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2011年11月30日 (水)

さわやかな風が吹いた

教室の前の流しの排水口が詰まって,
思うように水が流れていかない。
それは今に始まったことではない。
(開校30年近いからなあ)

その都度小さい改善策は施してきたが,
それにも限界があるようで,
昨日は雑巾用のところに深さ20センチの溜まり水が・・・。

「仕方がない。やるかあー」
と両手を水に突っ込んで,排水口の器具を探る。
20センチの水は「水圧」さえ感じるほどだ。
しばらく手を動かしていると,何か手ごたえが!

なんと,そこには逆流防止用の器具が
たくさんのヘドロをくっつけて水をせき止めていた。
そして,その器具を「よいしょ」と持ち上げたとたん,
水は「ゴーッ」という音と渦巻きを起こし,
排水口に吸い込まれて行った。

その時だった。
それを見ていたM君が,それからTさんが,
「僕も手伝います」「私もやります」と
果敢にヘドロ除去に協力してくれた。
うれしかった!
ヘドロは真っ黒で,いやな匂いもしていたが,
心の中にはさわやかな風が吹いていた。
(それで勢いを得て,さらに2つの排水口の
ヘドロを除去した)

その排水口掃除の話を,
少し遅くなった帰りの会で生徒たちに話した。
星野富弘さんの「花しょうぶ」の絵が
ちょうどテレビの下のたなにあったので,
「どぶ水を吸ってきれいに咲いた花」
という話が星野さんの詩画にあったけれど,
「今生徒たちとヘドロ掃除をして,
さわやかな気分になれたよ」と。

PS 先ほどのヘドロ除去の際の
2人の生徒たちの様子を見ていたS先生は,
「2人の行動に感動した!」と言って,
「明日景品でもらったシャープペンシルを
ご褒美にあげるんだ!」と言って下さった。
S先生の気持ちがうれしかった。

「人権教育の指導案を作れ」という宿題

人権教育主任という仕事は,本当に大変だ。
人権標語や人権作文はもちろん,
さまざまな機会に行われる研修会への出張が
年間10回以上ある。
それも「義務」と思われる言葉が書かれていて,
「これは行かなくていい」というものはめったにない。

7月に行われた出張は総合の日程の関係で,
H先生に代わりに行っていただいたものだった。
しかも「おみやげ」に課題をもらってきたのだ。
「11月末までに人権教育の指導案を書いて
教育委員会に提出するように」

その期日が迫っているのは知っていたが,
日々の生活に追われている私には,
なかなか形式的なものに思えてやる気が起きずにいた。
しかし,また昨日も催促のファックスが学校に届いた。

昨日は幸いバレーボール部は「定休日」。
パソコンを立ち上げて,朝のうちに指導案のひな型を
教頭先生に入れておいていただいたものを形にしていった。

頭にイメージしていたのは,夏休みに行った
教職員向けの人権教育の研修会。
授業書《差別と迷信》を使って行った1時間を,
授業として見立てて1時間の授業案にしてみた。
これは実際に1時間やったことがベースになっているので,
たちどころに指導案は字で埋まっていき,
1時間後にはA4判で2枚の指導案を作ることができた。

「これを明日の朝教頭先生に
教育委員会に送ってもらおう!」
予想外に早く課題を終え,
自転車のペダルも軽く,私は帰途についた。

2011年11月29日 (火)

昨日の2年選択社会 11/28

昨日の2年選択社会は,
〈心理学入門〉の第2回を行った。

前回より集中してやれたと思う。

席替えしても前の班の場所に無意識に行ってしまう
という話題から盛り上がり,
特に最後の「うそ発見器」の話では,
教室内がシーンと静まり返り,
内容に引き付けられていた。

次回は第2部に入るが,
歴史上に起きた事件なども扱うので,
きっと楽しんでくれるだろう。
(第3部も手に入れておかなくては・・・)

昨日の部活動 11/28

昨日は「社会体育」の日だった。
だから午後7時過ぎまで行われた。

後半アタッカーは100本アタックを課された。
最初は元気が良かったが,
終わりの方になるとかなりバテていた。
スタミナが足りない!

次回の男バレの大会は,
約1ヶ月後のクリスマスカップ(12/23)だ。
飯能の美杉台中で行われる。
また,1月か2月に「1年生大会」がある。
こちらも楽しみだ。

2011年11月28日 (月)

ケーザイカップ2011

狭山経済高校杯バレーボール大会のことを
上記のように呼んでいる。

今年で7回目で,
前任校に続き,私は毎年参加している。
(最高位は,3年前の3位)

今年は10校が参加し,午前8時半~
午後3時半に同校体育館にて行われた。

【予選リーグ】

対富士見東中 0ー2(8ー25,10ー25)
対川越鯨井中 1ー2(24ー26,25ー18,6ー15)

新人戦県大会ベスト4の富士見東中には
勝てないとしても,
鯨井中には勝機があったはず。
もっと食い下がらないと・・・。

【3位リーグ】

対美杉台中 2ー0(25ー20,25ー14)
対所沢東中 2ー0(25ー18,25ー23)

美杉台中は今年度で男子バレー部が最後になるらしい。
すると来年度の地区大会は他の地区とやることになるのか。
(今まで所沢市の2位は美杉台中と地区大会を争い,
県大会の出場権を得ていた)
所沢東中には所沢市民バレー大会の雪辱を果たすことができた。

所沢富岡中は別のブロックで午前中2位,
午後も2連勝で,総合4位になった。
(昨年度は,1年生チームで最下位)
今回我が校は1年生チームながら総合7位だったので,
来年度は大躍進が期待される?

今週末の新所沢たの授サークルの会場の件

今週末の12月3日(土),
新所沢たの授サークルの例会があります。

今回場所が新所沢公民館の近くの
新所沢コミュニティーセンターになりそうです。
(新所沢駅西口徒歩10分)
新所沢公民館まで直進した後,
さらに5分直進したところにあります。
私は新所沢公民館の前で立っていて
案内をする予定です。
(今回も「社会科サークル」に合流するので,
表示にはそう書いてあります)

【内容の予定】

・私と生徒と仮説実験授業~実践30年のあゆみ
・〈指揮者のミス〉をやって
・合唱コンは「カツゼツ」で勝負!
・井上円了をめぐって~DVD視聴も
・津波のDVD視聴
・たのしい手品〈数種〉
・悩み相談

午後1時からやる予定です。
お気軽にご参加下さい。
〈参加費は500円です〉

第8回古代史セミナーのまとめ(リンク)

私なりの報告はすでにしたが,
今回大学セミナーハウスのHPにまとめが掲載されたので,
リンクさせていただく。

古田武彦氏の古代史セミナーに興味のある方は,
ぜひお読み下さい。

第8回古代史セミナーのまとめ

2011年11月27日 (日)

『たの授』公開編集会議2011年11月

昨日は午後0時から2時過ぎまで,
上記の会に出席してきた。

1月号の内容についての会議だった。
電気についての特集になる模様。
板倉さんの中国についての論文がたのしみだ。

そのほかでは,根本さんが
『日本の都道府県』についてのガリ本を作られた。
300ページ近い力作だ。(100部発行)
板倉さん作のミニ授業書を
「授業しやすい形に」という趣旨でまとめられた。
すべて込みで1500円である。
授業を考えている方は,ぜひ入手されるといいだろう。

また,山田正男さんや竹田かずきさん,荒居さんなど,
いつものように自薦レポートの発表も続いて
活気のある編集会議だった。

飯能・日高仮説サークルに参加するため,
早めに退出させていただいた。

飯能・日高仮説サークル2011年11月例会

昨日は午後3時半から上記のサークルに参加した。
(参加者は,丸屋さん,森下さん,
奥村さん,坂上さん,私の5人)

「はやぶさ」についてのDVDと
「井上円了」についてのビデオを観た。
たまにはこんな例会もいい。

サークル後の懇親会では,
奥村さんのパソコン講師の話がたのしかった。
もともとパソコンについては実力のある奥村さんが,
サークルからいろいろなものを吸収し,
今は津田沼でパソコンの講師をしているという。
久しぶりにお会いした奥村さんの表情は,
喜びにあふれているように見えた。
よかったね,奥村さん!

「古代日本のハイウェー」録画のお願い

衛星放送が録画可能なみなさんへ

NHK衛星 BS-プレミアム
11/29(火) 午前9:30~午前11:10
11/30(水) 午前1:00~午前2:40

上記のNHK衛星放送の番組を
どなたか録画していただけないでしょうか?
あいにく我が家はその環境になく,
お願いする次第です。

たの授メーリングの横山稔さんのお話では,
録画するに値する番組とのこと。
(古代の官道は軍用道路だった)
ぜひお願いしたく記事にしました。

2011年11月26日 (土)

「僭帝一旦称臣」とは,薩野馬のことか?

「新古代学の扉」の人気コンテンツ
「古賀達也の洛中洛外日記」に,
(第353話 2011/11/22)
またまた興味深い記事が載っていた。
例の最古の「日本」が出ていた墓誌についてです。
長文ですが,転載させていただきますね。

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百済人祢軍墓誌の「日本」

11月の関西例会で水野さんから紹介された「百済人祢軍墓誌」ですが、
どうやらこの墓誌は九州王朝説に大変有利な内容を含んでいるようです。
現在、墓誌拓本のコピー入手を試みていますが、
新聞発表などでわかる範囲で、見解を述べてみたいと思います。
 
この墓誌は百済人の祢軍(でいぐん・ねいぐん)という人物の墓誌で、
678年二月に長安で没して同年十に埋葬されたと記されています。
残念ながら墓誌そのものは行方不明ですが、
その拓本が中国の学者から紹介されました。
王連竜さん(吉林大学古籍研究所副教授)が「社会科学戦線」7月号で発表された
「百済人祢軍墓誌論考」という論文です。
中国在住の青木さん(「古田史学の会」会員)のご協力により、
同論文を読むことができました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
 
墓誌の中に「日本」という表記があり、
これは現存最古の「日本」ということで、マスコミは取り上げています。
これはこれですばらしい史料なのですが、
実はそれ以外に大変興味深い記事が記されています。

たとえば「僭帝一旦称臣」という記事です。
くわしい解説は拓本コピーで確認した後にしたいと思いますが、
この「僭帝」とは誰なのか、百済王なのか、倭王なのかというテーマです。
関西例会後の懇親会でも喧々囂々の論争を行いました。
墓誌の文脈から判断しなければなりませんが、倭王の可能性も高く、
もしそうであれば九州王朝の天子、薩野馬のことではないでしょうか。
 
白村江戦で敗北し、捕らわれの身となった 薩野馬であれば、
「僭帝一旦称臣」という表現がぴったりです。
少なくとも大和朝廷にはこのような天皇がいた記録はありません。

この他にも、「日本余(口へんに焦)、据扶桑以逋誅」という記事がありますが、
朝日新聞(2011/10/23)によれば、白村江戦で敗れた「生き残った日本は、
扶桑(日本の別称)に閉じこもり、罰を逃れている」と解説されています。

唐代において扶桑は東方にある国と認識されており、
「日本の別称」という説明は必ずしも正確ではありません。
従って、ここは日本の残存勢力が日本(倭国)の更に東に籠もって
抵抗を続けていると解すべきではないでしょうか。
そうすると、扶桑とされた地域は近畿、あるいは東海か関東のいずれかと思われます。

九州王朝説の立場から見れば、
倭国・九州王朝の中枢領域である九州の更に東ということになりそうです。
以前、わたしは「九州王朝の近江遷都」という論文で、
白鳳元年(661)に九州王朝は近江遷都したのではないかという説を発表しました。
すなわち、白村江戦の直前に九州王朝は近江に遷都したと理解したのです。
こうした視点からすると、日本残存勢力が籠もったとする扶桑とは、
近江宮か前期難波宮ということになります。
 
墓誌拓本そのものを見ていませんので、まだアイデア(思いつき)の段階ですが、
この墓誌の内容のすごさが予感されるのです。
今後、拓本精査の上、詳論したいと考えています。

進路の研究授業~リハーサルと本番

昨日上記のハラハラした2時間を過ごした。

【3校時】・・・リハーサル

掲示物はできたものの,まだどの班も練習していない状態。
そこで,1時間いただいてリハーサルをしてみることになった。
やはり,やって良かった。
1班は5分の予定が10分かかるし,
2班は1枚の紙を使いまわしてなんだか変だし・・・。
(3班以降は,だいたい時間も内容も安定した)
それらを改善して,5校時には臨むように指示した。

【5校時】・・・本番

どの班もリハーサルよりかなりいい出来で,
ほとんど安心して見ていられた。
あまりの進行の速さに,
校長先生と指導主事の先生(前々任校で一緒の学年)が
教室にいらした時には,全班が終了していた。
そこで,5班(八百屋)と2班(警察官)にアンコールしてもらい,
最後に感想のプリントを書くことにした。
みんな勘どころをつかんだ感想を書いていたと思う。

「空き時間」が1時間だった今週

今週は火曜日に開校記念日が
水曜日に勤労感謝の日が入ったので,
月・木・金の3日間だった。

この月・水・金は本来だったら,
「空き時間」が5時間入る。
私としてはわりと楽な日々だった(はずだった)。

しかし,昨日の進路の研究授業のために2時間,
ひどい風邪のため年休をとられた先生のために2時間,
「空き時間」を合計4時間も捧げることになったのだった。
(ということは,3日間16時間のうち,
「空き時間」が1時間だけで,その残りが
「15時間授業」になってしまったということだ)

これだけなら我慢すればいい。
ただ忙しさに耐えればよかった(はずだった)。
しかし,世の中はそれさえ見逃さないのかと
悲しい気持ちがした今週だった。
(このことは,いつか書こうと思う)

最後は生徒たちが進路の発表をしっかりやってくれ,
かなり気持ちを切り替えられたのでよかった。

2011年11月25日 (金)

昨日の総合 11/24

私はスキー林間が初めてで知らなかったが,
行く前の準備として「サイズ計測」というのがある。
それが昨日体育館で行われた。

スキーウェアのズボンと靴を試着してみて,
どのサイズがいいか決めていくのだ。

3クラスを50分で行うというから
どんなものかと思っていたら,
同じサイズのものがたくさん用意してあり,
25分ほどで終わってしまった。
(記録係が両方のサイズを名簿に記入)

あまった時間は,教室でバスの座席決め。
もう1時間の総合は,翌日に迫った
進路の研究授業の準備をした。
(各班の職業調べの発表が行われる)

タウン通信

所沢市に「タウン通信」という株式会社があり,
同名のミニコミ紙を発行している。
東京と埼玉の一部の地域(といっても10万部の発行)に
配布されているので,見たことがあるかもしれない。

その所沢版の2011年11月下旬号のトップは,
「長谷川摂子さん追悼」という記事だった。
「笑顔を絶やさず」と副題がついて,
読み聞かせの時の写真も掲載されている。

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そこで,私はこのミニコミ紙をもっと手に入れて,
読みたいと思うだろう人に渡そうと考え,
タウン通信社に電話してみた。

その旨を話すと「分かりました。お送りします」と
ご快諾いただき,先日30部入手した次第。

20部は長谷川家に差し上げようと思うが,
もしお読みになりたい方がいれば
どうぞご連絡を!

