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2009年11月 6日 (金)

梅と桜(3)

「桜 梅 中国 分布」で検索した
「プラジェネミマプラ講座」というサイトに,
以下のような話題が出ていました。

「灯台もと暗し」というやつでしょうか。
古事記についてのことです。

「日本神話の女神、木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)が
富士山の頂上から種をまき、
そこから桜の木が誕生したそうです。
この話は古事記に出てきます。」

この話を私的に解釈すると,
「桜は木之花咲耶姫の昔から日本にあった」
という宣伝のように思えます。
つまり,そう宣伝したかった,
それまでの〈花=梅〉に対抗するために,
そう宣伝する必要があったからじゃないかと思いました。
(ちょっと考えすぎ?)

もう1つ,これは「北の桜さくら」というサイトから。

「嵯峨天皇が南殿の梅の代わりに桜を植えて、
宮中行事として宴を催したのが桜の花見の始まり」
という下り。
梅から桜に植え替えたって,
ちょー怪しくないですかあ。

と,ここまで書いて,
以前「多元」のある号で富永さんが,
『古事談』の中にそのことが書いてあると
指摘されていたのを思い出しました!

今その本(5600円+税もするのですが,
買っておいて良かったあ!)を探してきたので,
『古事談第六』を引用しますね。

「南殿の桜の樹は,本(もと)は是れ梅の木なり。
桓武天皇遷都の時,植ゑらるる所なり。
而して,承和年中に及びて枯れ失せにけり。
よりて仁明天皇改め植ゑらるるなり。
其の後天徳四年九月二十三日,内裡焼亡に
焼失して了んぬ。よりて内裡を造る時,
重明親王式部卿家の桜の木を移し植うる所なり。
件の木は,本は吉野山の桜の木,と云々。
橘の木は本由生へ託く所なり。
遷都以前,この地は橘大夫の家の跡なり。」

富永さんが「多元」に書いておいてくれたおかげで,
「北の桜さくら」のサイトの記事を見た時
ピンときました。
富永さん,ありがとうございます!

なんか,探せば探すほど
新たな話題が見つかりそうです。
今後もこの「梅と桜」シリーズに,乞うご期待!

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