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2010年8月24日 (火)

どうして天皇と名乗るようになったのか?

昨夜「たの社メーリングリスト」に私のご指名で,
「どうして天皇と名乗るようになったのでしょう」
というご質問が井藤さんからあった。

私なりにここ20年学んだことで答えてみたのが,
以下の返信メールである。
長文だが,読んでいただければ幸いである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

井藤さんへ みなさんへ

ご指名いただき,ありがとうございます。(笑)
実は「社会の科学,かなり気になる言葉の事典」の話が出た時に,
一方では「ぜひやってみたい」と思い,
もう一方では「古田説のことは書けないのだろうか」と思いました。
でも,「ダメもと」でやってみましょうか。
私の古田説理解を試す「試金石」でもあるのだし。

>「NHK教育,日本と朝鮮半島2000年」を見ています。
>その中に,「どうして〈天皇〉と名乗るようになったのか」という
>話が出てきました。
>どうして天皇と名乗るようになったのでしょう。
>ア.  国内のいろいろな勢力を束ねる必要から,「天皇」と
>呼ぶようになった。
>イ.  国外の勢力を対抗する必要から「天皇」と呼ぶように
>なった。
>ウ.  『日本書紀』などには出てこない。→よくわからない。 
>エ.  その他。
>
>どう思いますか??????

古田武彦氏の研究をコンパクトにまとめてある本に,
斉藤忠著『間違いだらけの歴史教科書~秘められた日本古代史100の謎』
(青年書館)があります。

この本の「45」に「本当に,天皇号は大和王権で初めて使用されたのか?」
という項目があります。

「中国・漢代の『越絶書』の中に「越王が「天皇」位に繋(つな)がるを得た」
という記述がある。だから,天皇というのはもともと中国にあった位だという
ことになる。もちろん,中国の皇帝より下位で,ほかに地皇という位もあった」

「また,やはり漢代の『春秋保乾図』という本の中に,「天皇」は「九州」を
支配するといったことが書かれている。倭国(九州王朝)は周(中国)の制度を
使用していた可能性が高く,直轄領を「九州」と呼んでいたと思われる」

まとめると,「日本国(大和王権)以外で「天皇」は少なくとも6世紀には
先行して使われていた可能性が高く,また7世紀に入っても倭国(九州王朝)の
宗主は天子ないし天皇と号していた」という結論になります。

また,最近の古田史学の会の古賀達也さんたちの研究によると,
712年の「古事記」がつくられた年まで大長という九州年号が使用されており,
この年ようやく藤原京から九州王朝の「天皇」が去り,文武天皇が藤原京に
入ることができて,住民に布が配られた記録が残っているそうです。

さらに,大嘗祭という天皇家の儀式がありますが,日本書紀の中で,最初にして
最後に行ったのは持統天皇で,日本書紀はこの持統天皇をもって終わっています。
つまりそれまでは,主催したのは別の王朝で,その前の天武天皇は,
「主催はしていないが,褒美を2つの国に与えていた」と思います。
つまりそれまでは,主催してもおらず,褒美も出していなかったわけです。

古田氏の本を読んだことのない方には,理解しがたい話かもしれませんが,
私がこの20年ほど彼から学んできたことをまとめるとこんな風になります。
井藤さんの「問題」の答えとしては,アとエでしょうか。

古田氏の九州王朝説(多元説)を知るには,古代史三部作といわれる
『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』を
読んでいただくいいのですが,ダイジェスト版として『日本新古代史』(新泉社)
や『古代史をひらく~独創の13の扉』(原書房)も読みやすいです。
ありがたいことにアマゾンで安く注文ができます。
『古代史をひらく』は,代金100円,送料340円で入手しました。
朝日カルチャーでの講座で,とてもわかりやすい本です。

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