来週の月曜日に「償い」を
道徳でやろうと思っている。
「償い」の収録されたDVDは持っているので,
(これに「風に立つライオン」も収録されている)
あとは指導案を考えるということだが,
今は便利な時代でインターネットで検索できる。
2,3件がすぐヒットして,
メインの発問はやはり
「ゆうちゃんは許されたのか,許されていないのか」
という辺りになると思った。
あと,資料を切るのか,ひとつながりかということ。
これが引用された事件の判決のこと。
さだまさし自身のコメントなども手に入るといいが,
月曜までに果たして可能かどうか。
道徳の授業にかけるかけないに関わらず,
この「償い」はとてもいい曲だと思う。
最後に紹介しておこう。
(1つ心配なのは,私自身の涙腺が故障して
授業が止まってしまうかもしれないということである)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「償い」 作詩・作曲:さだまさし
月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた
人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった 何もかも
忘れて 働いて 働いて
償いきれるはずもないが せめてもと
毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかった それよりも
償いきれるはずもない あの人から
返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って 思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれて ありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい
それが傷つけあって かばいあって
何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
とまらなくて とまらなくて とまらなくて
(現在,このさだまさしの「償い」は,
YouTubeで聴くことができます)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
「償い」(つぐない)は、1982年に発表された
シンガーソングライター・さだまさしの
アルバム『夢の轍』(ゆめのわだち)の収録曲の一つで、
知人の実話を元につくられた楽曲。
作詩・作曲さだまさし、編曲渡辺俊幸。6分15秒。
実際の裁判で引用され話題となり、
命の尊さ、犯した罪への償いを考えさせるため、
運転免許更新の際の放映ビデオ内で使われているほか、
交通キャンペーンにも使用されている。
実話 [編集]
この楽曲は、知人の実話を元に作られたものである。
ただし曲中では、優しく真面目な心の持ち主である
交通事故の加害者「ゆうちゃん」をメインに、
それを見守る同僚の気持ちを歌詞にした物になっているが、
実際にはさだの知人である被害者の奥さんの体験と
事実を元に詩が作られている。
(さだは、「ゆうちゃん」に該当する加害者とは会ってはいない)
さだの知人の女性が交通事故で伴侶を亡くした。
加害者の男性は真面目な人らしく
、毎月わずかずつではあるが賠償金を郵送してきていた。
彼女は加害者の手書きの文字を見るたびに、
事故の事や亡き夫を思い出しては辛い思いをしていた。
事故から数年経ってもその送金は続き、
知人は茶道の師範として経済的にも自立できていることから、
「もうお金は送ってくれなくて結構です」と
加害者に対して返事の手紙を書いた。
しかし、被害者の許しの手紙を受け取ったはずの加害者は、
償い続けるために翌月以降も送金を続けた。
裁判での引用 [編集]
2001年4月29日、東京・世田谷区の東急田園都市線において、
4人の少年が銀行員の男性に対し車内で足が当ったと口論の末、
三軒茶屋駅のホームで4人がかりで暴行を加え、
のちにくも膜下出血で死亡させるという事件が起きた。
後日出頭した4人の内、主犯格となった2名が傷害致死罪に問われて逮捕され、
事件の重大さから地方裁判所の公開法廷で審理が行われることとなった。
裁判の中で2人は「申し訳なく思います」
「自分という人間を根本から変えてゆきたい」などと反省の弁を述べた一方、
事件自体は酔った被害者がからんできたことによる過剰防衛であると主張し、
裁判中の淡々とした態度や発言から、
真に事件に向き合い反省しているかどうか疑問を抱く態度を繰り返していた。
2002年2月19日、東京地裁において判決公判が行われ、
少年2人に対して、懲役3~5年の不定期実刑が下された。
判決理由を述べあげた後、山室惠裁判長が被告人2人に対し
「唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を
聴いたことがあるだろうか」と切り出し、
「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、
なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか
分かるだろう」と説諭を行った。
裁判官が具体的に唄の題名を述べて被告を諭すことは異例のことであり、
『償い説諭』はマスコミに取り上げられ話題となった。
さだまさしは新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。
今回、実刑判決で決着がついたのではなく、
心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とコメントしたうえで、
「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。
人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。
裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」と述べた。[1]
ライナーノーツ [編集]
さだまさしは著書『さだまさし 夢のかたみに』にて、
この楽曲に次のような引用をしている。
「ゆるすというのはことはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない
-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、
それは初めからゆるしていないのだ」山本周五郎『ちくしょう谷』より
最近のコメント