株式会社タウン通信

2011年11月24日 (木)

市民バレー大会2011

昨日上記の大会が行われ,
男女バレー部で参加してきた。

【男子】 1回戦 対富岡中 0ー2(15ー25,15ー25)

3位決定戦 対東中 1ー2(22ー25,25ー19,18ー25)

この結果,市内4位=最下位となった。

スコアだけから見ると善戦していた感じがするが,
実際にはレシーブも,アタックもまったく機能していない
といって間違いないものだった。
社会体育まで練習をやってこれでは,残念すぎる。
とても「見ていただける試合」ではなかった。
今週末の狭山経済杯(ケーザイカップ)では,
ぜひ「名誉挽回」してほしい。
もう失うものは何もない!

【女子】 11/19(土)の予選リーグで向陽中と富岡中に勝ち,
     Bブロック1位通過をした。

1回戦 対所沢中 1ー2(20ー25,25ー22,24ー26)

本当に惜しい試合を落とした。もう1歩だった。残念!
しかし,私たちを破った所沢中は,
次の準決勝で柳瀬中に0ー2で敗れている。
また,その柳瀬中も決勝で0ー2で山口中に敗れている。
ということは,女子がさらに勝ち上がるためには,
まだまだ課題があるということだ。
今日からまた頑張ろう!

立川談志の訃報

3年前の喉頭がんが再発し,11月21日に,
あの個性的な落語家であった
立川談志が亡くなったそうだ。
(享年75歳)

べらんめえ調のため,乱暴な性格と
誤解されることも少なくなかった人だが,
それは落語を愛するがゆえで,
実際にはナイーブな性格の人だったらしい。

「ダ・ン・シ・ガ・シ・ン・ダ」などという
ブラックな回文を聞いたことがあるが,
本当にその時が来てしまった。

ネットで検索したら,「立川談志の名言」というのが出ていた。
何かピンと来るものがあったら幸いだ。

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「己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す」

「酒が人間をダメにするんじゃない。
人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」

「何の職業でもいいのだけれど、そうなれる資格、
レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。
好きなことをやり、それで食えるようになりたい、
だからそこに向かって賢明になるはずが、
現代はアルバイトで食えてしまう。
それは楽なごまかしになっていくのではないだろうか」

「鳥もちとへ理屈は、どこにでもひっつく…」

「「執着」「執念」というのが、
「好きの虫」のすんでるところです」

「天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。
青臭いかもしれないけど、
天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ」

「尊敬されて、仕事があって、発想も、
状況を把握できる頭脳もまだある。
それを幸せと言わずして何というか」

「学問の量にしがみつくな」

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ご冥福をお祈りしたい。


PS 先程「九想話」を読みに行ったところ,
談志の「芝浜」という人情話がリンクしてありました。
「いいものはすぐマネさせていただく」
という私の「哲学」により,私もリンクさせていただきました。
1/5~5/5まで約1時間かかりますが,
よろしかったらお聴き下さい。

立川談志の「芝浜」

2011年11月23日 (水)

12月の楽しみ

あと1週間で11月も終わり,12月となる。
12月は,1年で1番最後の月だ。
さて,どんな楽しみが待っているかな?

3日(土)・・・『たの授』12月号発行
        新所沢たの授サークル 午後1時~
4日(日)・・・部活動

10日(土)・・・飯能・日高サークル&忘年会
11日(日)・・・部活動

13日(火)・・・社会科サークル

17日(土)・・・たのしい教師入門サークル
18日(日)・・・部活動

23日(金)・・・クリスマス杯バレー大会 飯能にて
24日(土)・・・『たの授』公開編集会議
         仮説社創立38周年記念行事

26日(火)・・・『たの授』1月号発行

12月はクラスの道徳と2年選択社会で
授業書案〈心理学入門〉をやったり,
学級委員会でクリスマス企画をやる予定だ。

また,吉田秀樹著のミニ授業書『オリンピックと平和』が
仮説社から出版されたり,
古田史学の本の何冊かがミネルヴァ書房から出されたりと,
出版についてもビッグな月となりそうだ。

あと,「来年のことを言うと鬼が笑う」けれど,
「来月のこと」ということで,こんな行事にも参加予定。
1/6~8・・・仮説の冬の大会 愛知県刈谷市にて

年末年始も楽しくいくぞ~!

PS 「古田武彦氏の講演会が3月に関東であるらしい」
との情報を一昨日つかみました。

『夢をかなえる。』

なでしこジャパンのキャプテン・澤穂希著,徳間書店刊,
定価1200円+税の上記の本が出版された。

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さむらいジャパンのキャプテン・長谷部誠著『心を整える。』
(幻冬社刊,定価1300円+税)の「マネ本」である。

というのは,先ほど本屋でこの両書が並んでいて,
あまりのマネぶりに吹き出してしまったからだ。

まず書名が同じ「○○を××する」という形で,
しかも「。」付きである。また,副題も長谷川の本は,
「勝利をたぐり寄せるための56の習慣」というのに対して,
澤の本は,「思いを実現させるための64のアプローチ」と,
まったく同じ形(○○を××させるための△△)なのである。
いや,わざと同じ形式をとって,こちらもいかがと
誘っているようにも見えるから,いたずら心なのか?

とにかく,大切なのは内容。
ということで,今回も64の見出しを
全部抜き出してみることにする。
(『心を整える。』については,
すでに今年の5月1日に
このブログで書いている)

1 大好きなものを見つける
2 夢は絶対に逃げない
3 自分流を加えてみる
4 楽しみながら土台を作る
5 「できるよ!」を言葉にする
6 プラスの感性を磨く
7 夢は一歩ずつかなう
8 夢を恥ずかしがらない

9 宿命は変えられないけど,運命は変えられる
10 コンプレックスは無理に克服しません
11 自分への「いいね!」が個性になる
12 他人の「すごい」は素直に認める
13 噂や評判に惑わされない
14 失敗しても取り返せばいい
15 過去の自分を大切にする
16 加齢を楽しむ

17 毎日,夢のレンガを積む
18 決まった時間にお腹がすく充実感
19 ストレスって何だろう?

20 毎日を「特別な日」だと思う
21 行動すればやる気が湧いてくる
22 「悔しい!」と声に出してみる
23 体の基本ケアをする
24 自分の勝ちパターンをつくる

25 苦しくなったら,私の背中を見て
26 なでしこジャパンは最高の仲間です
27 プレッシャーと思えばプレッシャーになる
28 仲間を信じて,干渉しすぎない
29 万能である必要はない
30 一緒に走れば,一緒に頑張れる
31 相手の心を励ましてあげる
32 待たせるより待つほうがいい

33 仕事と恋愛,どちらも追います
34 恋愛対象はサッカー関係者以外で(笑)
35 彼氏以外とも2人で食事に行きます
36 なぜ,結婚よりもサッカーを取ったか
37 恋愛だけは負けず嫌いじゃない
38 育ててくれた親に「ありがとう」
39 結婚はサッカーをやり尽くした後で
40 「目標にされる母」になりたい
 
41 自分に値段はつけません
42 チヤホヤされるのは一瞬です
43 お金に振り回されない
44 安定も捨ててしまえば,以外と平気
45 買い物はその日のうちに決着します
46 私,お金は絶対に借りません
47 「ほしいもの貯金」をしましょう
48 新しいものより,愛着を大切にする

49 別世界に触れ,自分を知る
50 憧れの人を心の刺激にする
51 ハワイでトロピカルジュースを飲む
52 自分流のオシャレを楽しむ
53 好きな食べ物は我慢しません
54 マイボトルを持ち歩く
55 お風呂は心を癒す貴重な時間
56 「好き」が可能性を広げる

57 泣いてもいい,だけど逃げない
58 起こったことすべてに意味がある
59 謙虚こそ最高の先生
60 「負け」は「気づく」チャンス
61 成功はあとから実感すればいい
62 夢への階段は1つじゃない
63 99回目でもあきらめない
64 感謝の気持ちを忘れない
(実際は,8つの章から構成されている)

長谷川の本は,もうすでに100万部を突破したという。
今回の澤の本が「柳の下にどじょうが2匹」となるか?
私としては,大いに楽しみだ。

昨日の部活動 11/22

昨日は,午前8時半~12時半のコマだった。

顧問のT先生は,風邪がかなり「重症」で,
明日の大会のため,大事をとって帰っていただく。

練習はいつも通りのメニューだったが,
練習の時から男女とも試合用の会社のボールを使うなど,
(男子はモルテン,女子はミカサ)
試合モードになってきていることはいいと思った。

大学生のK君,さらにAETのM先生にもお手伝いをいただき,
最後はサーブからの展開を入念に行った。
いいムードで市民バレー大会の最終調整を終えられた。
今日の市民バレー大会が楽しみだ。
(所沢市民体育館で行われます)

PS 先日の予選リーグで,
女子は1位通過したとのこと。
男子も負けてはいられない。

PS2 校長先生がマラソンの練習の途中で
(2年生のH先生とともに所沢マラソンに出場予定)
「陣中見舞い」に寄って下さった。
ありがとうございました!

2011年11月22日 (火)

道徳で〈指揮者のミス〉をやる

昨日の道徳の時間に,中一夫さん作の
上記の授業プランをやった。

指揮者の岩城宏之さんが,メルボルン交響楽団を
指揮している時に起こった実際のできごとである。

授業評価は,

ア.とてもたのしかった(とてもよくわかった)・・・・・・・・・・・・23人
イ.たのしかった(よくわかった) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7人
ウ.どちらともいえない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3人
エ.あまりたのしくなかった(あまりたのしくなかった) ・・・・・1人
オ.さっぱりたのしくなかった(さっぱりわからなかった) ・・・・0人

という大変高いものだった。
やってよかった!

感想も「岩城さんの潔さを評価するもの」
「聴衆や楽員のやさしさを評価するもの」
「自分の体験にひきつけて語るもの」
といろいろだった。
この「いろいろ」というところは,
この授業プランが「いろいろなことを学べる」
という優れた点ではないかと思っている。

最後に「いけにえの踊り」の実際の演奏を
(岩城さんの指揮ではないが)
ビデオで見ながら感想を書いて,
ちょうど終わりのチャイムとなった。

星野富弘さんの授業の時も
参観していただいた校長先生には,
今回も参観いただきました。
ありがとうございました!

PS 授業評価と感想を載せた学級通信を
その日のうちに発行しようともくろんだが,
「5分の3」が「自習監督」と「授業交換」で
「5分の5」となり,かなわぬ夢となった。
開校記念日と勤労感謝の日をはさんで,
木曜日には発行する予定。
(あとは印刷するだけにしてきた)

2年選択社会で〈心理学入門〉を始めたが・・・

2年選択社会で上記の授業書案を始めた。

「順調にスタートした」といいたいところだが,
なかなか男子の一部が落ち着いてくれない。
土日の2連休のあと,また1日来ただけで連休
(開校記念日と勤労感謝の日)になるということもあるのか,
授業書案に関係ないこともしゃべったりして,
(たまに関係あることもしゃべるので,その辺が難しい)
ほかの生徒にも迷惑が・・・。

そこで,授業の最後に急きょ時間をとって,
2つのことを書いてもらった。

(1) 今日の授業の感想
(2) これからもこういう形で続けたいか,
それとも選択社会の時間を3月まで
ずっと問題集を解く時間にするか

もちろんほとんどの生徒は,落ち着かなかった男子たちを含め,
「内容は楽しかった」「これからもこういう授業がやりたい」
と書いてくれたが,なかなか普通の社会科ではできない経験だった。

私としても,〈心理学入門〉で波に乗って,
1月以降につなげていきたいわけで,
このアンケートがいいきっかけを作ってくれればと思う。

2011年11月21日 (月)

2年選択社会~今後の予定

なかなか決めきれないでいたが,
昨日後期の2年選択社会の予定を
以下のように決めてみた。

12月・・・授業書案〈心理学入門〉

1月・・・よのなか科

2月・・・都道府県調査(レポート)

3月・・・ビデオ

初めてのものや久しぶりのものもあるので,
こちらとしても新鮮に取り組めると思う。

テストの採点に励む

昨日は部活動は顧問の先生に任せして,
テストの採点に励んだ。
(女子の市民バレー大会予選の結果は,
どうだったのだろうか?)

