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2010年6月12日 (土)

ケストナーの「飛ぶ教室」・・・知恵と勇気

昨日実習生のM先生と話していて,
「飛ぶ教室」のことを半分思い出した。

「半分」というのは,
物語の最後で語られていた言葉が
正確に思い出せないからだ。

知恵ばかり先行していてはいけない。
しかし,勇気ばかりが先行するのも恐ろしい。
両者がうまく噛み合ったときに幸福になれる
みたいな締めくくりだったと思うのだが,
どなたか「飛ぶ教室」の本を持っている方,
反応して下さいませ。

「飛ぶ教室」には熱狂的なファンがいて,
素晴らしく充実したサイトを作っている。
その中から,私も好きなベク先生(正義先生)の
紹介のところを転載します。

「ベク先生 ドクトル・ヨハン・ベク Johann Bökh
舎監。あだ名はユスツス(正義)先生。生徒達に尊敬されています。

マルチンたちが、学校をぬけ出したことをとがめ、
規則遵守(じゅんしゅ)の立場はくずしません。
正、不正をきちんと区別して判断する人です。
しかし、クロイツカムを救出するために
規則やぶりをせずにはいられなかった
マルチンたちの気持ちをしんから理解しています。

正義先生は多くの生徒達から信頼されていますが、
彼自身も、生徒たちとの信頼関係を築こうと
努力してきた人だと思います。
また、生徒たちの行動には、責任を負おうとしています。

だから、「なぜきみたちは、わたしにきかなかった?
それほどわたしを信頼していないのか?」
「それじゃ、わたし自身も罰を受けるべきだろう。
わたしもきみたちのおちどに責任があるわけだから。」
(p102)と言って、自分の少年時代の話をして聞かせたのでしょう。

正義先生は、物語の要所、要所で登場し、
マルチンたちを力づけます。
ケストナーが教員養成所の生徒だった第一次世界大戦前、
「先生や上級生には絶対服従、規則を守れの一点張り」
(偕成社 『ケストナー、ナチスに抵抗した作家』より引用)だったそうです。
「飛ぶ教室」が刊行された1933年には、
ナチス政権が成立しています。
そんな時代に、ケストナーが正義先生という
キャラクターを生み出したのは、
正義先生のような教師がいてほしい、と願ってのことでしょう。
正義先生が「心から信頼できる先生がいなかったばかりに苦しんだので、
大きくなったら同じ学校で舎監になろうと決心した」(p107)と話したように。」

冒頭に書いた「正確に思い出せない言葉」は,
おそらくベク先生(正義先生)のものだろう。
ああ,「飛ぶ教室」がまた読みたくなった。

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