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2010年1月 6日 (水)

梅と桜(5)

久しぶりに「梅と桜」シリーズだ。

昨日「梅と桜」に関するサイト検索していて,
ちょっと方針変更した方がいいかなと思っている。

「梅=南朝の「国花」→九州王朝もこの例に倣う」ではなく,
「梅=中国の「国花」→九州王朝もこの例に倣う」と。
              (9世紀までの大和政権も)

11月に行われた古代史セミナーの際に
宮崎宇史さんがコピーさせて下さった
星川清親著『改定増補・栽培植物の起源と伝播』
(二宮書店)で原産地を調べたところ,
梅の場合まさしく南朝の中心領域だった。
しかし,残念ながら桜のものはなく,
検索した資料からも北朝にあたる地域に
桜を特定するものはほとんどなかった。
(1例だけ,「日本のほか,中国東北部・
朝鮮半島に分布」とするものあり)

そこで昨日はちょっと目先を変えてみようと,
「唐 桜 国花」で検索してみることにした。
すると,「則天武后と牡丹」という形で
反応するものが出てきた。
唐の女帝で大権力者である。

「もともと則天武后は「雪中紅梅」が好みであったが,
酒に酔った則天武后が「明朝すべての花を咲かせよ」と
命じたのに,牡丹だけは言うことを聞かなかった。
そこで則天武后は軍隊を動員して弾圧したが,
それでもだめだった。
やがて則天武后は,唯一自分の意にも従わぬ牡丹を
「天の意志,民の願い」としてその後危害を加えなくなった」
という話である。(「花言葉 STORY」より)

牡丹と言えば,梅とともに現代でも中国の国花を争う花である。
(現在は梅だが,清~1925年までは実際に国花だったらしい。
今の中国の国民投票でも2位)
そこで,「考えを変えることにした」というわけだ。

中国南朝の影響を受けて九州王朝は梅に倣っていたが,
隋・唐以降もその流れは続き,
唐(中国)が衰えた10世紀初頭に至り
その影響力がなくなった。
だから九州王朝だけでなく,
大和政権初期の9世紀にいたるまで
梅が正式の花であった。
10世紀初頭(905)には古今和歌集が作られるが,
それに桜の歌が多い(梅29に対して,桜53)のは,
宮中だけでなく世の中的に中国風をあらため,
日本風の花(桜)でやっていく雰囲気になった
頃であったためではないか。
そして960(天徳4)年,
紫宸殿の梅も桜に植え替えられた。(『古事談』より)

ちなみに13世紀初頭の新古今和歌集に至ると,
梅32,桜121とのことである。
桜の圧倒的優位がはっきりしている。

桜は日本に昔からあるもの(山桜)で
古くから愛でられていたものだった。
しかし都市のなかにあるものではなかったのではないか。
「桜切る馬鹿,梅切らぬ馬鹿」という格言があるそうだが,
これは桜が梅より病虫害に弱いことを示している。
より天然に近い桜は外敵に弱いのかもしれない。
(誰か植物に詳しい方,ご教示下さい)

1254年に出された『古今著聞集』には,
「花といえば,梅か桜かという議論」が
されていたとの話題が出ているそうだ。
この頃にはもう梅から桜に変化した理由も
わからなくなっていたのかもしれない。

私が九州の太宰府を初めて訪ねたのは
今から20年ほど前のことである。
その時はのんきに名物・梅が枝餅などを
ほおばっていた私だが,
その後20年して梅と桜について
インターネットで調べることになろうとは,
人生何が起こるかわからないものである。

当初の題名「梅と桜~「国花」も九州王朝説を
支持していた!」からは
だいぶインパクトが弱くなったが,
少なくとも「梅と桜」の3つの歌集での変化は,
参考にしていただけるのではないかと思う。

            梅    桜    総数
万葉集       118   40   4516  
古今和歌集     29   53   1111
新古今和歌集    32  121   1979

            梅    桜
万葉集       2.6% 0.9%
古今和歌集    2.6% 4.8%
新古今和歌集   1.6% 6.1%

今回このような発表の機会をいただいた
多元の会の皆様に感謝申し上げます。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 桜で思い出しました。
 平家物語の「我が身の栄華」のところに、桜町中納言という方の話が出てきます。藤原の信西の息子だったと思います。彼が桜町中納言と呼ばれた理由は、吉野の山桜を京の彼の屋敷に移植させて桜で囲まれた屋敷(今のようにぐるっと桜並木にしたのではなく何本かあったという程度だとは思いますが)が出来上がったのでという話です。保元平治の乱のあとの話ですから、12世紀の後半のこと。
 山桜がいつから都市に移植されたのか調べてみると面白いですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
貴重な情報ですね。

> 山桜がいつから都市に移植されたのか
> 調べてみると面白いですね。

きっとそれが流行したのではないでしょうか。
ぜひ調べてみたいと思います。

川瀬さんへ

「花と風景写真&野鳥」というサイトに,
以下のような記事がありました。

「平安時代に入って,野生の桜を都市部に移植して
鑑賞するようになりました。
桜の花見の風習は9世紀前半に嵯峨天皇が
宴をも催したのが最初と言われています。
その後,貴族から武士や大衆へ,
そして都から地方へと広まっていきました」

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