一昨日1クラス採点したのに続き,
昨日は3クラスしたため,
2年生の4クラスはすべて終了した。
(残るは,1年生の1クラス=担任クラス)

平均点は60点位で,期待よりだいぶ低い。
2学期制では3学期制に比べテスト範囲が多くなるため,
なかなか生徒たちも大変なようだ。
(特に2学期中間テストは丸々3ヶ月分である)

そういう点では,今度誕生した新市長に
3学期制に戻すという公約があるので,
もともと日本の風土に合った形に戻すのに
私としては依存はない。

ただ,土曜復活については,生徒たちの中でも
もう小学校入学以来週休2日制で過ごしてきているため,
「元に戻す」というわけにはいかないだろう。
私としては,「月曜午後から+平日5日+土曜午前」の
新・週休2日制を実施したいのだが,
なかなかそれは難しいだろうな。
この場合,月曜は委員会や部活動が入り,
授業はしない半日(しかも午後からのスタート)となる。

2011年11月20日 (日)

『気持ちよく自分を生きる』

最近プロ野球では,先発と押さえのほかに,
中継ぎ(ホールド)という役割が認められている。
先発が早めに崩れても,中継ぎが試合を
立て直したために,逆転勝利に結びつく日もある
大切な役割なのだ。
昨日は,部活動も,読書も,その他のことも,
そんな中継ぎの1日だった。

その読書では,仮説の会の犬塚さんの語録である
『気持ちよく自分を生きる』を読んだ。

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犬塚さんは古くからの仮説の会員で,
仮説のメッカ・愛知県西尾市の方である。
中学理科からスタートして『教師6年+1年』を書き,
小学校,再び中学校へ。
さらに退職後は,高校や大学,専門学校にも籍を置き,
仮説の授業を行っている。

また,組織論的にも興味深い活動をしていて,
西尾仮説サークルを地域に開き,ガリ本文化を創り,
(自宅内に「ガリ本図書館」も建てられた!)
ガリ本プレゼントによる情報交流の流れを創り,
『科学入門教育』の発刊や
『たの授』内の雑誌内コーナーなど,
本当に研究会の中で特異な動きを見せていた。
それを板倉さんや仮説社の竹内さんも高く評価し,
リーダー的役割を「第1回板倉賞」の受賞となったのだった。
また,仮説社からは,中学生たちとの日々を描いた
『輝いて!』も出版された。

私と犬塚さんのお付き合いといえば,
やはり埼玉で冬の大会が行われた年からだったろうか。
飯能・日高仮説会館を丸屋さんが建てたのを記念しての
講演会を皮切りに,大会運営について,
また夏の埼玉の会では「石灰岩」の授業者として,
親しみを感じるようになった。
(若い頃は「なんだかこわそうな方」だと思っていたが,
今では「するどい感覚と行動力で研究会をリードする方」
という印象に変化していった)

私はどちらかというと,行動が遅いという意味で「理論派」なので,
犬塚さんの行動力から学びつつ,
自分の「今後」をたのしく創っていきたいと思っている。

昨日の部活動 11/19

昨日は,午前11時から2時のコマだった。
ところが,雨にもかかわらず生徒たちが
かなり早くから来たので,
時間を前倒しして始め,午後1時までとした。
(もともとこのコマは昼食をはさむので,
あまり好みではないのだ)

練習内容はいつも通りだったのだが,
大学生のK君が手伝いに来てくれたこともあって,
最後に3人シートと紅白戦も入れ,
楽しく行うことができた。(私は審判役)
23日には市民バレー大会もある。
気持ちを集中してがんばろう!

2011年11月19日 (土)

古賀達也さんの「九州年号の史料批判」の連載

新古代学の扉」の人気コンテンツ
「古賀達也の洛中洛外日記」では,
このほどミネルヴァ書房から出される
『「九州年号」の研究』に関して
「九州年号の史料批判」と題して,
6回にわたる連載をしてきた。
その最終回を転載させていただこう。

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第351話 2011/11/17
九州年号の史料批判(6)

今日は東京へ向かう上越新幹線「Maxとき」の車中で
この原稿を書いています。
車窓から見える山々の景色がとてもきれいです。

『二中歴』の史料批判もいよいよ最後の局面となりました。
なぜ『二中歴』には大長がなくて、
他の年代歴には大長があり朱鳥が消えた理由の解明です。

この謎をわたしは、「最後の九州年号」
「続・最後の九州年号」という論文で明らかにしました。
その謎解きのキーポイントは
「大長は701年以降の九州年号」ということでした。

詳しくは両論文を読んでいただきたいと思いますが、
後代に成立した三次史料としての年代暦は基本的に
701年以後の大和朝廷の年号へと続いており、
『二中歴』も例外ではありません。

すなわち、九州年号の時代は九州年号を用いて年代を特定し、
701年以降は大和朝廷の年号(大宝から)を使用して
歴史を記述するという体裁をとっているのです。

たとえば『二中歴』は継体から始めて大化までの九州年号を記した後、
701年からは大和朝廷の年号、大宝へと続いています。
その他の年代暦を「集約」して提唱された「丸山モデル」では
朱鳥が無く大化・大長と続いて、
同じく701年からは大宝へと大和朝廷の年号へ継続しています。
 
これらの史料状況から、わたしは最後の九州年号は大長であり、
704年を元年として九年間続き、712年に九州年号が終わっているとする
「古賀試案」を発表しました。比較すると次のようです。

 西暦  二中歴  丸山モデル 古賀試案

 686  朱鳥元年 大化元年  朱鳥元年
 692  朱鳥七年 大長元年  朱鳥七年
 695  大化元年 大長四年  大化元年
 700  大化六年 大長九年  大化六年
 701  大宝元年         大化七年
 703  大宝三年         大化九年
 704  慶雲元年         大長元年
 712  和銅五年         大長九年

このように『二中歴』とその他の年代暦の差異は
九州年号と大和朝廷の年号とのつなぎ方の違いだったのです。

『二中歴』では大和朝廷の最初の年号である大宝とつなぐため、
大化を六年で終わらせたのであり、
「丸山モデル」に代表されるその他多くの年代暦は朱鳥の九年間をカットし、
更に大化も六年でカットし、その分だけ大長を700年までに押し込み、
九州年号から大和朝廷の大宝へと続けたのです。
 
九州王朝が滅亡し、史料としての九州年号が残った後代において、
各年代暦編纂者たちは九州年号と大和朝廷の年号との「整合性」を保つために、
『二中歴』のような単純カットによるつなぎあわせか、
「丸山モデル」のように朱鳥をカットして、
最後の九州年号である大長から大宝へとつなぐ
という史料操作を行ったのです。

こうした理解に立って、初めて『二中歴』タイプと
「丸山モデル」タイプの年号立てが
後代において発生したことを説明できるのです。
 
こうしてようやくわたしは『二中歴』の史料としての優位性と、
701年以降の九州年号の存在という
新たな歴史理解に到達することができたのです。(後略)

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九州年号というのは,従来,鎌倉時代に僧侶が机の上で考えた
でたらめなもの=「偽年号」などとして扱われてきた。
しかし,各地の寺社などの縁起を丹念に採集し,
また丁寧に史料を検討する中で,
結局6世紀前半から8世紀前半にわたる約200年,
合計32もの年号群が,わが国に実際に存在し
(ということは,それを定めた九州王朝が実在し),
逆にそれを隠してきた日本書紀こそが「偽」であることが
証明されたのだった。

真実の歴史に興味のある方は,
ぜひこの冬ミネルヴァ書房から出版される
古田史学の会編の『「九州年号」の研究』をお読み下さい。

【参考】 九州年号

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)・・・白村江の戦いで
朱雀・・・684~685年(2年間)   九州王朝が大敗
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆  

大化・・・695~703年(9年間)◆
大長・・・704~712年(9年間)

(1) ◆は日本書紀に出てくるもの
(2) 712年は古事記ができた年。
日本書紀ができたのは720年

さあ,また忙しい日々が始まるぞ!

中間テストが終わってホッとひと息というところだが,
今週末からまた忙しい日々が再開する。

19日(土)・・・部活動10時~2時
         テストの採点
20日(日)・・・テストの採点の続き
21日(月)・・・道徳で「指揮者のミス」
         2年選択社会で「?」
         学級委員会=実行委員会
22日(火)・・・開校記念日だが部活8時~12時半
23日(水)・・・勤労感謝の日だが市民バレー大会7時~4時

26日(土)・・・『たの授』公開編集会議
         飯能・日高サークル
27日(日)・・・狭山経済杯バレー大会7時~5時

29日(火)・・・学年朝会
30日(水)・・・進路の研究授業
         スキー林間のきまりクラス討議

「さあ採点だ」から「さあ大変だ」へ

これはカツゼツの練習ではない。
テストが終わって「さあ採点だ」と思っていたら,
それは一瞬にして「さあ大変だ」に変わってしまったのだ。

昨日の放課後の中央委員会で
スキー林間ののスローガンが決定し,
やれやれと思っていたら,
次にスキー林間のきまりの検討をするという。
そう言われて思い出した。
11月7日(水)の学年会でこのことを話し合い,
テストが開けたら中央委員会で検討すると
決めていたことを・・・。(冷や汗)

朝にでもそのことを聞いていれば
なんとか放課後までに間に合わせたが,
昨日の中央委員会は
「スキー林間のスローガン」のことだけと
思っていたために失念した。

そして,私の頭の中には
来週からの学級委員会の学年朝会や
クリスマスの取り組みの方が頭の中心にあって,
テストづくり,風邪による体調悪化と続く中で,
完全にスキー林間のきまりのことが
抜け落ちてしまっていたのだった。

とにかく月曜に学級委員会=実行委員会を開き,
(1) スキー林間のきまりについて
(2) 学年朝会について
(3) クリスマス企画の取り組みについて
の「三大議題」を片付けよう。

そして,学級委員会がそれらを一手に引き受けて,
しかも見事に全部成功させられるように頑張ろう。
エイエイ,オーッ!

2011年11月18日 (金)

国友浩さんの『私の組織論』

先月のガリ本プレゼント(有料)の際,
上記の本を入手した。

福岡県の仮説実験授業研究会の会員の方だ。
(私より10年ほど先輩である)
今年の夏の大会の際には,
私と組んで古代史の旅企画などもされた。

国友さんの経歴は,かなりすごい。

(1) 中学卒業後,自衛隊に10年間
(2) 小学校の先生を20年間
(3) 会社員を3年間(バブル崩壊の時期)
(4) 「悪戦苦闘」の2年間
(5) 花屋さん「花楽舎」を12年間

そして,現在は地元の町づくりに協力している
という次第である。

小学校の先生時代には,仮説実験授業や
キミ子方式の絵の報告でよく名前を耳にした。

私は最近,長谷川摂子さんの年譜をきっかけに,
井上円了,親鸞と,このブログに年譜を載せてきた。
それは,私も退職がそう遠くない時期を迎え,
先輩たちがどう生きてきたかを知りたくなったからである。

そんな時,年譜を書くと,故人の一生がよくわかり,
自分の生き方のヒントになるし,
無用な落ち込みをしなくても済む。
だから,今後も気になる人の年譜は書いていきたいし,
皆さんにも年譜を書いていただければうれしい。

なお,年譜といっても,故人についてのものだけでなく,
生きている私たちにとっても書く意味があると思っている。
今までの人生を振り返り,そして生きている限り,
残された人生をより充実させるために・・・。

なお,私の年譜「肥さん年図」(2007年まで)を
「肥さんのホームページ」に掲載してある。
参考にしていただければ幸いである。

肥さんのホームページ

肥さんの長い1日

昨日は,中間テストの1日目だった。

私は治りかけの風邪の体を叱咤しつつ,
何とか放課後までテスト監督などを頑張った。
(ちなみに,テスト監督というのは,
あまり楽しい仕事ではない)
あとは,社会科のテスト作りだ!

かるた,ワークはコピーしてあるし,
太字・細字の候補もパソコンに打ち込んであるので,
あとはそれをB4判・2枚の紙にどう配置するかだ。

この作業は一昨日大事をとって体力を温存したので,
体力が回復しつつある昨日はわりとはかどった。
(ただし,印刷寸前で,かるたの答えの部分を
修正液で消していないのを発見してヒヤッとしたが・・・)

午後5時前にテスト作りが終了。
分会で集めた署名を地区労会館に届けつつ,
5時半には自宅に。

その後,約4ヶ月ぶりに近所の居酒屋・肴やへ向かう。
そこで,久しぶりにパソコンの師匠・九想さんとオフ会をし,
(現在九想さんは仕事のため軽井沢に在住)
午後8時過ぎ長い1日を終えたというわけであった。

風邪もほとんど治った。
週末からまたパワフルに活動再開だ!

2011年11月17日 (木)

1万5000円台で放射線測定器が!

国民の放射線への関心が高まり,
企業の方も増産を始めているようだ。

昨日興味をもたれたM先生が
インターネットで調べたところ,
最低価格のものが1万5000円台で出ていた。

また,それに影響されてのことだと思うが,
これまで5万,6万円台だったものが値崩れし,
3分の1の1万円台に下がっていたのには驚いた。

まあ,先行購入者は高いものを買うのはしかたないが,
先月の3分の1の価格というのはちょっとなあ・・・。

鼻水のち熱ときどき咳(せき)

今回の風邪はだいたい以下のように進行した。

鼻水・・・ティシュをずいぶん消費した
熱・・・37℃台半ばのだるいやつだった
咳(せき)・・・ほかの先生がしていたのと似ているぞ!

というわけで,今回の風邪は峠を越えました。
ふー,ひと安心。

しかし,安心できないのがテスト作り。
材料は揃えたが,まだ全然形になっていない。
本日(テスト初日)の放課後=午後2時~5時が勝負だ!

