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2009年11月 8日 (日)

古代史セミナー2009(2日目)

古代史セミナーの2日目の最初は,
1日目の「復習」から始まった。
「途中参加」の私としては大変助かった。

206

大学セミナーハウスの講堂にて
講演+質疑応答で
セミナーは行われます

(1) 古事記の冒頭の「矛による国生み神話」は,
 銅鐸によるものではないか。
 「×矛」→「○弟(音)」である。

(2) 福岡県には「都市(といち)」という姓がある。
 これは「「魏志」倭人伝」に登場する都市牛利の子孫かも?

(3) 古事記には,天智天皇や聖徳太子の事績が出てこない。
 これは,古事記作成期にまだ九州王朝の文書が入手できて
 いなかったからではないか。つまり「山沢亡命」のために。

(4) 「福岡県で見つかった正倉院」と「東大寺の正倉院」
 スケールが大きい・・・スケールが小さい
 沖ノ島などに古い遺物・・・701以降の新しい遺物中心
 2つの正倉院の先後関係はいかに?

(5) 古老の話。「ここで安徳天皇が討たれた」
 これは源平合戦の時の安徳ではなく,
 太宰府の紫宸殿の主だった九州王朝の天子ではないか。
 しかも彼を討ったのは,唐の軍隊だったのではないか。

午前中の話。

(1) 「東日流(つがる)外三郡誌」は,稲作についても
 正しく伝えていた。西からの伝播と北からの伝播。

(2) 「高天原」は天上の世界ではなく,
 対馬海流を利用して活動した海人族の世界のこと。

(3) 「石搭山古書目録」に,「天皇記十二巻秘巻」
 「国記十二巻秘巻」とある。捜せば,必ず出てくる。
 石搭山の地下が可能性大。写本で結構。

(4) 武烈天皇に子孫はいなかったのか?
 それはあまり考えられない。
 「東日流外三郡誌」にははっきり書いてある。

(5) 騎馬民族説はやはり無理。
 「好太王碑」にもその痕跡はない。

(6) 「「魏志」倭人伝」の件。「東治」か「東冶」か,
 「戦中遣使」か「戦後遣使」か

(7) 考古学の手本は,徳川光圀の古墳の発掘。
 発掘した後しっかりと祀った。
 われわれも彼の態度に学ばなければならない。

午後の話。
質疑応答のなかで私の興味がピンと来たものだけ,
書き留めておくことにする。

(1) 「「魏志」倭人伝」の30国うち「好古都国」は,
 出雲のことではないか。
 「琴」という音と「古い都」という意味とを兼ねてか。

(2) 狗奴国とは,小銅鐸を祭る国のという意味で,
 これは古いタイプの伝承の1つ。
 鐸手神社とは,銅鐸の取っ手の意味。
 楽器・国生み神話(出雲王朝,こうぬ国)
 武器・国生み神話(九州王朝)

(3) 豊浦宮は「九州年号・白雉」に関係が深い所。
 また,仲哀天皇が亡くなったところ。
 さらに,これに柿本人麻呂が招かれた宮とくれば,
 九州王朝の範囲がはっきりしてくる。
 それがすべて「神籠石群の中」にある!

(4) ヨーロッパの神話も基本的には
 自分たちが前の支配者を倒したことを
 正当化する目的を持って作られている。
 たとえば有名なギリシャ神話も,自分たちが破った
 トロヤ神話を取り入れて作られたものではないか。

(5) 千葉県出身の31歳の青年が特別参加。
 エクアドルに4年住み,古代環境と現代社会の
 共生を考えていくNPOを作っている。
 メガース博士とも会っている。古田さんとも交流。
 バルサいかだで太平洋航海を考えているそうだ。
 彼が見事航海を成功させることを楽しみにしたい。

(6) 「三国志」の誇りは,日出る国である裸国・黒歯国に
 行くことができる=黒潮に乗ることができる侏儒国を
 紹介できたことだったのではないか。(「史記」を意識して)

(7) 荻上さんから「初めての質問者を最優先」
 との「ありがたい言葉」があったので,
 私も勇気を出して「梅と桜」について質問することにした。
 ①「万葉集では梅が多いのに,古今集では桜に逆転」
 ②「梅の原産地が中国南部であること」
 ③「そこに栄えたのが南朝で,臣従したのが九州王朝」
 この伝で行くと,桜ー唐ー近畿天皇家
 という考えに至るがいかがか。
 先行説を知っていらしたら,それも教えていただければ。
 
 → 全体としてはそれでいいと思う。
 梅=九州王朝の暗喩(あんゆ)となっている。
 研究をさらに進めて下さい。

載せられていない話題がいくつもあるが,
私の「能力の限界」もあるのでご勘弁を!

今一度確認しておくが,ブログの内容については,
文責は私こと肥さんですので,
勘違い,聞き間違い等あるかもしれません。
それをお断りしておきます。

謝辞。

午後の部を始める際,司会の荻上さんより
「来年も開催するかどうか」についてお尋ねがあった。
もちろん私は賛成したが,
古田氏は「条件付き」でOKされた。
その条件とは,「荻上さんが健康に
気をつけてくれれば」ということだった。
(多忙のため,荻原さんは一時入院されていたらしい)
自らの健康はもちろん,他の人の健康にも気を使う
古田さんなのであった。

私も健康に注意して来年もまた来たいです。
では,皆さんと元気に再会できることを祈って!
ありがとうございました!!

※ 2日目はライブで書いてみました。
先ほど今年の「古代史セミナー」が終わったところです。

読者の皆さん,
「ご静読」ありがとうございました!

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