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2010年11月22日 (月)

なぜ法隆寺に「飛鳥文化」が集まっているか

久慈力さんの本の読書は,
『法隆寺ミステリーの封印を解く』から
『封印された日本古代史ミステリー』(学研)に移った。

Photo_2

実はこの2冊は後者の方が先に出版されている。
多くの「謎」のダイジェスト版で,
前者はその1つをふくらませたもの。
なので当然,同じ表が付いている。

「観世音寺から仏像が法隆寺へ持ち込まれた」
という小見出しのところに載せられたいる表もそうだった。
転載してみよう。

創建観世音寺  飛鳥京・斑鳩京寺院  法隆寺西院・東院  再建観世音寺

釈迦如来像(金堂)→ 法輪寺 → →  法隆寺金堂     
救世観音像(金堂)→ 橘寺  → →  法隆寺夢殿      丈六観世音(新造)
百済観音像(金堂)→ 大宮大寺 → → 法隆寺大宝蔵院  十一面観音像(新造)
薬師如来像(金堂)→ 法輪寺 → →  法隆寺金堂      薬師如来像(新造)
阿弥陀如来像(金堂)→ → → → → 法隆寺金堂      阿弥陀如来像(新造)
四天王像(金堂)→ → → → → → 法隆寺金堂       四天王像(新造)
吉祥天像(金堂) → → → → →  法隆寺金堂       吉祥天像(新造)
毘沙門天像(金堂) → → → → → 法隆寺金堂       毘沙門天像(新造)
玉虫厨子(金堂) → 橘寺 → → → 法隆寺金堂
九州王朝国王遺品 → 橘寺など →  法隆寺夢殿など

白村江の戦いと壬申の乱で勝利した天武天皇(新羅系の人物で,
天智天皇の弟ではないと久慈さんは書く)は,
九州王朝の天子の氏寺である太宰府・観世音寺の価値の高い建物や仏像などを
斑鳩の法隆寺西院・東院へと移入(強奪)し,
代わりに建物・仏像を観世音寺に新造するという「暴挙」に出た。
これはそのうち,仏像を中心にしたもので,
もちろん金堂や五重搭も解体・運搬され,法隆寺に運ばれた。

「なぜ,二度も消失したのに,飛鳥文化が残っているのか」という謎も,
九州王朝説に立てば容易に解けるのだ。
ただし,日本書紀はその真実を隠そうとしているため,
なかなかその謎が解けなかったのである。

私は若い頃から「弟の天武は,兄であるはずの天智より年上である」
ということは聞いたことがあった。
そういう史料などから分かることと考古学的な知見を組み合わせ,
九州王朝説という仮説でふくらませて歴史の真実を検証していくのだ。

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