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2009年11月15日 (日)

歴史は繰り返している

「歴史は繰り返す」という言葉は
よく使われるが,
先日の古代史セミナーの内容からいうと,
「今も歴史は繰り返している」
ということになるだろうか。
それはこういうことだ。

実は昭和天皇は「白村江の戦い(および敗戦)」を
学んで育ったそうだ。
しかし,同じ時代日本国民はそれを知らされずに
「不敗の歴史」を国定教科書で学んで育った。
そして,日本国民はあの大敗戦を迎えることになる。

戦後はその反省から,
神々も登場しない,白村江の戦いも載っている
民主的な教科書で学べるようになった。
果たしてそうなのであろうか。

確かに現行教科書に「神々は登場しない」し,
「白村江の敗戦」も掲載されているが,
その戦いの主体がぼかしてあることに
大多数の国民は気がついていないのだ!

『旧唐書』を読むと,かつてわが国は
倭国と日本国に分かれていたという。
その前後を読むとそれが九州王朝と大和政権
(近畿天皇家)をあらわしていることがはっきりする。
(『隋書』倭国伝にも同趣旨の内容が)
倭国は九州王朝のことで,
唐・新羅の連合国に負けたのは
九州王朝だったのだ。(大和は戦っていない)
また,8世紀年末を境にして「評から郡へ」制度が変わり,
「九州年号」から「大和年号」へ年号も変わった等は,
王朝交代の傍証と思われる。

しかし,日本国民が戦争中「白村江の戦い」抜きの
教科書で学んだように,
戦後も私たちは「九州王朝なし」の教科書で学んでいる。
「歴史は繰り返している」
私は私たちが再び「大敗戦」を繰り返さないことを祈るし,
そのための研究・実証をしたいと思う所以(ゆえん)だ。

※ 実は,日本書紀には
「白村江の戦いでの敗北」の翌年正月に
お祝いムード一色の記述がある。
これが「敗戦国」の様子だとしたら,
頭がおかしくなったとしか思えない。
九州王朝が唐・新羅の連合軍に負け,
大和が無傷で残ったからこその
「お祝いムード」だと解釈するしかない。

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コメント

私も時々、「白村江の戦い」について考える時、「歴史は繰り返すなぁ」と思うことがあります。
もっとも私の場合は「日清・日露の両戦役」のことを思ってのことですが。

定説の視点に立って「白村江の戦い」を見ても、その「意義」がよくわかりませんよね。なんですでに滅びた百済を救援する戦争に、国力や兵力を傾けたのか。

でも九州王朝説の視点に立てばよくわかります。対馬海流の上流に位置する地に敵対勢力があれば、それは倭国の首都に匕首を突きつけられているようなもの。
この点、朝鮮半島の南西部と南東部では大いに違います。たとえ新羅の地が敵対勢力でも、それは決して国家の危機とはならない。防衛戦略上、倭国の優位は動かないから。
でも上流に唐軍など敵対勢力があったら、それは倭国首脳が震え上がるほどの脅威。
「唐軍の船団が対馬海流に乗って攻めてきてからではもうおそい。不利を承知でこっちから攻めていかないと…」

これならよくわかるのです。それこそ日露戦争の前夜、「シベリア鉄道が完成してからでは絶対勝てない。同じやるならシベリア鉄道完成前に開戦すべき」とのことで開戦を決断した日本の首脳のように。

結果は日清・日露の戦役は勝利に終わりましたが、白村江の戦いは敗北に終わりました。
その点では「歴史は繰り返しそこねた」ことになるのでしょうが。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

> 私も時々、「白村江の戦い」について考える時、
> 「歴史は繰り返すなぁ」と思うことがあります。
> もっとも私の場合は「日清・日露の両戦役」のことを
> 思ってのことですが。

なるほど。日清・日露戦争ですか。
そういう視点で考えたことはありませんでした。
今度そこを授業する時参考にさせていただきます。

> 結果は日清・日露の戦役は勝利に終わりましたが、
> 白村江の戦いは敗北に終わりました。
> その点では「歴史は繰り返しそこねた」
> ことになるのでしょうが。

なんか「歴史は繰り返すのか,繰り返さないのか?」
というテーマの授業プランを作りたくなってきますね。
もしできたら,多くの生徒が歴史を好きになってくれそうです。

以前NHKの番組で「その時歴史は動いた!」というのがありましたが、もし私がその時の制作スタッフなら定期的に
「その時、歴史は動きそこねた!」
という番外編を制作するように進言していたでしょう。

たとえば楠木正成が湊川の戦いに赴くとき。彼が朝廷に
「足利尊氏と和睦し、新田義貞と手を切れ」
と進言した献策がもし受け入れられていれば。また次策の
「朝廷を一時的に他に遷し、足利勢を京都に誘い込んでゲリラ戦に持ち込む」
という作戦が実行できていたなら。
私は「その時、歴史は動きそこねた」結果があの湊川の戦いとその結末なのだと思っています。

「歴史は繰り返すのか、繰り返さないのか?」
というテーマと同時に
「歴史が動いた時、歴史が動きそこねた時」
というのも面白いのではないかと思います。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

> 「歴史は繰り返すのか、繰り返さないのか?」
> というテーマと同時に
> 「歴史が動いた時、歴史が動きそこねた時」
> というのも面白いのではないかと思います。

なるほど。面白そうですね。
もちろん「歴史にifは禁物」ですが,
(逆に,それほど「魅力がある」ことの裏返しかも)
やってみたくなるテーマですね。
もちろん「歴史入門」ではなく,
「歴史出門」としてでしょうが・・・。

ちなみに,仮説実験授業の板倉さんの近作に
授業書《二つの大陸文明の出会い》
というものがあるのですが,
その第1部は「両大陸の食物の出会い~
アメリカ大陸がなかったら」という題です。

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