2011年11月16日 (水)

テスト作りと「法然・親鸞展」

昨日は,8月31日の振り替え休業日ということで,
休みだったが,テスト作りを進めておこうと学校に行った。

ところが,風邪で調子がでず,
2時間で帰ってきた。
(一応50点分の太字・細字問題は作った)

昼食後昼寝したところ少し体調が回復したので,
かねてから行こうと思っていた「法然・親鸞展」に出かけた。
(東京国立博物館,12月4日まで)

平日なので超満員ということはなく,
少し込んでいる程度で見学しやすかった。

残念ながら親鸞の「鏡の御影」や「早来迎図」などは
展示を終了していて見られなかったが,
恵信尼の手紙や「坂東本」,山越来迎図などが見られて
刺激を得ることができた。

今回の「お供」は古田武彦著『親鸞』(清水書院)で,
それが帰宅後の「親鸞の略年譜」を書くきっかけにもなった。

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親鸞の略年譜(未完)

古田武彦著『親鸞』(清水書院)を再読したことで元気が出て,
親鸞の略年譜を作ることにした。
まだ未完成だが,今後さらに埋めていって,
親鸞の生涯のイメージをつかみたい。

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1173(承安3)年 [1歳] 親鸞,京都に生まれる(現在の京都市伏見区日野)

1174(承安4)年 [2歳]

1175(安元元)年 [3歳]

1176(安元2)年 [4歳]

1177(治承元)年 [5歳]

1178(治承2)年 [6歳]

1179(治承3)年 [7歳]

1180(治承4)年 [8歳]                           (源頼朝,義仲の挙兵)

1181(養和元)年 [9歳] 京都青蓮院において,後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度し,
「範宴」(はんねん)と称する。
                                   ↓
※ 出家後は叡山(比叡山延暦寺)に登り,
慈円が検校(けんぎょう)を勤める横川の首楞厳院     ↓
(しゅりょうごんいん)の常行堂において,
天台宗の堂僧として不断念仏の修行をしたとされる。   ↓
叡山において20年に渡り厳しい修行を積むが,
自力修行の限界を感じるようになる。             ↓               

1182(寿永元)年 [10歳]                  ↓

1183(寿永2)年 [11歳]                   ↓

1184(元暦元)年 [12歳]                   ↓

1185(文治元)年 [13歳]                   ↓     (守護・地頭の設置)

1186(文治2)年 [14歳]                   ↓

1187(文治3)年 [15歳]                   ↓

1188(文治4)年 [16歳]                   ↓

1189(文治5)年 [17歳]                   ↓

1190(建久元)年 [18歳]                   ↓

1191(建久2)年 [19歳] 磯長(しなが)の夢告。聖徳太子が夢に現われお告げ

1192(建久3)年 [20歳]                   ↓      (源頼朝が鎌倉幕府を開く)

1193(建久4)年 [21歳]                   ↓

1194(建久5)年 [22歳]                   ↓

1195(建久6)年 [23歳]                   ↓

1196(建久7)年 [24歳]                   ↓

1197(建久8)年 [25歳]                   ↓

1198(建久9)年 [26歳] 「赤山明神の女」伝説     ↓

1199(正治元)年 [27歳]                   ↓

1200(正治2)年 [28歳] 大乗院の夢告。如意輪観音が夢に現れお告げ。比叡山を下りる

1201(建仁元)年 [29歳] 六角堂の夢告。救世観音が夢に現われお告げ。法然と出会う。吉水集団に入る

1202(建仁2)年 [30歳]                                 ↓(「綽空」=しゃくくう)

1203(建仁3)年 [31歳]                                 ↓ 

1204(元久元)年 [32歳] 源空の七箇条起請文に署名               ↓ 法然との6年間
                                                   
1205(元久2)年 [33歳] 法然から選択集書写,肖像画模写を許される     ↓ (「善信」=ぜんしん)

1206(建永元)年 [34歳] 興福寺の衆徒,念仏者を訴える             ↓ 

1207(承元元)年 [35歳] 越後へ流される(承元の弾圧)              ↓

1208(承元2)年 [36歳]                   ↓

1209(承元3)年 [37歳]                   ↓

1210(承元4)年 [38歳] このころ,承元の奏状(抗議文)を提出 。「禿」(とく)を名乗る。「愚禿親鸞」

1211(建暦元)年 [39歳] 流罪を許される(信蓮房誕生)↓

1212(建暦2)年 [40歳]                    ↓

1213(建保元)年 [41歳]                   ↓

1214(建保2)年 [42歳] 常陸国に入る(関東での布教)

1215(建保3)年 [43歳]        ↓

1216(建保4)年 [44歳]        ↓

1217(建保5)年 [45歳]        ↓

1218(建保6)年 [46歳]        ↓

1219(承久元)年 [47歳]        ↓

1220(承久2)年 [48歳]        ↓
 
1221(承久3)年 [49歳]        ↓                   (承久の乱おこる)

1222(貞応元)年 [50歳]        ↓

1223(元仁元)年 [51歳]        ↓

1224(元仁2)年 [52歳] 『教行信証』を書く 

1225(嘉禄元)年 [53歳]        ↓

1226(嘉禄2)年 [54歳]         ↓

1227(安貞元)年 [55歳] 延暦寺の衆徒,法然の墓を破壊する。また,『選択集』の版木を焼く

1228(安貞2)年 [56歳]         ↓

1229(寛喜元)年 [57歳]         ↓

1230(寛喜2)年 [58歳]         ↓

1231(寛喜3)年 [59歳]         ↓

1232(貞永元)年 [60歳]         ↓                  (御成敗式目の制定)

1233(天福元)年 [61歳]         ↓

1234(文暦元)年 [62歳]         ↓

1235(嘉禎元)年 [63歳] このころ,京都へ帰る

1236(嘉禎2)年 [64歳]

1237(嘉禎3)年 [65歳]

1238(暦仁元)年 [66歳]

1239(延応元)年 [67歳]

1240(仁治元)年 [68歳]

1241(仁治2)年 [69歳]

1242(寛元元)年 [70歳]

1243(寛元2)年 [71歳]

1244(寛元3)年 [72歳]

1245(寛元4)年 [73歳]                       署名に「釈」が入る(83歳まで)

1246(寛元5)年 [74歳]

1247(宝治元)年 [75歳]

1248(宝治2)年 [76歳]

1249(建長元)年 [77歳] 

1250(建長2)年 [78歳] 三夢記を覚信尼(娘)に送る

1251(建長3)年 [79歳]

1252(建長4)年 [80歳] 建長の弾圧

1253(建長5)年 [81歳]

1254(建長6)年 [82歳]

1255(建長7)年 [83歳] 北条氏の屋敷に行き,一切経の校合。慣例を反し,袈裟をぬがずに魚鳥を食す。

1256(康元元)年 [84歳] 善鸞を義絶する

1257(正嘉元)年 [85歳]

1258(正嘉2)年 [86歳]

1259(正元元)年 [87歳]

1260(文応元)年 [88歳]

1261(弘長元)年 [89歳]

1262(弘長2)年 [90歳] 親鸞死ぬ

2011年11月15日 (火)

埼玉県民の日2011

昨日は埼玉県民の日だったが,
午前中だけ学校に出た。
やったのは,次の仕事。

(1) 学級通信を2枚書く
(2) テスト作りの準備(コピーとり)
(3) 花の水遣り
(4) クリスマスツリーの購入
   (テスト後の学級委員会の活動用)

午後は都内に出かけようと思っていたが,
風邪をひいてしまったらしく,
家で休養することにした。

※ 県民の日は,生徒たちは休みとなるが,
教職員は埼玉県民でも出勤だ。
だから,年休をとって休むという形となる。
ちなみに開校記念日も同じ。
せっかくの「祝日」なのに「平日扱い」では,
愛校心や愛県心は持ちにくい?

クリスマスツリーの購入

クリスマスツリーを購入した。
学級委員会のテスト後の活動のためである。

今は100円ショップで安く手に入れることができる。

1.2mのプラスチックのもみの木・・・1000円
星飾りセット・・・100円
5センチの赤い玉セット・・・100円
銀色の5mのモール・・・100円
ピンクの3mのモール・・・100円
電飾セット・・・100円

約1600円で3年間使えるセットが買えた。
1年間で約530円,1日で1.5円!

これを学年のT字路の交差点のところに置き.
クリスマスムードを盛り上げたい。
今やクリスマスは国民的行事といってもよい。

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それだけではつまらないので,
「サンタにお願い」というコーナーを設けたい。
プレゼントしてほしいものを書いて貼る
という作業をやっていきたいと思っている。

ハート型や星型に色画用紙をくりぬき,
マジックでほしいものを書いてもらい,
模造紙に貼ってもらえば,
「いまどきの中学生のほしいもの」が
アンケート調査できるというものだ。

2011年11月14日 (月)

県民のつどい2011

昨日は上記(いわゆる県教研)に参加してきた。

会場は入間向陽高校で,
私は第3分科会=社会科教育に参加した。

参加者は1番多い時で12名。
半分が知っている人で,半分が初めて会う人だった。

報告は8レポート。
県教研にしては数が少ないかなと思ったが,
それぞれ個性的ながら共通点する部分もあり,
午前9時半から午後5時まで楽しく議論した。

私のレポートは,「私と生徒と仮説実験授業~
実践30年のあゆみ」で市教研とほぼ同じ内容だったが,
仮説実験授業を知らない人のために説明を加えたのと,
教研らしい副題をもう1つ付けてみた。
「~社会科における仮説実験授業と民主主義の教育」
というものだ。

その際,「教師が工夫するべき部分を授業書に任せる
ということはどういう意味なのか」とか,
「かつてと今では授業に対する反応に違いはあるか」
などという質問が出た。

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7時間という長時間にわたる分科会だったが,
「社会科をたのしく充実したものにしたい」と燃える人たちの
熱い思いに支えられて,あっという間に時間が過ぎた。

「皆さん,素晴らしい1日をありがとうございました!」

昨日知った自由の森学園のホームページ
自森人へようこそ

日曜美術館「法然と親鸞」

法然の800回忌と親鸞の750回忌が重なる今年,
「法然と親鸞」展が東京国立博物館で開かれている。
(2011年12月4日まで)
展示190点のうちなんと,国宝が90点という
なかなかすごい企画である。

「日曜美術館」がこのテーマで放送するというので,
録画しておき,今それを観ながら書いている。
ゲストは最近の『親鸞』が好評な五木寛之氏。

唯円の『歎異抄』と吉本隆明の『最後の親鸞』ぐらいしか
彼らについての私の知識はないのだが,
念仏という方法で救われるという
絶対他力の信仰というものを法然は確立した。
そして,親鸞はその法然に弟子入りし,
その教えをさらに高めた。

親鸞といえば,古田武彦氏が研究したことでも知られている。
親鸞の筆記鑑定みたいな専門的な研究もしたのだが,
彼の著作『親鸞』(清水書院)は
ぜひ若い人に読んでほしい本だ。

「早来迎」の迫力。
「絵伝」の鮮やかさ。
2人の肖像画・・・。
ぜひ今回の展示会に行ってみたいと思った。

「秒」はなぜ「second」というのか?

たの授メーリングリストの中桐優さんが,
面白い情報を教えてくれた。それを転載しよう。

「秒」の由来,ご存知でしたか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フジテレビ「たけしのコマ大数学科」竹内薫さんの話題より。

「秒」を英語で表すと、「second」=「2番目」なのはどうしてか?

紀元前300年頃、バビロニア人は1日を
1/60、その1/60、その1/60、と6回も分割していたらしい。


紀元後1000年ペルシャのアル・ビルーニは新月を
日、時間、分、秒(seconds)、thirds、fourthsで記述。

時間を1回60分割したのが分、
2回目に分割したのが秒(second)
という訳。
さらに4回目まで60分割する方法をとっていた。


現在でもポーランド(tercja)やトルコ(salise)にthirdsの名残がある。

2011年11月13日 (日)

浦和仮説サークル2011年11月例会

昨日は,久しぶりに浦和仮説サークルに参加した。

出席簿ノートをめくってみたら,
ここ数年は年1回の「七夕出席」だった。
(しかも,2時間の大遅刻!) 
 
参加者は7名。
須崎さん,実藤さん,荒井さん,瀬間さん,
綿貫さん,西川さん,そして私。

私が行ってからの報告では,
瀬間さんの「回転させるとどう見える?」という道具。
ベンハムのこまみたいなものを回転させて,
どう見えるかを聞いていくもので,
その回転させる道具もなかなかよくできている。

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面白いので,実藤さんもいっていたように,
図入りでくわしく報告していただけるといいと思った。
また,私としては次のようにやれないかと思った。
(1) 「線を回転させるとどう見えるか」を
 「法則」がわかるところまでやってほしい。
(2) ベンハムのこまの紹介
(3) 色付き編を質問する

また,綿貫さんからは1時間でやれる
「ダイオキシン」の授業プランの紹介があった。
これだと分子模型は使えるし,実験もできるし,
1時間で終われるので「一石三鳥」でやりやすいと思った。

私は次の3点を紹介させていただいた。
(1) ミニガリ本「井上円了」をめぐって
(2) 放射線測定器を入手した!
(3) 私と生徒と仮説実験授業~実践30年のあゆみ

「歴史秘話ヒストリア」の井上円了はなかなかいい番組で,
荒井さんもDVDに録画されたそうだ。
実藤さんからは大矢真一さんの著書を
2冊紹介していただいた。

西川さんは,前橋から小松原高校に通っているそうだ。
北海道の大学で仮説を知ったという生きのいい若手。

須崎さんには毎月1回サークル報告をメールで
送っていただき,感謝している。
そのお礼に年に1回は参加させていただくつもりである。

そうそうこのあと,瀬間さんの使っていた道具の写真を
須崎さんに送る実験をしてみる。
果たしてうまくいきますか?

AKB48の年齢構成グラフ

新曲のセンターを決める「じゃんけん大会」で,
優勝したのは「最年長」の篠田麻里子とのことだった。
これを聞いてグラフ好きの私は,
年齢別のグラフが描きたくなった。

「AKBのある生活」というサイトに,
私が作りたいと思っていた「年齢一覧」が出ていた。
これは一種の「グラフ」である。
感謝を込めて,利用させていただく。

なお,上記の資料は昨年度のものなので,
年齢を+1年にして転載させていただくことにする。

この資料のうれしいところは,
「5年後」も付いているところである。
今後必ず「卒業問題」は出てくるのだ。
「グラフは未来を予想する!」


★★★年齢早見表★★★

【25歳】篠田麻里子
【24歳】
【23歳】小島陽菜 秋元才加 大島優子
【22歳】倉持明日香 梅田彩佳
【21歳】中田ちさと 片山陽加 松原夏海 宮澤佐江 佐藤亜美菜 佐藤夏希 
【20歳】高橋みなみ 高城亜樹 前田敦子 仲谷明香 板野友美 米沢瑠美
    野中美郷 松井咲子 柏木由紀 北原里英 河西智美 小林香菜 増田有華 鈴木まりや
【19歳】指原莉乃 仲川遥香 大家志津香 峯岸みなみ 田名部生来 仁藤萌乃 平嶋夏海
    【大場美奈】【仲俣汐里】
【18歳】中塚智実 菊地あやか 横山由依 宮崎美穂 近野莉菜 石田晴香 佐藤すみれ
    【島田晴香】【金沢有希】
【17歳】藤江れいな 内田眞由美 渡辺麻友 小森美果 【森杏奈】【永尾まりや】
    【島崎遥香】【中村麻里子】【市川美織】
【16歳】多田愛佳 岩佐美咲 前田亜美 奥真奈美【山内鈴蘭】【阿部マリア】
    【伊豆田莉奈】【入山杏奈】 
【15歳】【竹内美宥】【小林茉里奈】
【14歳】【藤田奈那】【加藤玲奈】

5年後は・・・?

