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2010年10月30日 (土)

「字」地名は,歴史の生き証人

長岡京という都がかつてありました。
平城京から平安京に移るその間の時期のことです。

その時発掘の目印になったのは,
大極殿という「字」地名でした。

やぶが生い茂り,都の遺跡などとても発掘できそうに思えない
そんな場所に,大極殿はあったのです。
それは「土地の人が昔からそう呼んできた場所」でした。

また,平城京の発掘でも「字」地名は活躍しました。
「大極の芝」という場所から大極殿が出てきたからです。

ところで,福岡県の太宰府政庁の裏手には,
紫宸殿(天子の住まい)という「字」地名があるといいます。
そこも発掘したら紫宸殿が出てくるのでしょうか。
私はとても気になっています。

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