷山のスケールの違いの例。
彼は出雲出身の人だっため,
九州王朝に仕えた歌人だったから。
(子どもの頃から歌の才能を示し,
当時の九州王朝の都である豊浦に行く。
人麻呂神社の8割は山口県に集中している)
大和朝廷には仕えなかったようだ。

・白村江の戦いの唐の本当の目的は,
倭国を戦争に引き出すこと。
人麻呂は筑紫の君を批判しているだけでなく,
唐の理不尽な占領をも批判している。
(唐の名は一言も出ていないが)
世界に例のない歌人である。
地元の出雲に戻るが,水害に遭って亡くなる。

・ショウキ本の「卑弥呼」の「鬼」の字形と
ライバルの「卑弥弓呼」の「鬼」の字形が
違っているという件。文字外交の時代。

・矛と弟の違い。

・距離の問題。「大雑把の正確さ」という概念
という素晴らしさ。
そして,文献と考古出土物の重なりが大切。

【来年の予定】

2012年11月10日(土)~11日(日)

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帰りの電車では,昨年と同じように久慈さんとご一緒し,
今やろうとしている仕事のことなどをうかがった。
私も古田史学に関わりながら,できることからしていきたいと思う。

講師の古田さんはもちろんのこと,
荻上さんをはじめとしたスタッフの皆さん,
1泊2日の古代史セミナーに参加された方々,
お疲れ様でした!
また来年元気でお会いしましょう!!

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