【30歳】篠田麻里子
【29歳】
【28歳】小島陽菜 秋元才加 大島優子
【27歳】倉持明日香 梅田彩佳
【26歳】中田ちさと 片山陽加 松原夏海 宮澤佐江 佐藤亜美菜 佐藤夏希 
【25歳】高橋みなみ 高城亜樹 前田敦子 仲谷明香 板野友美 米沢瑠美 野中美郷
     松井咲子 柏木由紀 北原里英 河西智美 小林香菜 増田有華 鈴木まりや
【24歳】指原莉乃 仲川遥香 大家志津香 峯岸みなみ 田名部生来 仁藤萌乃 平嶋夏海
     【大場美奈】【仲俣汐里】
【23歳】中塚智実 菊地あやか 横山由依 宮崎美穂 近野莉菜 石田晴香 佐藤すみれ
     【島田晴香】【金沢有希】
【22歳】藤江れいな 内田眞由美 渡辺麻友 小森美果 【森杏奈】【永尾まりや】
     【島崎遥香】【中村麻里子】【市川美織】
【21歳】多田愛佳 岩佐美咲 前田亜美 奥真奈美【山内鈴蘭】【阿部マリア】    
     【伊豆田莉奈】【入山杏奈】 
【20歳】【竹内美宥】【小林茉里奈】
【19歳】【藤田奈那】【加藤玲奈】

2011年11月12日 (土)

GOM3(姉と僕卒業)に行ってきました!

昨日はかねてより楽しみにしていた
上記のライブコンサートに行ってきた。

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会場は,町田市民ホール。
開演時間は,約5時間。
ものすごいパワフルな時間だった。
(しかも,昨日は平日です・・・
午後にある二者面談を午前中に終わらせ,
3時間年休をもらいました)

パパナチョ・ファミリーを中心に,
(父・源太さんを中心にいろいろなものがあった)
ハモネプその他で知り合ったゲストたちも登場し,
(じゃ~んずΩやA‐Zの構成メンバーのグループなど)
実に素晴らしい会であった。

その全部を書くことはとてもできないので,
姉と僕の部分だけ書いておこう。
これだけでも約50分の熱演だった。

1.姉と僕登場!

残酷な天使のテーゼ
~みなし子ハッチ
~ゲゲゲの鬼太郎
~宇宙戦艦ヤマト

2.見上げてごらん夜の星を
(ハモネプ10の予選で歌ったもの)

3.山下達郎メドレー

4.CMの歌と踊り

文明堂のカステラ
~明治チョコレート
~天使の羽根のランドセル
~ヨドバシカメラ

5.AKB48の歌と踊り

ヘビーローテーション
~エブリデー・カチューシャ
~ポニーテールとシュシュ
~フライング・ゲット
~ヘビーローテーション(2)

6.なごり雪
(ハモネプ10の決勝で歌う予定だったもの)

7.明日晴れるかな
(「ハモネプ9」で予選を通過した曲。
その時,多くの人が衝撃を受け,
姉と僕の存在を世に知らしめた)

8.あの素晴らしい愛をもう一度
(「ハモネプ9」で決勝で歌い優勝をした曲)

サプライズ入りダイアリー

GOM3の記念にと,
休憩の時ロビーで関係グッズを探した。

CDは何枚も出ていたが,
姉と僕としてではないので,今回は買わなかった。
(今思うと「夕食ホット」のデビューCDは買うべきだった)
それに替わってダイアリーが目に止まった。

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姉と僕の写真が小さい紙ではさんであり,
しかも値段が300円とお手頃。
さらに,「サプライズありマス(記号で)」と
「ヒント」が書いてあった。

ダイアリー+サプライズに私はピンと来た!
これには彼らの誕生日が書いてあるに違いない!

果たして中を見てみると,
姉と僕の4人の誕生日がちゃんとサインしてありました。
(1人ひとり別の筆跡なので,
実質4人からサインをもらったのと同じです!)

これから来る順に並べると,

長男しゅうくん・・・12月11日
長女ちーちゃん・・・5月22日
三女しょったん・・・8月14日
次女さーちゃん・・・9月29日

ありがとう,姉と僕!
宝物にします。

2011年11月11日 (金)

いよいよ本日はGOM3!

いよいよ本日は,待ちに待ったGOM3に出かける。
それは午後4時から町田市民ホールで開かれる。

「ハモネプ9」で優勝し,
それ以来合唱コンで毎回お世話になっている姉と僕。
その魅力的なハーモニーに初めて直に接し,
そして同時に彼らが姉と僕を卒業する
複雑な気持ちのする特別な日だ。

昨夜★姉と僕☆ブログ★ を訪問したら,
次女のさーちゃんがその思いを綴(つづ)っていた。

いよいよ明日

★さーちゃん★

いよいよよよよ・・・
あぁ、明日で姉と僕が卒業なんて信じられない!!
意味わかんな~~~い!!w

明日町田市民ホールで行われる「Growing of Music vol.3」。
私たち家族が、それこそ初めは
「ライブハウスでやっちゃうかー」な簡単なノリで始めた音楽活動。
それを通じて知り合った多くの人たちに支えられて刺激をいただいて・・・
あわよくば一緒にライブできちゃったりしませんかね?的なノリで
始まった「GOM」。w
Growing of Music・・・音楽の輪、つながり、絆、成長・・・
色んな意味をこめてつけたライブタイトル。

私が大切にしたいのは、音を楽しむこと。
すごく単純で、でも活動を続けていく中で
ただ純粋に楽しんでばかりじゃいられない時だってあって・・・。

PAPANACHOfamilyは、みんな知ってると思うけど、
音楽が大好きな家族です。
ほ~んと、普通の家族です。喧嘩もして、泣いて笑って。
飾らないのがいいとこ、なぁんて思うときもあるけど
あんまり壁が低すぎて周りに迷惑かけることも、そりゃぁあるよね(笑)

普段ブログを全然更新しない私が、なんだか前日になって急に感慨深くなっちゃったけどw
私が、私たちが大切にしていることはねぇ、姉と僕を卒業してもずーーーーっと
大切にしていきたいことです。
音楽ってすっごい力があって、聴いてて歌ってて作ってて、
楽しくて、共感できたりして、でも時に厳しく自分を叱ってくれたり、涙流すことだってあって
生きていくうえでどーしたって切れないものだなぁ、っていっつも思ってます。
そんな感動とか、思いを、自分たちの音楽で(って言えるにはまだまだ未熟だけど;)
伝えられたらいいなぁ と思います。
くだらないお喋りや余興みたいなことに、お客さんを巻き込むこともあるけど(笑)
そんなPAPANSCHOfamilyにこれからも、お付き合いいただけたら、と思います(*^皿^*)

ついに明日に迫ったGOM3,そして姉僕の卒業ですけどもー
すっごく楽しみ!!珍プレー好プレーも期待しつつ・・・w

なんだか今、天気予報をみたら傘マークがあったけども・・・
うち、晴れ女・男と雨女・男が半々なのね。
だからねー、たぶん明日はくもりっっ!!w
だけど気持ちは快晴で(?)!

GOM3スタッフ、出演者一同、
最高の笑顔と最高の時間を提供すべく、出演時間ぎりぎりまで準備をしています!
どうぞお気をつけていらしてくださいまし!
心よりお持ちしております!

ではまた明日(^_-)

★さーちゃん★

●GOM3に関する最新情報は→ http://sakura.ec-site.jp/aneboku/」

私は万難を排して,GOM3に参加することをコメントした。
雨の予報だが,ぜひいい思い出を作ってきたい。

絵葉書が届きました!

昨日カナダの千恵さんから,
カナディアン・ロッキー旅行の絵葉書が届きました。

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こんな風景,日本にはないよね。
千恵さん,いつもありがとうございます!

ミニガリ本「井上円了をめぐって」を作りました

昨日上記のミニガリ本を作った。

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今回はページ数も少なく,気楽に作ろうと思っていて,
「夢ブログ」で書いてきた資料を中心に構成してみた。
表書きにはこう書いた。

「妖怪博士・井上円了のことは,板倉聖宣著『かわりだねの
科学者たち』(仮説社)を読んで知っていました。
しかし,その先に話は進まず,そのままになっていました。
NHKテレビの「歴史秘話ヒストリア」で円了の特集をやると聞いた時,
「これはチャンス!」と思い,たくさんの人に知らせ,
自らも期待して待ちました。(9月の放送は,台風で延期に!)
こうして首を長くして待った放送が2011年10月12日にありました
(再放送は,10月19日)。内容はとてもよくて,宣伝役としても
ホッとしました。「肥さんの夢ブログ」に書いた文章を今回資料に
まとめておくことにしました。ご笑覧いただければ幸いです。
ちょうどその時期は,「哲学堂際」が行われる11月の第1土曜日
ごろだったのも不思議な縁です。もしかしたら円了が,
私たちのがんばりがまだまだだと「あの世」から励まして
くれたのかもしれません」

構成は,以下の通り。

P1・・・NHK「歴史秘話ヒストリア」のサイトの紹介
P2・・・歴史秘話ヒストリア「井上円了」
P3~6・・・井上円了ツアー
P7・・・毎年11月の第1土曜日は,「哲学堂祭」の日です!
P8~9・・・井上円了の略年譜
P10・・・井上円了と板倉さん(と私)
P11・・・板倉聖宣著『科学的とはどういうことか』(仮説社)の
    「コックリさんはなぜ動く~自己催眠のおそろしさ」の一節
    「ナゾはとっくに解明ずみ」というところ

読んでみたい方は,お知らせ下さい。

2011年11月10日 (木)

そういえば4連休

実は,今度の土曜日から次の週の火曜日まで,
勤務校では4連休がある。

それは14日が県民の日〈年休をとる必要がある〉,
15日が8月31日の分の振り替え休業日のためだ。

ここのところ合唱コンで忙しかったので,
そのことを忘れていた。
だから,「そういえば4連休」という題名となった。

12日〈土〉 浦和仮説サークルへ
13日〈日〉 県教研のため入間向陽高校へ
14日〈月〉 テスト作りで出勤
15日〈火〉 テスト作りで出勤

テスト作りが14日のうちに終われば,
15日はフリーになれるかもしれない。
いずれにしても,ホッと一息つける4連休だ。

PS 実は,22日〈火〉も開校記念日
〈教員は年休をとる必要があるようになった〉
で休みなので,
再来週も飛び石的に休みがあるのだが,
9月から10月にかけて,体育祭,新人戦,
合唱コンと忙しい日々が続いたので,
そのごほうびと思って休ませてもらおう。
そうこうしているうちに,もう今年も師走を迎える。

スキー林間のための学年集会

1月17~18日に1泊2日でスキー林間に行く。
場所は,長野県の湯の丸スキー場だ。
前任校で夏行った菅平の手前のところらしい。

昨日は,1時間かけてその説明のための
学年集会があった。

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K先生・・・日程やスライド映写〈30分〉
Y先生・・・目的や組織について〈15分〉

合唱コンからの気分転換にもなり,
いいタイミングであった。
生徒たちもまた楽しみごとが提示され,
目標ができたことだろう。
〈実際はその前に中間テストがあり,
冬休みもはさまれるのだが,
準備もしなければならないので
2ヶ月前からの始動なのだ〉

私は司会ということで,
少しだけ仕事をした。

昨日の部活動 11/9

昨日は,社会体育の日であり,
試験期間前最後の部活動でもあった。

しかし,学年会が午後5時半までかかり,
実質参加できたのは1時間半だった。

男女合計21人の参加者を3つに分け,
部内戦が行われた。

ここで勝ち続けたのはCチーム。
サーブは安定している,アタックもよく入る,
レシーブもまずまずで,他チームを接戦の末倒していく。

生徒たちは二者面談のため午後2時から
長時間活動していたのだが,
最後の1時間は緊張しながらも楽しめたのではないかな?

私は彼らの試合を主審という立場から見せてもらえた。
こういう時は「役得」である。

次回の活動は1週間後の18日〈金〉で,
その翌日が市民バレー大会の女子の予選なのだが,
今の力を精一杯出して1点でも多く得点してほしい。

2011年11月 9日 (水)

AKB48「西武ドームライブ」の番組

NHKテレビが深夜上記の放送をした。
私は録画しながら観た。

動きが速くてついていけないほどで,
さぞかしライブに参加したら
興奮するのだろうなと思った。

さて,45分の番組が終わって,午前1時。
ビデオも片付けて寝ようかなと思ったら,
おやおやまだ番組が続くという。
その後,メンバーのインタビュー的なものが
延々午前3時まで続いた。
しかし,これがなかなか良かった。

チームの一員としてではなく,
1人の若者として語る彼女たちに好感が持てた。

前田敦子「AKBは大好きで,ずっといたい。
でも,そこからどう飛び出していくかが
大切だと思います」

篠田麻里子「私は最年長なので,
どうしても言わなくちゃという時に言うようにしています。
前は将来女優になりたいという人も多かったが,
今はAKBになりたいと思って入ってくる子が多い」

高橋みなみ「秋元先生から(メンバーのために)
「嫌われる勇気を持ちなさい」とメールをもらいました。
あーっと思った」

その後,SKE48(名古屋の姉妹グループ)のものが
午前4時過ぎまで流れる予定らしかったが,
さすがに疲れが残ることを考えて,
横になることにした。

神話が語る古代史の真実

昨日の社会科サークルは,
早川さんによる「緊急,歴史教科書レポート」だった。
〈参加者は,大石さん,早川さん,森田さん,私の4人〉

そのなかで,自由社と育鵬社の中学歴史の教科書の
内容を見ていった。
旧石器,縄文までの内容については
新知見も少なくなかったのだが,
弥生時代については「神話」部分も含み,
先週末古代史セミナーでたくさん学んできた私としては,
言いたいことがたくさんあって発表者の早川さんにも
ご迷惑をかけてしまった。

そこで,別れ際に約束した「神話から学べること」について
忘れないうちに書いておこうと思い,
書いてみたのが以下の文章である。
読んでいただければ幸いである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1) 神無月

