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2011年7月31日 (日)

野中寺の弥勒菩薩銘の「中宮天皇」

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「古賀達也の洛中洛外日記」第327話(2011/07/23)に,
魅力的な説(本人はアイデアと謙遜しているが)が載せてあった。
野中寺(やちゅうじ)の弥勒菩薩銘の「中宮天皇」 についてである。

7月16日の関西例会で,この「中宮天皇」のことを
九州王朝の天子 (薩夜麻)の奥さんのこととする
「アイデア(思いつき)」を発表したそうだ。

造られた年代は,その年干支(丙寅)・日付干支から
666年と見なさざるを得ないが,
この年は天智5年にあたり,天智はまだ称制の時期で,
天皇にはなっていない。
また,斉明天皇は既に亡くなっているから,
この「中宮天皇」が誰なのか一元史観では説明困難なのだそうだ。

従って,大和朝廷の天皇でなければ九州王朝の天皇と考えたのだが,
この時,九州王朝の天子薩夜麻は白村江戦の敗北より,唐に囚われており不在。
そこで,「中宮」が後に大和朝廷では皇后職を指すことから,
その先例として九州王朝の皇后である薩夜麻の后が「中宮天皇」と呼ばれ,
薩夜麻不在の九州王朝内で代理的な役割をしていたのではないか
と考えたそうだ。(以上,古賀さんの説のあらまし)

説の当否はにわかに私にはわからないが,
大変魅力的な説である。
また,「中宮天皇」という特異な表現から,
すぐ多元的な古代史の説(アイデア)が浮かぶ
古賀さんはやはりすごいなあと思った。
(野中寺の弥勒菩薩ことは私も知っていたが,
このような「アイデア」は思いつかなかった)

日頃生徒たちに「注意深く○○しなさい」などと言うが,
自らお手本を見せていかねばと反省する肥さんなのでした。( ̄○ ̄;)!

【ウィキぺディアより】

銅造・弥勒菩薩半跏思惟像

像高18.5cm。頭部が大きく、ウエストを絞ったプロポーションは、
飛鳥時代~奈良時代の金銅仏によく見られるものである。
頭部には大ぶりの三面頭飾を付け、
裳や台座などの各所にはタガネで文様を刻んだ入念な作である。

本像台座の框(かまち)部分には「丙寅年四月大旧八日癸卯開記
栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時 請願之奉弥勒御像也
友等人数一百十八 是依六道四生人等此教可相之也」という陰刻があり、
これが丙寅年の四月に「中宮天皇」が病気になったとき
栢寺(かやでら)の僧侶たちが
平癒を請願して奉った弥勒菩薩像であることが分かる。

丙寅年は西暦666年に当たる。
この種の半跏思惟像は像名不明のものが多いが、
本像は銘文中に「弥勒」と明記されており、
制作年代の明らかな弥勒像の基準作として重要である。

銘文にある「中宮天皇」については「天智説」「斉明説」
「間人皇后説」などがあるが、謎である。
毎月18日に開帳される。

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