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2011年5月28日 (土)

田辺さんの「東日本大震災ボランティア報告」(2)

5月3日16時30分、伊丹を出発、18時に岩手花巻空港に着く。
満開の桜の花とまだ雪残る岩手山に迎えられ、盛岡へ。
夕食と翌日の準備をして、22時就寝。
翌朝(4日)5時過ぎ起床、6時にホテルを出て、集合場所の盛岡駅北側のマリオスへ。

6時半にバスはマリオスを出発。
途中、ふれあいランド岩手(ここは避難所にもなっていて、
まだ数十名の避難者がいる)で残りのメンバーが合流し、
総数38名で大槌町に向かう。しかし、ここからの道のりが遠い。

途中の遠野市の道の駅でトイレ休憩と5人から6人の班分けと班長決めを行う。
ここまで、1時間30分。さらに1時間30分かけて大槌町へ。
途中、釜石市を通るルート。釜石市の北から市街地に入っていくが、
海に近づくにしたがって、ガレキの山や流された車が見えて来て、
5階建ての公営住宅など形だけ残っている住居もあるが、
住宅街・商店街とも、筆舌に尽くしがたい状況。

釜石を後にして、大槌町内へ入っていく。
バスの中から見る町の壊滅的な状態に声が出ない。
ボランティアのメンバーの中には、そっと写真を撮っている人もいたが、
私はカメラの方に手が動かなかった。

大槌北小学校の先を曲がって、大槌町ボランティアセンターへ。
到着は9時50分。ガレキの中にポツリと建っているボランティアセンター。
先に来たボランティアを乗せたバスが数台止まっている。

ここで今日の活動の指示が出る。
私たち5班5名は4班5名とともに、Aさん宅の1階の泥出しと
家の裏に流れ着いたガレキの撤去をすることになる。
一輪車3台とスコップ10本を持って、10名でAさん宅へ。
ガレキの中にところどころ、家が残っている。
この辺り(大槌町沢山)は津波到達地の後方の場所で、
何とか建物は形をとどめているのだ。

さっそく、10人で手分けして、1階の泥の除去にかかる。
まず、海水と流れてきた泥に浸かった家財道具を家の前のガレキの山に積み上げていく。
潮の臭いが鼻につく。毛布や座布団などは海水や泥水を吸っていて、すごく重い。
泥の中から出てきた賞状入れや写真・アルバムなどは別の箱に保管する。
泥の中にはガラスの破片なども入っているので、
軍手をはめて、上からゴム手袋をはめ、二重にすることが大切。
1時間もしないうちに汗だくになって、メガネは曇ってくるが、
それも気にせず、作業をする。一番苦労したのが、泥の除去。
泥にダンボールや布の水分を含んだものが、からみつき、スコップでかき出すのだが、
思いっきり腰に力を入れて持ち上げても、なかなか持ち上がらない。
何度もチャレンジするが、私は腰痛持ちなので、
泥のかき出しは若い人に任せて、出てきた泥を一輪車に積んで、
ガレキの山に捨てることに専念。しかし、ここで1つ問題が・・・。

泥はそのまま捨てるのではなく、土のう袋に入れて捨てないと回収してくれないらしい。
初めに大槌町ボランティアセンターで指示が出されたとき、土のう袋の話は出なかったという。
このあたりに立ち上がったばかりのボランティアセンターの混乱が見られるかもしれない。

そこからは大きなゴミ以外の泥は土のう袋につめこむ。
若い人もハアハア言いながら、泥をスコップで持ち上げ、
私が袋の口を開けて持ち、中に泥を入れる。
土のう袋の大きさによってはあまり入れすぎると持ち上げられなくなるので、
そのあたりも調整しながら、作業。

ある程度入ったら、口をしばり、一輪車でガレキの横の土のう袋の脇に積み上げていく。
この海水を含んだ泥の重さは半端ではない。
10名が協力して、皆汗まみれになりながら、重労働をこなす。ほんの少しだが、
被災された方の大変さを肌で感じる。

午前中、2時間の作業の途中で10分ほど休憩があり、皆、水分補給をする。
話をしてみると、茨城県から来て、もう1週間ぐらいこちらにいるHさん、
鎌倉から参加したSさんは両親が陸前高田で被災され、大槌町にも親戚がおられるとのこと。
東京から参加された男性はお母さんが盛岡におられるとのこと。
私と同じ神戸から来られたSさんもいる。
心強かったのは、東海大学の女子学生のSさん(盛岡出身)とYさん。
今日で大槌町が3日目になるとのことで、実に手際良く、棚や押入れの物を片付けている。
「(活動が)よくわかってきたので、任せてください」という言葉が頼もしかった。

彼女たち6人のグループは今日で活動を終了して、
明日からは同じ大学の男子学生が何人か来るという。
こうしてみると連休中ということもあり、
岩手県内の人よりも県外のボランティア参加がかなり多いようだ。
帰りのバスで、名鉄観光の方から、
「北は北海道の旭川から南は兵庫県の神戸まで参加者がありました」
という報告を受ける。

12時前には、午前の作業を終える。午後やるAさん宅裏の溝の中に入ったガレキの様子を見て、
ボランティアセンターに引き上げる。
ボランティアセンターまでの道、大槌町に親戚がいるというSさんと話しながら戻って来たが、
もとあった家々が流されて、ガレキになっているので、
大槌町のことを知っているSさんもどの場所がどこだかわからないと言っておられた。

道すがら、残った家には、赤い×印がついていて、4月下旬の日付が書かれている。
この辺りでさえ、行方不明者の発見からまだ10日か2週間ほどしか経っていない。
それが被害の状況をよくあらわしている。

大槌北小学校を見ると、体育館の2階の下から2番目の窓まで津波が来たのがわかる。
船がひっくり返って、家の上に覆いかぶさっているところもある。
家は残っているが、「壊してください」「解体してください」
という文字が家の外壁に書かれていて、痛々しい。

私たちが泥の除去をしているAさん宅も1階は天井まで津波が押し寄せた跡があり、
2階は見ていないが、周りの家々の様子を見ると2階も途中までは
津波が入り込んで来たのではないかと思われる。
Aさん宅は1階の隣の建物に床を張り付ける工事をしていたので、
彼らは母屋の泥も除去し、ここでまた住もうということなのだろうと複雑な気持ちになる。

(次回の最終回に続く)

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