10月は昔,神無月(かんなづき)と呼ばれた。
ところが1国だけ「神有月」の国があった。
それが出雲だ。
この伝承ほど,弥生時代(前半)の権力の中心が
どこであったかを伝えているものはないだろう。
全国の神(任命制の県知事?)を一堂に集めうる権力の話を
私は他に知らない。
2000年前の伝承は,頑固に古代史の真実を語り始める。
従来,出雲からは考古出土物が出ないと言われていたが,
ご存知の通り荒神谷遺跡などの発見で一躍有名となった。
文献と考古出土物が一致したのだ。
〈358本出土したと言われる銅剣だが,
2回実見した私には矛のように思われた。
再検討を期待したい〉

PS ナンバー1が出雲なら,ナンバー2は筑紫(天国)だ。
対馬のアマテル神社の伝承にはこんなのがあるそうだ。
「うちの神さんは,出雲に1番あとに参り,
1番はやく戻ってくる。つまり,1の家来だ」と。

(2) 国譲り

その後わが国の歴史は,ナンバー2がナンバー1に
「政権交代」を迫るように展開する。
弥生時代半ばのことだ。
それは「国譲り」という出雲神話となって古事記に伝えられている。
一見禅譲(穏やかな政権移譲)のように聞こえるが,
その実,当主である大国主の幽閉(出雲大社に祭られる),
長男の事代主の入水自殺(美保神社の神事),
建御名方の諏訪への逃亡と,かなりハードなものだった。

PS ところで,神話にはこんな「法則」がある。
「敗者がその後の政治のあり方を語る〈らさられる〉」のだ。
しかも,次の政権にとって好都合の「遺言」だ。
例えばヤマトタケルに負けたクマソタケルは,
「今後はヤマトと名乗ってくれ」と告げて死ぬ。
死人に口なし!次期権力者にとってこんな都合のいい話はない。
そして,「本当にそう言ったのか」検証のしようもないものだ。
つまるところ,それまではヤマトでなかったもの(倭=チクシ)を
今後はヤマトにしていくという宣言なのだ。

(3) 天孫降臨

祖母・アマテラスの命令により,
孫・ニニギが天国(対馬)から筑紫に派遣される。
地元の猿田彦は喜んで迎えたように記紀には書いてあるが,
現地の田島神楽は今も「猿田彦は拒否した」と伝えている。
しかし,武力でニニギは筑紫に侵略した。
つまり,対馬の勢力が筑紫の豊穣な米作地を侵略したのが,
天孫降臨の実である。(考古学的には「前末中初」=弥生時代前期末と
中期初頭で考古出土物が一変する変化という話だ。史実だったのだ)

PS なお,天孫降臨の地は日向国ではなく,筑紫国日向(ひなた)である。
「この地は韓国に向かい,笠沙の御前を真来通りて・・・」の表現もあり,
実際そこからは朝鮮半島から約200キロで,晴れていれば見える。

(4) 神武天皇

皇国史観のあつものに懲りた戦後の歴史研究は,
神武天皇は架空の存在として扱い,
神話をヤマト朝廷の役人による造作として切捨て,
せっかく明らかにできるはずの歴史の真実を
白日のもとにするチャンスを逃した。
ところが,考古学は弥生時代の大阪湾の地形を明らかにし,
神武勢力の侵攻がリアルであったことを証明した。
そして,古代史のわが国の様子を,
文献と考古出土物の対応の中で明らかにしてきたのが,
古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』
『盗まれた神話』の「古代史三部作」であった。
しかし,学会はその努力を正しく評価することができず,
むなしく大和一元説にとどまり続けている。
大変残念なことだ。

PS 市民の古代史愛好者により,古田武彦氏の研究は
その後予想以上の展開を見せている。
つい最近ミネルヴァ書房が古代史コレクションと題し
『「邪馬台国」はなかった』以降の12冊を復刊しつつあるし,
待望の評伝『イ卑弥呼』もつい最近出版された。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古田武彦氏に学んだ私は,
神話をむしろ古代史の真実を解明する
チャンスだと考える。

これまで伝えられている神話だけでも,
いろいろなメッセージが込められていると思う。

「神武天皇」は架空の存在,
「神話」は造作と片付けて,
大和一元説を延命してはならないと思う。
日本の古代はそれとはまったく違う
多元的な世界だったのだから。

2011年11月 8日 (火)

そうだ!「指揮者のミス」をやろう!

合唱コンも終わってホッとひと息というところだが,
懸案の道徳の授業プランが先ほど決まった。

中一夫さんの「指揮者のミス」,これしかないでしょ!
合唱コンが終わったばかりで
指揮者の話題はピッタリだし,
「ミス,失敗」への対応という
人生の必修事項を学ぶことができるし・・・。

これにはいくつかのグッズの準備がいるので,
来週の月曜日までにして
早速実施したいと思う。

〈1〉 岩城宏之さんの顔写真
〈2〉 『楽譜の風景』〈岩波新書〉
〈3〉 授業プラン「指揮者のミス」のプリント
〈4〉 「いけにえの踊り」のビデオ
〈5〉 感想用紙

※ この授業プラン「指揮者のミス」は,
『たのしい授業プラン』〈仮説社〉に収録されています。
私はこれまで何度かやらせていただいています。

二者面談始まる

昨日から二者面談が始まった。
午前中4時間授業を行い,
給食,清掃,短学活を行った後実施する。
(私は1人10分で,出席番号順に行うことにしている)

三者面談は,生徒+保護者+担任で行うが,
二者面談は保護者の入らない面談だ。
主に「悩み調査」というアンケートで,
「はい」と回答のあった項目について相談する。

たいていは「大したことがない」ということで終わるが,
生徒とまじめな話ができる貴重な機会でもあるので,
「今後に活かす」という形で活用させてもらっている。

ちょうど合唱コンが終わって
中間テスト二週間前という時期なので,
合唱コンで活躍した生徒の労をねぎらい
テスト勉強のきっかけを作ることも,
生徒によっては大切なことだと思う。

昔何かのアンケートで,
「悩みは誰に相談しますか?」というのがあった。
その回答として,「担任の先生」と答えたのは,
わずか数パーセントだった。(第1位は「友達」)
そういうことも頭に置きながら,
この貴重な機会を活かしていこうと思う。

昨日の部活動 11/7

昨日は社会体育で,午後7時まで行った。
二者面談の日でもあったので,
1番長い生徒は午後2時から4時間あまり活動した。

私も二者面談が終わってから
約3時間参加した。
さすがに長かったが,
週末の運動不足を解消するのには
良かったかもしれない。

2011年11月 7日 (月)

千恵さんのカナダ報告 2年目(3)

約2ヶ月ぶりのカナダ報告です。
彼女の幼馴染みがカナダを訪れ,
3日間いっしょに楽しく過ごしたことを報告をしてくれました。

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肥沼先生

こんにちは。

友達が来ている間、本当に楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。
もともと彼女の仕事の関係で中3日間のとても短い日程だったのですが、
帰ってしまった後は、何だか寂しくて心にぽっかり穴が開いたような気がしています。

その中3日間のうち2日間を利用してカナディアンロッキーに行ってきたので、
その報告をしたいと思います。

私は夏以外ににロッキーに行ったのは今回が初めてでどのようなものかと思っていました。
今回はレイクルイーズとバンフの間をドライブという日程でした。
レイクルイーズとバンフの間にぜひ友人に見せてあげたかった湖や渓谷があったのですが、
残念ながらレイクルイーズ近辺はかなり吹雪いていて、見せることができませんでした。
レイクルイーズもかなり周りの山が雪に覆われていて、
夏に見たときほど鮮やかなエメラルドグリーンではありませんでした。
ただ、それでも驚くほどきれいな景色で友人もとても喜んでくれました。

約100キロほど離れたバンフにつくと、天気はすっかりよくなっていていました。
着いたのが夜だったのですが、パブやバーなどには、
いろいろなハロウィンの仮装をした人が見受けられました。
夏ほど混んでいなくてホテルやキャビンなど、それぞれかなりの割引レートで泊まれるようでした。
今月早々にはスキー場もオープンするとのことだったので、一番静かな時期だったのかもしれません。

翌日はバンフからすぐ近くにあるサルファーマウンテンといところに行きました。
ゴンドラに乗って、降りたところから山の尾根伝いにウォーキングコースがあります。
とてもいい天気で周りのきれいな景色がよく見えました。

ひとつ興味深かったことがあるのでご報告します。
バンフはとても日本人の観光客が多くて、あちこちで日本語が見受けられるのですが、
ホテルやサルファーマウンテンのなどで、たくさんのオーストラリア人が働いていました。

できれば次回写真を送りたいと思います。
それではまたご連絡差し上げます。

近藤千恵

古代史セミナー2011(2日目)

古田武彦氏を講師にした古代史セミナーの2日目を,
かんたんにメモしておこう。

【8時00分~9時00分】

朝食・チェックアウト

【9時30分~12時】

古田さんの話

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・近松門左衛門の「文楽」のDVDを鑑賞
「観音廻り」という題名だった

・参加者のアンケート調査に答える

・イ妥国の支配の範囲が東西五月行南北三月行とは,どんな広さか

・古代の測量技術には,里程を計る車の発明もある(記里車)

・西宮でラジオ番組の収録を始めている
15分×12回で,旧石器・縄文から7世紀末まで

・子どもの頃,「ジャンヌダルク」などの伝記を読み,
歴史を研究する素地ができた

・いずれまた「通史」をまとめたい

・大伴金村は九州王朝系の豪族

・須玖岡本・・・卑弥呼の墓の有力な候補
細石神社・・・「漢委奴国王」金印が祭られた神社
弥生銀座のどこか・・・卑弥呼の金印「親魏倭王」のありか

・30国のうち,『イ卑弥呼』で新たに21国の比定

・「倭」は本来「チクシ」と読むべきもの。
ヤマトタケルが九州の豪族を倒した際,
「これからはヤマトと読むように」と言わせている。
これは「それ以前はチクシだった」ということ。
だから,神武の頃は当然チクシ

・大和となった時期は不明。
大倭は「魏志倭人伝」にも登場しているようにかなり古い

・「日本」の初出が678年との墓碑銘が,中国から出た。
7世紀後半だから当然出てくるだろう。
今後研究を進めていきたい

・宮内庁書陵部の「魏志倭人伝」で,最初は「手偏」なのに,
2回目と3回目は「獣偏」になっている件
偶然やミスではなく,故意にそうしたもの。
卑弥呼側=「手偏」,中国側=「獣偏」か。
文字外交でのやりとり

・倭国の官職名で,ジマコというのがある。
ジというのは海中に住む想像上の動物
倭人側が中国の古典から字を選んでつけた

・古事記の真福寺本の「弟(音)オト」を,
宣長は「矛」と書き換えている

・布目順郎さんの『繊維の考古学』に載っている須玖岡本遺跡出土の錦

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・国宝真福寺本 古事記 小島憲之/解説 桜楓社 B5版 254頁 
重版 函少痛・僅汚れ 本体天地小口僅ヤケ・僅シミ 並本 昭60年発行
(検索したら,アマゾンで3750円 で売っていました)

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【12時00分~13時00分】

昼食(グラタン,コロッケ,サラダ,スープ等)

【13時15分~15時15分】

・三国史記のタンラ国について

・弥生時代の墳丘墓は,上部が壊されている。
(盛り土部分が削られた形で出てくる)
幸い主室部分は助かってるのがあるということ
唐の占領軍がやった可能性はある

・装飾古墳は全盗掘=昼間おおっぴらに壊している

・「魏志倭人伝」の読み下し文について

・和田家文書の中の天皇記・国記について
北畠本,物部本などがあるのでは?

・評を支配しているのは評督,その上位には都督がある。
日本で「府」が置かれたところは筑紫都督府しかない

・岩戸山古墳はなぜ発掘されないのか

・唐の占領軍は石人・石馬は壊したが,
古墳の内部は破壊しなかったのか

011_2

・倭人と南米大陸との交流で,
南米の遺物が日本から出ていないのか
火焔式土器のような植物が南米にはある

・読売新聞の埼玉版に「卑弥呼の鏡発見」として
三角縁神獣鏡が取り上げられていたが,国産か中国産か

・目多利思北孤は,「多利思北孤の目(代理)」という意味
「冒(冒す者)の日が落ちた」というのは無理

・「故なく火を・・・」は「狼煙と間違えるから火を使うな」では?
狼煙の全用例をあげてみてから

・糸島半島で,BC570年という
絶対年代のわかる鉄剣が見つかった話
(これからも続々出てくる可能性がある)

・長野県に「阿蘇」という地名が多いが,
それはどうしてか(熊本より先だった?)

