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2010年8月26日 (木)

再び「たの社メーリングリスト」に書く

また「たの社メーリングリスト」に
古田史学について書く機会を得たので,
思うところを書かせていただいた。
どこかへんなところがあったら教えて下さい。

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井藤さんへ みなさんへ

>(井藤)
>かんたんに言うと「倭国は,唐から侵略を受けるかもしれない。そ
>んな恐れの中で
>唐に対抗する意味で「天皇」という称号,「日本」という国号に変
>更した。

>どうですか。NHKの番組に対してどう思いますか?
>ア.
> 納得できない。
>イ.
> なんとなく、納得できない気がする。
>ウ.
> 納得できる。私もそう思う。

私は「ア」ということになります。

テレビ放送の内容は,ほぼ通説(日本書紀の主張)に沿ったもの
といってよいものだと思います。
日本書紀はただの歴史書ではありません。「昔から大和政権がずっと治めてきた
(九州王朝などなかった)」と主張している政治思想書だと思います。
その本の言うとおりに信じてしまっては,歴史研究などできません。
今回は確か「文献主義は廃する」ということだったと思います。
仮説を立てて,それを検証していくのが大切なわけですから。
(古田武彦氏の場合には,九州王朝説という仮説を立てて,
その証拠を国内外の史料や考古出土物に求めているわけです。
都合のいい文献だけ集めてきているわけではありません)

だから,白村江の戦いで負けた倭国(九州王朝)が唐・新羅の連合軍に
占領されたことも隠して,「使いが来て,あいさつした」みたいに書いてあるが,
その実は以上のような事情なのです。4回にわたって来日し,
多い時には2000人規模の占領を受けています。
(ちなみにこれは,60年前のマッカーサーの時と同じような規模。
背景に唐と新羅の連合軍が控えているので,陸上部隊はこれで十分)
防衛のための水城や神籠石も天智天皇がもうけたものではなく,
北からの脅威を恐れた倭国によってすでに築かれていたものです。
今考古学編年の科学的測定が進み,九州の編年が大きく書き換えられてきています。

筑紫の君(九州王朝の天子)薩夜摩という人も捕虜になって帰国できない中,
大和では斉明天皇の喪に服すという理由で参戦していなかったので,
翌年正月「漁夫の利」のお祝いさえしています。
その後,大和政権は唐と交渉して日本国として国を代表する権限を得ます。
(岩波文庫にも入っている「旧唐書」には,倭国と日本国と別々に書かれている
のでぜひご覧下さい。「隋書」には阿蘇山の名前も出てきます)
薩夜摩が帰国したのはかなり年数がたってからで,おそらく倭国から日本国に
禅譲(スムーズな政権移行)させるためだったと考えられます。

日本書紀のなかには「昔在天皇」という言葉も出てきていて,
天皇という称号がすでに昔から使われていた証拠を自ら吐露しています。

今回も長文になってしまいました。
ごめんなさい。

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