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2010年11月18日 (木)

『法隆寺ミステリーの封印を解く』

「なぜ、二度も焼失したのに飛鳥文化が残っているのか 」
という副題を持つ久慈力さんのの上記の本
(現代書館,2000円+税)は,
そのあとがきで「東日流外三郡誌」などの
和田家文書(久慈さんは「日之本文書」が良いとする)を
評価していることで素晴らしいが,
本文の「4つの法隆寺」説の方も興味深い。

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法隆寺にはその名のほかに
自身を表わす名称が20以上あるという。
それは「4つの法隆寺」がある(あった)ためだという。
それは,以下のものだ。

(1) 斑鳩寺~斑鳩宮の中に建てられた寺で,
 皇極2(643)年に蘇我入鹿が山背大兄皇子一族を襲い,
 その際に焼失した。

(2) 若草寺~斑鳩寺の跡に建てられた寺で,
 天智9(670)年の落雷で消失した。
 この時期は,倭国(九州王朝)が白村江の戦いで,
 敗れた後の時期と重なる。
 
以上の2つの寺は,蘇我氏系の渡来人の文化を持つ寺で,
地軸が西に20度傾いている「聖方位」を取っている。
飛鳥の坂田寺や京都の広隆寺も同様だという。

(3) 西院伽藍~金堂,五重塔など九州太宰府の
 観世音寺などから移築して建てられた寺。
 中に収められている飛鳥文化の仏像(釈迦三尊等)も,
 同様にも九州からもたらされた。

(4) 東院伽藍~夢殿などの建築,救世観音などの仏像が
 九州からもたらされた。
 西院と東院はもとは違う寺であった。

以上2つの寺は,藤原氏が支配した寺で,
地軸が北に4度傾いてはいるが,
これは「聖方位」を否定しているのだという。

662年の白村江の戦いで敗れた倭国(九州王朝)は,
主導権を日本国(大和政権)に奪われ,
主要な寺院,仏像などを失うことになった。
九州に○○廃寺が多いのはそのためである。

久慈さんの説の強みは,
近年の発掘調査の成果を生かして書かれていることで,
「4つの法隆寺」説はなかなかいいのではないかと
私は思っている次第だ。

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