・「そ」の神・・・阿蘇,木曾,糞
「け」の神・・・物の怪,気配
「くい」の神・・・福井,津久井,安喰
「いさな(鯨)」の神=弥生時代の前からあった
縄文以前の古い神たちの存在があった

・「古田さんを見ていると日本は滅びないと思います」
と高校の図書館司書の方に言われた

・拉致問題の責任は誰にあるか

・古代の距離の測り方はどうしていたか
専門家集団がいたのか
「魏志倭人伝」は,陸上は正確,水上は大雑把

・「三国志」に,指南車のことが出ている。
三角法もあったらしい

・坂本博美さんの「縄文讃美の文」

・韓国陸行の4000里は,漢の時代から知られていた
(直接支配していたのだから当然だが)

・韓国を斜めに縦断する国道35号線は,
本当に南東に向かって真っ直ぐ進んでいる
(度々利用している方の証言)

【15時15分~15時30分】

コーヒーブレイク

【15時30分~17時30分】

・タンムラ国の件についてはまた書きたい

・里程の測量の件について
「魏志倭人伝」の1番大切なところは
「水行十日陸行一月」という部分である。
呉によって侵攻を受けた場合,
軍事的に倭国に駆けつけるための日数

・博多湾岸が女王国の入り口である。
里程でも,考古出土物でも,同じ結論。

・評は何と読むのか。評も郡も「こおり」と
通説では読ませるが。(評君もある)

・多賀城碑の里程と方位についての質問。
『真実の東北王朝』復刊の際参考にしたい。

・「ずっと地中にあった」といわれる日本中央碑が
「東日流外三郡誌」には出てくる。
「ずっと地中にあった」というのは本当か。

・「天は人の上に人を作らず・・・」は,
誰が言った言葉か。

・被差別部落のない東北地方でこそ
相応しい言葉ではないか。

・若い頃山形の先生の悩み(地元には被差別部落がない)
を聞いた時のエピソード。

・「天」という言葉にはいろいろな意味がある。
「東日流外三郡誌」の「天」は,どういう「天」か。
方法論としては,用例をすべて挙げてみる必要あり。

・磐井の乱はなかったようだが,
「継体の反乱」はあったのではないか。
古事記・日本書紀を作った目的は,
九州王朝を抹殺すること。
その反映として,
(1) ヤマトタケルがクマソタケルを殺し,
(2) 磐井を倒した
という話を載せている。

・九州年号を3つだけ盗んで挿入し,
我々はあれを公式と認めないとしている

・九州の中での変動があったとすれば,
6世紀前半に大きな変化(土器やシンボルの変化)
が見られないといけないが,それはない。

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・柿本人麻呂は,万葉集のスターだが,
詞書きと歌が一致しないものが多い。
雷の丘と雷山のスケールの違いの例。
彼は出雲出身の人だっため,
九州王朝に仕えた歌人だったから。
(子どもの頃から歌の才能を示し,
当時の九州王朝の都である豊浦に行く。
人麻呂神社の8割は山口県に集中している)
大和朝廷には仕えなかったようだ。

・白村江の戦いの唐の本当の目的は,
倭国を戦争に引き出すこと。
人麻呂は筑紫の君を批判しているだけでなく,
唐の理不尽な占領をも批判している。
(唐の名は一言も出ていないが)
世界に例のない歌人である。
地元の出雲に戻るが,水害に遭って亡くなる。

・ショウキ本の「卑弥呼」の「鬼」の字形と
ライバルの「卑弥弓呼」の「鬼」の字形が
違っているという件。文字外交の時代。

・矛と弟の違い。

・距離の問題。「大雑把の正確さ」という概念
という素晴らしさ。
そして,文献と考古出土物の重なりが大切。

【来年の予定】

2012年11月10日(土)~11日(日)

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帰りの電車では,昨年と同じように久慈さんとご一緒し,
今やろうとしている仕事のことなどをうかがった。
私も古田史学に関わりながら,できることからしていきたいと思う。

講師の古田さんはもちろんのこと,
荻上さんをはじめとしたスタッフの皆さん,
1泊2日の古代史セミナーに参加された方々,
お疲れ様でした!
また来年元気でお会いしましょう!!

2011年11月 6日 (日)

古代史セミナー2011(1日目)

今年もまた八王子の大学セミナーハウスを行われた
「第8回古代史セミナー」に参加してきた。
(私は,第3回から6年連続の参加)

講師は,古代史研究者の古田武彦氏(御年85歳)。
参加者は,これまで最高の84名(うち,初参加の人が19名)だった。

【10時15分~10時30分】

荻上さん(館長)のあいさつ

【10時30分~12時】

以下,古田さんの話

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・復刊本『古代は沈黙せず』の「はしがき」
~法華義疏の改変,法隆寺釈迦三尊像の光背の九州年号)

・石井陽子さんが,『「邪馬台国」はなかった』を韓国語訳した

・大越邦生さんが,「論語」の中の「学」という字を調査している
(二倍年暦の関係で)

・NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア・卑弥呼」
~考古出土物がないので新潟説は無理

・帯方郡(本店)ー太宰府(支店)の関係

・卑弥呼がもらった黄幡の「黄」とは,(黄金の)金印という意味

・奥野正男氏の『邪馬台国発掘』という本

・三角縁神獣鏡は,壱岐・対馬からは出土していない
(神獣鏡は,呉に従う国にだけ配った)

・荒吐神委現抄には,ギリシャ神話も出てくる

・宣教師は,聖書だけ読んでいたのではない
当時の新知識のものも読んでいて,それを信長や秀吉や家康は求めた

,中村通敏著『鏡王女物語』(原書房)を入手
~「古代史本批評」サイトの開設者・棟上寅七さんの意欲作

【12時~1時】

食堂で昼食(カレーライス。サラダ,スープ,タピオカ・ココナッツミルク)

【1時~3時】

・久慈さんの本(日之本文書関係)の紹介

・合田さんの壱岐・対馬調査の報告

・女島はどこか~船をチャーターして姫島へ

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・松下見林や本居宣長などの「近世的学問方法」からの脱却の必要
(自論に都合の悪いものは改定,排除)

・「黄泉の国」は,宣長の観念的世界

・新潟県の人にとっての「い」と「え」の発音

・甕依姫は卑弥呼のこと

・帝紀に「俾」,夷蛮伝に「卑」

・裸国,黒歯国は南米の国~寄生虫,ウィルスで証明

・東京古田会と多元の会の宣伝

・お菓子の紹介~3種類提供していただいた

【3時00分~3時45分】

記念写真の撮影とコーヒーブレーク

【3時45分~5時45分】

・「竹島」問題(隋書倭国伝の中の「竹島」)
「竹島」=鬱陵(うつりょう)島のこと。

・これは,隋書イ妥国伝が筑紫を中心だ
ということからすれば,経由地として当然

・隋書イ妥国伝の中の「故なくして火を・・・」とは,
火山の爆発のことではなく,
神籠石=高度防衛システムの唯一の弱点である木柵!
「燃えやすい木柵の近くで火を焚くな」
という禁令のことである(火山の火は「災」)

・裴世清が煬帝によって派遣されたのは,
やがて起こるであろうイ妥国との戦争のための
軍事調査のためではないか

・張元清は,写本の扱いで素晴らしい学者

・原発問題。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを
経験した日本こそ,世界に原爆・原発の廃止を主張すべき
日本はそういう意味で「超一流の国」になるしかない

・多婆那国の場所は,東鮮海流で解ける

・陶ケンというのは,紐の長さを調整して音を出す楽器。
儀式の時使用する

・ツマガキとは,本来港湾を守る施設のことを
言っていたのを,出雲に持ってきたので,
意味がよくわからなくなったものか

・「魏志倭人伝」の地名比定。ばらばらで,
飛んでいるのはどうしてか
貢献物を持っていった順番や目録の順番ではないか

・真実は多数決や権威で決まるものではない。
それが正しいという論証をしなければだめ

・短里と長里。三国史記に出てくるものを全部調べてみるといいが,
それ以外のものもあるかもしれない

・クシフル岳と高祖山は,いつごろそう呼ばれるようになったか

・論証とアイディアの区別をすることが大切

【18時~19時】

夕食(前菜,スープ,パン,サラダ,ポークソテー,
寒天デザート,コーヒーなど)

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【19時30分~9時30分】

懇親会「古田武彦先生を囲んで」

・私の宗教論(熱く語っていただきました)

・参加者のアンケート調査に答える
(近松の文楽のDVDを鑑賞する予定だったが)

・質疑応答

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おやすみなさ~い!(4人部屋に1人だけでした)

006

『「九州年号」の研究』がもうすぐ出る!

「新古代学の扉」サイトの人気コンテンツ
「古賀達也の洛中洛外日記」の
第345話(2011/11/1)に,
ファン待望の新著『「九州年号」の研究』が
もうすぐ出版となると伝えていました。
転載します。

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『「九州年号」の研究』校正中

遅れに遅れていました『「九州年号」の研究』(古田史学の会編)の
第2校の校正と索引作りがようやく終わりました。
特に索引作りは初めての経験でしたので、語句の選定と絞り込みには苦労しました。
恐らく次の第3校が最終校正になると思いますので、刊行まであと一歩です。
 
自画自賛になりますが、内容には自信があります。
後世に残る一冊にしたいと、この15年間の九州年号研究における重要論文を収録しています。
古田先生からも巻頭論文を書き下ろしていただきました。
大変ありがたいことと感謝しています。
 
章立ては次の通りです。

巻頭言  水野孝夫
序 九州年号論  古田武彦
第1部 金石文・木簡に残る九州年号
第2部 九州年号から見た日本書紀
第3部 九州年号による九州王朝研究
第4部 後世に遺された九州年号史料
第5部 九州年号研究史
編集後記
索引

もう少しで刊行です。ご期待下さい。

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今年中か来年早々には入手できると思います。
楽しみだなー!

中国の墓誌に最古の「日本」の文字が!

古代史セミナーの参加者の方から,
以下のコピーを見せていただいた。
10月23日の「asahi.com」というサイトに出ていたものだそうだ。

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「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?
中国で発見上の方に「日本」の文字が見える。
「最古の日本」の可能性が高い=「社会科学戦線」7月号、
王連竜氏の論文「百済人祢軍墓誌考論」から

中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、
「日本」との文字があることを紹介する論文が中国で発表された。
墓誌は678年の作と考えられるとしている。
日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大きななぞ。
大宝律令(701年)からとの見方が有力だったが、
墓誌が本物ならさらにさかのぼることになる。

中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、
論文は吉林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。
祢軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で
1辺59センチの正方形。884文字あり、
678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。

百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、
663年に白村江(はくそんこう)の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。
その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。
「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、
そうした状況を打開するため百済の将軍だった祢軍が日本に派遣された
と記していると気賀沢教授は説明する。

http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html

2011年11月 5日 (土)

合唱コン2011

体育祭で残念な結果(5位)になったので,
生徒たちの合唱コンに賭ける気持ちは
一入(ひとしお)だった。

選曲は,他クラスとの競合の末
美しい響きの「変わらないもの」をゲットし,
いいスタートを切った。

いつもどおり学級通信を10号ほど発行し,
合唱に関心を持ち続けられるようにした。

その甲斐あって,1年と3年のクラスと交流会もでき,
舞台度胸と合唱の迫力(について学ぶことができた。

女子のソプラノ(+ボーイソプラノ3名)
とアルトが美しく響き,
それに男子パートが合流すれば,
ダイナミックな合唱になるはずだった。

しかし,世の中そう簡単にはいかなかった。
先に書いた「ボーイソプラノが3人抜ける」ということは,
低音が出ないからそうなるので,
(これが変声期の合唱の難しいところだ)
残った15人の男子も「低音が怪しい」
と思われる者が続出した。
しっかり太く低い音を出せる
と言っていい者がわずか数人!
あとは自信なげに小さい口で歌っているような感じ。
さあ,どうしよう・・・(冷汗)。

(1) カツゼツで勝負する

早口言葉を取り入れて,カツゼツを良くしようと,
過去に発行した学級通信を引っ張り出してきて
学級通信に転載した。
これを使って何回か練習をやり,
当日の朝もカツゼツから入った。
これは結果的に大成功だった。
楽しくカツゼツを鍛えることができたので,
生徒たちは子音の発音に磨きをかけ,
歌詞が聴いている人たちに届いたからだ。

(2) 聴かれているだけでなく,見られていることも意識

合唱は一種のショーなので,聴かれているだけでなく,
「見られていることを意識して行動せよ」と何回も言った。
ステージに上がったら,たとえ音がない時も
「合唱をしている」ということ。
声が出ない音域なら口パクでもいいから
「歌っているように見せる」努力をすること。
これは男子に特にくり返した。

(3) 「曲想というものがある」ということを伝える

合唱コンというのは,クラス全員が同じ思い,
同じイメージで歌っていることが大切だ。
1年生だからといって,それははずせない。
伝えるべきことは伝えておこうと,
合唱コン実行委員が模造紙2枚に書いた歌詞に,
色ペンで私なりの注釈や記号,
アドバイスを書いて説明した。

「ハモネプ9」の(姉と僕などが出場した回)から始まった
今年度の合唱コンは昨日終わった。
当初感じたように「順風満帆」とはいかなかったが,
なんとか生徒たちの頑張りで準優勝でき,ホッとしている。

合唱コン実行委員の2人,
指揮・伴奏の2人,
各パートのパートリーダーの人たち,
審査員のKさん,
そしてそれに応えて頑張った1年2組のみんな。
お疲れ様でした!

PS1 昨夜と今朝で合唱コンのビデオを
各学年2本ずつ(選択+有志は1本)ダビングした。
昨日の興奮がまたよみがえってきた。

PS2 週末は八王子の「大学セミナーハウス」で,
1泊2日古田武彦氏を囲んでの古代史セミナーだ。
思いっ切り楽しんで来るぞー。

井上円了と板倉さん(と私)

井上円了のことを調べたりしているうちに,
板倉さんとの共通点などが思い浮かび,
「優れた仕事をする人はやはり組織論が違う!」と思い至り,
自分自身の参考にするために対照表を書いてみる。
(ついでに私のも「混入」して・・・)
みなさんの参考になれば幸いである。

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       井上円了      板倉聖宣          

あだ名   妖怪博士      いたずら博士        肥さん

生年    1858年      1930年           1958年(円了の100年後)

組織    哲学会       東大自然弁証法研究会   仮説実験授業研究会
       ふしぎ研究会   仮説実験授業研究会     古田武彦氏関係の3つの会  
                                    歴史教育者協議会ほか

機関誌  『哲学雑誌』     『科学と方法』        (ガリ本,ミニガリ本,学級通信)   
                   『仮説実験授業研究』
                   『たのしい授業』

出版社  哲学書院      仮説社             (肥さんのホームページ&
                                    肥さんの夢ブログを拠点に)            

蔵書   絶対城に2万冊   自宅&科学の碑記念    自宅&担任クラスに数千冊
      (図書館)       会館に?万冊

記念日  11月第1土曜日  2月11日(漢字の日)    8月24日(誕生日=人間ドックの日)
      (哲学堂祭)

2011年11月 4日 (金)

合唱コン速報!!

本日,所沢文化センター・ミューズで行われた
勤務校の合唱コンクールで,
担任している1年2組は,
6クラス中2位の「準優勝」でした。
詳細は,明日のこのブログにて報告します。

「1108.pdf」をダウンロード

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年金の「収支」~1958年生まれがトントン!?

仮説の研究会の丸屋さんのサイトの
「所長の日記」の情報によると,
年金の「収支」についての興味深い番組があったらしい。

以下,丸屋さんのブログから・・・

「テレビでまた年金問題をやっていました。その中で目新しかったのが、年齢別の年金の収支状態でした。つまり年金として支払った額に対して、85歳(!)まで生きて、もらえる年金額との差ですね。すると、現在70歳の人は、3000万円近く多くもらえるようです。そして、収支がトントンなのが1958年生まれの人。後はどんどんマイナス、赤字です。現在生まれたばかりの人は、2000万円ほどのマイナスだったかな。ということで、僕は1957年生まれのなので、ちょうど収支決算がトントンの世代です。しかし、これは85歳まで生きているという条件なのですから、これはかなり人によって差がでますよね。みなさんはどうでしょうか。」

収支がトントンなのが1958年生まれの人!
それは私です!
えーん,払ったより多くもらえるはずじゃなかったの?

まあ,トントンならしかたがないが,
私より下の世代はみんな収支がマイナスなわけだから,
今の若い人たちは絶対年金に加入しないのではないかなあ。
それが新たな心配です。

PS 「日本経済新聞」のウェブ版を見てみたら,
もし私が10年後の2022年に63歳で22万円もらえたとしても,
(実際には働かなければならず,満額もらえない?)
税金や保険料もかかるため,
毎月9万円ほど補填しないといけないと試算されていた。
現実は「収支問題」よりさらにキビシーのだ。
その頃は消費税ももっと上がっているだろうし・・・。
考えるだけで気分が沈んでくる今日この頃です。

毎年11月の第1土曜日は,「哲学堂祭」の日です!

井上円了は遺言でいろいろな指示をしているのですが,
こんなことも「哲学堂便り」載っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「哲学堂祭」は、今年も11月の第1土曜日、
11月5日に行われる予定ですので、
興味のある方はどうぞ見学にいらして下さい♪

昨日の部活動 11/3

昨日は,午前8時~12時のコマだった。
男女バスケット部の試合があるとかで,
30分ほど早く終わった。

顧問の先生に時間をいただいて,
来週末に入間向陽高校で行われる
県教研のレポート作りをした。

先月15日に所沢の市教研で発表したものに
少し説明のための資料を付けてわかりやすくした。
題名も「私と生徒と仮説実験授業~実践30年のあゆみ」に,
もう1つ「~社会科における仮説実験授業と民主主義の教育」
という副題を付けた。

何とか午後5時に,県庁の前にある
埼玉教育会館にそれを届けることができた。

2011年11月 3日 (木)

ミニガリ本「妖怪博士・井上円了」

以下の「材料」をもとに,
ミニガリ本を作ろうと思っている。
できたら今月中に作りたい。
乞う,ご期待!

(1) NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア・井上円了」・・・既出
(2) 井上円了ツアー(写真付き)・・・既出
(3) 井上円了の略年譜・・・既出
(4) 板倉聖宣著『かわりだねの科学者たち』(仮説社)の感想
(5) 井上円了をめぐって

井上円了の略年譜

:東洋大学の井上円了記念学術センターの「略年譜」と
板倉さんの『かわりだねの科学者たち』(仮説社)をもとに,
私なりの年譜を作ってみた。
ご覧になっていただければ幸いである。
また,気が付かれたことがあったらお知らせ下さい。
特に複数年にわたることには「↓」印を付けて,
長期間継続していることを表し,わかりやすくしたつもりである。
井上円了の理解に少しでも役立てばうれしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1858(安政5)年 0歳  越後国(新潟県),真宗大谷派慈光寺の長男として誕生
1859(安政6)年 1歳              (跡継ぎとして期待されたか?)
1860(万延元)年 2歳
1861(文久元)年 3歳
1862(文久2)年 4歳
1863(文久3)年 5歳
1864(元治元年 6歳 
1865(慶応元)年 7歳       
1866(慶応2)年 8歳
1867(慶応3)年 9歳 洋学者・石黒忠悳の私塾に学ぶ                                
1868(明治元)年 10歳    ↓
1869(明治2)年 11歳 儒学者・木村鈍痩に学ぶ
1870(明治3)年 12歳     ↓ 
1871(明治4)年 13歳     ↓
1872(明治5)年 14歳     ↓
1873(明治6)年 15歳 高山楽群社という英学塾に入学
1874(明治7)年 16歳 長岡洋学校(のちの新潟県立長岡高等学校)入学
1875(明治8)年 17歳     ↓ 生徒会・同窓会の創立提唱者?
1876(明治9)年 18歳     ↓
1877(明治10)年 19歳  京都・東本願寺の教師教校英学科に入学
1878(明治11)年 20歳  留学生として東京へ。東京大学予備門に入学
1879(明治12)年 21歳     ↓
1880(明治13)年 22歳     ↓
1881(明治14)年 23歳  東京大学文学部哲学科に進学(京都はまだないので,東京はいらない?)
1882(明治15)年 24歳     ↓
1883(明治16)年 25歳     ↓
1884(明治17)年 26歳     ↓  「哲学会」を創立
1885(明治18)年 27歳 東京大学文学部哲学科を卒業。『破邪新論』(明教社)を出版
1886(明治19)年 28歳 「不思議研究会」発足。『哲学一夕話』出版
1887(明治20)年 29歳 自ら 「哲学書院」を設立 。 『哲学会雑誌』を創刊 。
                 『仏教活論序論』ほか続々円了の本を出版。哲学館(東洋大学の前身)を創立
1888(明治21)年 30歳  第1回海外視察に出発(1889年6月帰国)
1889(明治22)年 31歳     ↓
1890(明治23)年 32歳  哲学館専門科設立の基金募集のため全国巡回講演を開始(1893年2月まで継続)
1891(明治24)年 33歳                           ↓
1892(明治25)年 34歳                           ↓ 
1893(明治26)年 35歳 「妖怪研究会」を創立 妖怪学を講義     ↓ 『妖怪学講義緒言』
1894(明治27)年 36歳  この頃『妖怪学講義』まとまる ↓
1895(明治28)年 37歳
1896(明治29)年 38歳  第2回全国巡回講演を開始(1902年9月まで継続)
1897(明治30)年 39歳  『外道哲学』出版(外道=インド)        ↓
1898(明治31)年 40歳                              ↓
1899(明治32)年 41歳  京北中学校を設立。開校式を挙行         ↓
1900(明治33)年 42歳  文部省から修身教科書調査委員を委嘱される ↓
1901(明治34)年 43歳  内閣から高等教育会議議員を委嘱される     ↓ 『哲学うらなひ』出版
1902(明治35)年 44歳  「哲学館事件」がおこる                 『珠算改良案』出版        
                第2回海外視察に出発(1903年7月)帰国      『天狗論』出版
1903(明治36)年 45歳  ↓                       
1904(明治37)年 46歳 第3回全国巡回講演を開始(1905年9月まで継続) 
                 『改良新案の夢』,『心理療法』出版      ↓       
                「専門学校令」による哲学館大学の学長に就任 ↓
                                    『迷信解』出版 ↓                                            
                哲学堂(現在の東京都中野区哲学堂公園) 開堂式を挙行
1905(明治37)年 47歳 哲学館大学学長・京北中学校校長を辞任
1906(明治38)年 48歳 修身教会運動のため全国巡回講演を開始(1919年6月まで継続)。東洋大学と改名
1907(明治39)年 48歳                               ↓
1908(明治40)年 49歳                               ↓
1909(明治41)年 50歳                               ↓
1910(明治42)年 51歳                               ↓
1911(明治43)年 53歳  第3回海外視察に出発(1912年1月帰国)      ↓
1912(大正元)年 54歳     ↓                         ↓
1913(大正2)年 55歳                                ↓
1914(大正3)年 56歳 『おばけの正体』出版                  ↓
1915(大正4)年 57歳                                ↓
1916(大正5)年 58歳 『迷信と宗教』出版                    ↓
1917(大正6)年 59歳                                ↓
1918(大正7)年 60歳                                ↓
1919(大正8)年 61歳  『真怪』出版。中国大連で講演中に倒れ,死亡   ↓

※ 円了の遺言により,毎年11月の第1土曜日(2011年は「11月5日」)は,
「哲学堂祭」を行うことになっているとのことです。

学校での最終練習

昨日の合唱コンの練習では,
男子のパート音の確認に
洞窟のように音が良く響く場所を選んでやってみた。

これは教室から近くにあるのだが,
今まで気がつかなかった場所で
まさに「ひょうたんから駒」とも言うべき場所だった。
もっと早く気がつけばなあ・・・。

とにかく確かに効果はあって,
続いて外で練習したこともあって
その後の男子パートは声量が増してきた。

5校時後半の視聴覚室で男女合わせて,
放課後自分たちの教室で
私が「審査員」となって本番のように点数をつけて,
(3回歌って,3回目がようやく合格点)
学校での最終練習を終えた。

あとは,明日の航空公園(ミューズの南)での練習で,
カツゼツ訓練をやったあと,何回か歌うだけで
本番の歌(午前11時ごろ)ということになる。
がんばれ,1年2組の「変わらないもの」!
(歌の方は,大きく変わってほしいのだが・・・)

昨日の部活動 11/2

昨日は社会体育のある水曜日だったので,
5時まで出席して帰ろうと考えていたら,
4時半に合唱コンの打ち合わせのための職員会議が入り,
結局午後7時の社会体育終了までいることになってしまった。

これは運動不足解消には良かったが,
このところ合唱コンの練習で疲労がたまっているので,
痛しかゆしといったところ。

本日も市民体育大会の開会式に
顧問の先生が一部の時間出席するということで,
安全のために部活動に顔を出すことにした。
(「綱渡り」は良くないので,私のできることとして)

2011年11月 2日 (水)

哲学堂便り

井上円了ゆかりの哲学堂公園では,
「哲学堂便り」というサイトを開設しています。
2~3日に1回更新されていて,内容もいいです。
ぜひ訪問してみて下さい。

哲学堂便り

3年生との交流会

昨日3年生のあるクラスと交流会を行った。
合唱コンの練習の一環としてである。

先週そのクラスの担任の先生から申し出があり,
声量についてパワーアップを計りたい私としては
「論より証拠」「百聞は一見に如かず」の例として,
昨日の時間に期待した。

3年生の歌う「走る川」は,迫力満点だった。
態度・・・「さあ,歌うぞー」という緊張感があった。
声量・・・特に男子が重厚感のある低音を響かせていた。
     女子もそれに負けず頑張っていた。
曲想・・・曲全体にわたって強弱を表現していた。

それに比べると我がクラスの「変わらないもの」は,
声量にしても強弱にしても
まだまだ改良の余地アリと思ったのではないだろうか。
もしそうであったらなら,
昨日の交流会は「成果があった」ということだ。

3年3組の皆さん,どうもありがとう!
ぜひ「走る川」にさらに磨きをかけて,
優勝をめざしてほしい。
私たちも皆さんの「走る川」に刺激を受けて,
私たちの「変わらないもの」を高めていきたい。

気仙沼のほぼ日

糸井重里氏がまたまた興味深い企画を立ち上げた。
その名も「気仙沼のほぼ日」。
「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社を気仙沼に置くというものだ。

このブログの読者のイマジュンさん
(気仙沼出身の小学校の先生)
から教えていただいたのだが,
実は昨日がその立ち上げの日だった。

東北のことを頭の片隅に置きながら毎日を過ごすきっかけが
このサイトを通してできるのではないかと考え,
私もさっそく「お気に入り」に入れた。

うれしいことに歌手の矢野顕子さんも,
「気仙沼においでよ」という楽曲を提供しているようだ。
(糸井氏が補作詞して,作曲はもちろん矢野さん)

また,何人かの人の活動を通して,
東北の現状を知ることができ,
同時に私たちも刺激を得ることができる。

もし良かったらあなたも,
「気仙沼のほぼ日」を
応援しませんか?

気仙沼のほぼ日

2011年11月 1日 (火)

井上円了ツアー

学校公開日の振り替え休日である月曜日。
上記のツアーを行ってみた。
地下鉄を使うと意外に早い時間で回れるので,
あなたもぜひやってみてはいかが?

(1) 哲学堂公園・・・大江戸線「落合長崎駅」から

妙正寺川沿いに広がる傾斜地にそれは広がる。
井上円了が哲学を親しむことを考えて作った
一大テーマパークと言っていいだろう。

「哲理門」・・・俗称・妖怪門。この施設の正門である。
「四聖堂」・・・哲学堂で最初の建物。孔子,釈迦,ソクラテス,カントを祀る。
「六賢台」・・・三層六角形の赤い建物。聖徳太子,菅原道真,
 荘子,朱子,龍樹,迦毘羅の6人を東洋の賢人を祀る。

ほかにも唯物園,唯心庭,絶対城,相対渓など
77ヶ所の「名所」が散りばめられている,
哲学の難しい用語を,散策をするなかで
楽しみながら学べるようになっているのだ。
なお,公園の管理事務所で売っているガイドマップは,
200円で大変お買い得。

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(2) 東洋大学・井上円了記念博物館・・・南北線「本駒場駅」から

日曜日が閉館なので,月曜日で好都合だった。
駅からは地図がないとちょっと難しい道なので,
あらかじめ調べておくと良い。(私は交番で聞いた)
正門から入ると,階段の上に井上円了の銅像が。
そして,その向こうに記念博物館はあった。

常設の「井上円了の生涯と教育活動」のほかに,
特別展として「博士の愛したもの」が展示されていた。

3回の世界一周旅行の写真。
『妖怪学講義』などの書籍や研究ノート。
哲学用語で駒を作った「哲学飛将碁」。
講演用の旅行かばんや帽子。
そして遺言状にいたるまで,
井上円了の生涯を彩った品々があってうれしかった。
(焼き物のドクロの筆立てや男の幽霊の絵は,
少々気味が悪かったが・・・)
勝海舟に送られた仏像もあって,
2人の交流がどのようであったか知りたくなった。

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(3) 仮説社・・・東西線「高田馬場駅」から

井上円了のことも扱った板倉聖宣著『かわりだねの科学者たち』
などを発行している出版社。

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竹内和子さんに井上円了ツアーの報告をし,
刷り上ったばかりの『たの授』11月号を購入して帰った。
(「はみだしたの」に今月も載ることができた!)

復刻版『よみがえる卑弥呼』入手!

昨日,「井上円了ツアー」の途中に神保町に寄って,
上記の本を入手した。

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古田武彦氏の古代史コレクションの7冊目で,
ここから「第Ⅱ期刊行」ということになるらしい。

しかし,1冊ずつ買いに来るのは面倒なので,
次の『古代史を疑う』以降4冊の本は,
ミネルヴァ書房に直接申し込んだ。

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